ラバウル編入
さてさて、陸軍達は去年の12月25日に香港全土を占領しまして、その大晦日31日に、潜水艦から飛びだった航空機数機が800kgを抱いてアメリカニューヨークを爆撃しこれを成功。
そして1月1日に第二次ハワイ攻撃なのだが、これも海軍先手撃ちまして空母1隻を大破。
相手にも精神的ダメージを与えたと確信しよう。
「・・ここだっけ」
西洋の白く塗られた壁の廊下に立つ私だが、すぐ横には司令室。指の関節で木製のドアを軽く叩く。
ドアの前に向き、
「海軍第二六○海軍航空隊所属、赤城美貴一等兵曹です。失礼します」
と言う。
ドア越しから、
「入れ」
と言われ、ドアを引く。
それほど広くない司令室が目に入る。両側に本棚がある。
海軍の青黒い帽子を被った司令官が、外を眺めていた。
「23日にラバウルが占領したのは知っているだろうね?」
?何を突然・・。
「えっ、あっはい」
「ラバウルはソロモン海に近く、何より南太平洋の制空権を取るためには必要な場所であり、その近辺には連合軍陣営がある」
話は続く。私はただ黙って唾を飲む。
「オーストラリア横断、ソロモン海の確保、珊瑚海の確保。我々にとっては重大なことだ」
「海軍はラバウル海軍航空隊を設立させる事になった。君は4月以降、ラバウルに行ってもらう。君の腕ならやっていけると私は信じる」
「いきなりの突然ですね」
ラバウルと言う名はまだ知った事も無い。
私が生き抜けるかどうか・・。
「本当に突然だ。まあ頑張ってくれ。君の海鷲マーキングを見せるときだろう?」
ウミワシのマーキング?
ああ、そう言えば中国戦線にいたとき、零戦一一型の胴体に青の鷲絵を入れてたような記憶が目裏に蘇った。でも今頃そんな事・・・。
あれは士気向上のために整備士と混じって遊び半分にやっただけだからなぁ。
特別な意味なんてないと思う・・。
「そうですか・・。」
「まあいい。本当に突然だが申し訳ない。頼んだぞ」
本当に突然だった。
4月となると今後どうするかと考えながら、司令室を後にする。
と、新聞が張られた掲示板が目に入る。
記事に、【我海軍、ウェーク島占領】とか【日本陸軍、香港全土制圧、および占領】
私が気になる記事は【第二次ハワイ攻撃成功。米空母大破】
どれどれ・・。
【空母、翔鶴、瑞鶴から第一波の攻撃隊はオアフ、ハワイ東部から侵入。真珠湾と同じ奇襲攻撃で米空母1隻を大破、巡洋艦数隻、駆逐艦数隻を撃沈。】
「ほー・・」
関心する。1隻かと思ったら細かく書いてあった。
今後どうなるかな・・。
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――1942年4月・・・ラバウル東飛行場基地
ついにラバウルへの編入が決定した。
シンガポール作戦と共に還ってきたユウコも一緒にラバウルへ。
しかし、内地は特に問題なく過ごせたが、最前線の南ではとても苦い味をしたらしく、ユウコ自身も「もう歩兵は勘弁」と言うばかりだ。
我々は海軍の輸送船と共にここ、ラバウル基地にたどり着いた。
思った以上にラバウル基地は酷い。
火山灰が飛行場に散るわ、兵舎や宿舎はまだいいけど、雨は中々降らずと個人的には厳しい感じがする。
指揮所を前に、指揮官と挨拶を交わす。
「第260海軍航空隊所属、赤城美貴一等兵曹です。今日からここに配属になりました」
夏服のまま私は敬礼しながら、名前を言う。
この基地の指揮官の"川西隼人"はニッコリ笑い、「ご苦労様です」と私達に言ってくれた。
「陸軍第八四飛行戦隊所属、忍野ユウコ少尉です。同じく陸海共同編入と言うことでこちらにお邪魔させていただきます」
「皆様、わざわざ遠くからご苦労様です。中に入ってください」
と言われ、二人揃って木造建築の指揮所の中へと入っていく。
内部の端っこには無線機を前にじっと微動だにしない海軍の兵士が1人いた。
私は椅子に腰をかけ、ユウコも隣に座る。
そして指揮官は黒板の前に建つと、
「ここは海軍の最前線基地です。最も最前線な所と言えば、ニューギニア島北部のラエ基地です・・」
「我々はソロモン海の確保、制空権と共に、オーストラリア分断・・。敵の援助を断たせるのが我々の目的です」
長い話も終わって、少しラバウル基地の見学と行こう。
現在、ここラバウル基地ではガダルカナル、ソロモンの確保に向けて鍛え上げの航空搭乗員が日に日に集まってくる。
私が踏んでいる飛行場は、東飛行場。陸軍のユウコとその他海軍が使用する飛行場で、北飛行場は陸軍航空、南飛行場は海軍の爆撃隊が使用する。
ラバウル航空隊はラバウルと言う地域だけではなく、ラエやブインも含む。
ユウコは陸軍第八四飛行戦隊の中で"陸海軍共同員"と言う資格を持っている。何かしらの不足を補う、もしくは海軍の親しい人やその関係者のサポートとかする役目である。
実は私も彼女と知り合って1年。出会いは1940年、260海軍航空隊にユウコが見学してきたことから始まった。最初の頃は挨拶で終わったが2回目会う頃に「私のサポーターになってくれないか」と言われて今の関係になっている。最初は困惑し上官に対しての接し方はわかんなかった。でも「友達を呼ぶ感覚でいいよ」と言われたり。
陸軍にも興味があったので私は嬉しかった。彼が披露した空戦術に憧れを持ってより親密になったと思う。
1941年の夏場はユウコと空戦訓練したり、暇があれば繁華街に出て遊んだり・・今には出来ない事をたくさんしたっけ。
思い出話を浮かべながら飛行場の周りを見ると、湾沿いにある火山がある。
ここから火山灰がくるのもあれだが案内に聴くと温泉があるらしく時々陸海揃って湯につかるらしい。
案内人とユウコと一緒に地上防衛陣地を見に行くがユウコが、
「おーすごい」
確かに凄い。
大きく立派な陸軍の高射砲が窪みの中に設置されていたのだ。周りには砂袋。
そして三連装の25mm高角機関砲がそれぞれ数挺あったが、
「これだとアメリカさん、撃退できないなあ」
とユウコは面白く言う。
その表情は何か楽しみにしている子供の様な顔であった。