地獄のガダルカナル
東條奈緒子はガダルカナル撤退支援に、自ら戦闘員としてラバウルから派遣されたが、実態は想像以上のものであった。
1943年・・。
南の星がチラつく夜空の下、木草の隙間から細い月光の光が降り、真っ暗な泥濘を照らしていた。
腰の軍刀は足を出すたびに揺れ、金具の音をたてては、虫や動物の鳴き声にかき消され、ただ黙って私は道無き道を進んでいた。
斥候のつもりはまったく無く、私は戦闘指揮官として務めるはずだったが、みんなは疲労と空腹で動くこともできない程の非常事態にまで陥っていた。
私も将兵の一員となって撤退させる時間を稼がなければ。
一人でも多くの兵達を生かして還すのが私の使命であり、役目である。
足場の悪い山岳を降りようと植物を払いのけた。
・・・!
気配で私は動きを止め、その姿勢で保ちながら感じ取る・・。
すると月の光を浴びて動く影が、緑の隙間から動いている。
敵の斥候かしら・・?
目を凝らして様子を伺う。
黒い影は一つで仰向けになって倒れているようにも感じられ、私は気になって茂みから顔をだした。
「あっ・・」
アメリカ兵・・。
女性兵士、しかも虫の息で意識があるようでないようで・・
生きてる?生きてれば銃を・・。
腰のホルスターから私は拳銃をゆっくり抜いた。
警戒しながらM1910の銃口を仰向けに倒れるアメリカ兵に近づくと、彼女はこちらに気がついた。
「D...Don't shoot..!」
彼女は英語で撃つなと言い、白く小さな両手を開いた。
勿論私は撃つ気なんてまったくなかった。せめて食べ物だけもらえればそれでいいのだから・・。
「オーケー、オーケー」
なれない英語を発しながら私は彼女の様態を確認しようとしたけど、
「致命的な傷を負っている・・」
恐らく6.5mm弾を腹部と胸を2発不意に撃たれて倒れたのだろうか。
7.7mmであれば死んでいただろうけど、この場合ではなんともしがたい・・。
私は彼女に「撃たれたのは何時ごろ?」と英語で問いながら止血を行うと
「日没前に撃たれた」という返答に私は驚く様子も作らずに、ただ粘り強く助けを待ってたんだろうと思いと、胸に刺さる針の痛みに包帯を取り出そうとした。
彼女の生暖かい手が、私の手首を握られた。
「私、モウ、ダメ」
えっ・・・。
片言の日本語を発したアメリカ兵は首飾りの十字架を胸に当てた。
キリストに対しての神の祈り、償いの言葉を微かな声で呟いた後に彼女の腕が離れる。
「・・・」
魂の無い、人間の形をした肉を目に、私は手を合わせ黙祷をした。
悪く思わないでください。
心で言った後から缶詰、ガム、そして乾パン類の戦闘食をバッグに詰め込み私は再び闇のジャングルへと引き返した。
午前のことである。
「もう兵士達は飢えで苦しんでいます!参謀、海軍の支援はまだなんですか!?」
すでに将官や佐官が戦闘状態に入るほどに追い込まれている状況で、私はピリピリしながら参謀に兵士達を生かす食料、そして撤退のための艦を何とかできないかと要請した。
「東條君、私だって同じ気持ちだ。だが海軍の参謀らがなかなか出してくれんのだ・・!」
くう・・・。
美貴・・ちゃん・・・。
脳裏に微かな姿で現れる美貴ちゃんに弾痕が開いた想像を浮かばせ、日本海軍と言う文字を思いっきり刀で斬りつけたいほど、怒りと複雑さに私は目元が熱くなる。
ごめん、そうじゃないんだ・・。
本当は・・美貴ちゃんがこの状況を知り、ラバウル海軍航空隊から連絡することに私は頼っていただけで、でもそんな都合のいいことは・・。
頭を冷やそう・・。なにか策を考えて部下達を元気付けよう・・。
本部からすぐ近く、ジャングルの丘に大きな洞窟があり、兵士達がぐったりとその前に座り込んでいる。穴から呪いのような叫びに私は気になり、その場所へ近づいてみる。
「うっ!」
酷い悪臭だ!
恐らく野戦病院と思われる場所だけど、そういう風には見えない・・。
ハエと蛆が沸いて、軍医はせっせと包帯を巻いて治療を済ませてるだけ。薬なんてものはない・・・!
死体はそこらへんに転がって処理する力もないのだろう・・・。
「そこの姉ちゃん」
「はっ、はい!」
治療を行っている軍医に呼ばれて私は素でびっくりする。
「あんたぁ、元気があるな。この死体を運んでくれ」
・・・。
もうなんだか、気が狂いそうだよ・・・。
人間の形の死体の脚を引っ張り、指定された埋め立て地までジャングルの中へ入り、そこまで行くと随分と死亡時間が経過した腐乱遺体が山になっているのを目に、胃から熱いものが逆流し私はその場で胃液を吐いてしまった。
ああ、飛行機が恋しい・・。私もいずれこうなるんだろうか・・。
ジャングルの隙間からなにか聞こえてきてる。
上を見上げると1機だけ、飛行機が悠々と飛んでいる。
敵の偵察機だと思うとなんだか悔しい。
と思ったら、落下傘が幾つか投下されて、飛行機は影に隠れてどこかに行ってしまう。
死体の埋め立てを終えて、再び本部前にくると、麻袋で包まれた梱包が4つほど置かれて兵士達が群がっている。
なんだろう?
近寄り、中を覗いてみるとなんと日本陸軍からの差し入れの乾パンの缶詰が沢山入った梱包であった。
別のものにはドラム缶の水、わずかな弾薬と本部は歓喜の声に包まれて何週間、何ヶ月ぶりの食事につく兵士達は嬉しく、また涙を溢していた。
まだ、まだ望みはあるんだ・・・!もう少し、もう少し頑張ろう!
士気が再び戻り、陸軍たちが築いた防衛陣地でジッと敵が来るのを待ち続けている。
内地と違い蒸し暑く、シャツや軍衣は水を被ったように汗で濡れていた。
んっ・・。
微かながら鳥の鳴き声とバサバサと草木を揺らして動物達が逃げる音を耳にすると、突然と塹壕至近に爆発が発生し、その反動で私は伏せた。
迫撃砲だ!
ヒュルヒュルと聞こえる迫撃砲の攻撃は雨のように降り続くが、それはわずかな時間で終わりホッと胸を撫で下ろして、砂袋から顔を出したとき、ジャングルの正面奥隙間から機銃の発火炎が目に見えとっさに屈んだ!
敵が近い!このままじゃやられる!
「正面敵ー!攻撃開始っ!」
私の声に、兵士達が手にする小銃、重機関銃が一斉に発射される。
弾丸の飛翔に怯えちゃダメだ!私も応戦するんだ!
ボルトを引っ張り、開いた薬室に5発の6.5mm弾を今頃入れながら装填し終え、ジャングルの中に敵が居そうな場所に引金を倒した。
あそこにも居そうだ・・!
大木越しに隠れそうなところにもう一発、今度は倒れこんだ黒い人影が一瞬見え、命中弾を確信した。
ここに防衛陣地がある理由は、撤退のために作った飛行場が一つだけあり、いくつもの爆弾が降られても設営隊が銃弾の中に居ようとも必ず修復しなければならない重要な地だからだ。
1942まで動員された兵はすでに半分以上を失い、援軍としてきた上陸部隊も虚しく、1943年初頭まで潜水艦を使った撤退が開始されていた・・。
砲弾の爆発で地震のように、揺れて物量に誇るアメリカ軍をどうにか一時的に退かせたいという思いだけが私の中に思いとどまる。
傍に居た軽機関銃手が血を流して倒れて即死していた。
軽機関銃を持ち上げ、弾入れをする兵士が黙々と装填する。とにかくジャングルに潜んで攻撃する敵歩兵を一掃するよう乱射した。
手榴弾を投げて応戦すれば、擲弾筒で敵を叩く。
わずかな火砲の攻撃でもその腕は優秀なので、敵の戦車は木っ端微塵に破壊され、火柱となって炎上した。
これに相手も参ったのか次第に攻撃の手が薄くなり、私は絶好のチャンスと思い、機関銃を休むことなく撃ちまくるが、
「やっ!」
巨人のような兵士が銃剣を突きつけて塹壕を乗り出してきたのに驚いて、反射的に体を逸らすと、わずかに相手の剣が頬を掠り、生ぬるい液が流れた。
砂袋に刺さった銃剣を必死に抜こうとする米兵に、M1910拳銃を間近で発砲し、手元の銃剣で腹を突き刺した。
少し遅ければ殺されてた・・・!
「やーっ」「とう」と雄叫びに、防衛陣地内で白兵戦が展開されていた。
ところがアメリカ兵は次々と日本兵に刺殺されていくと、突入寸前に驚いた敵達は背を見せて逃げ腰になるので、私は拳銃を構えて浴びせかけた。
翌日、今度は日本軍が攻めに入り、またその翌日とアメリカが攻撃と攻退の繰り返し。
補給された弾も尽きて、残るは食料だけ。生きれるだけ嬉しいけど。
本部の作戦会議に、敵の前線基地の総攻撃を提案した佐官に反対が入り、結局持久戦で撤退を完了させるという、ラバウルと同じ案で決定。
ラバウルから離れて早1週間経過する。
防衛陣地で仮眠を取った、午前のこと、無線から海軍と陸軍総力で撤退を支援する飛行機、艦船が出動したとの事。到着は午後までに来るということで、私達の士気は大いに上がり、希望を持てた将兵たちは嬉しさのあまり歓喜の声を出すと、空を切り裂く銃声が放たれた。
全員がとっさに散らばり伏せて、それぞれ配置についた。
歓喜とは一変、先週より激しさが増す砲撃に土を被りながら、小銃を手にして応戦する。
弾がなくなり、頭を隠して弾倉ポーチを開ける。
あっ、もう弾がない。
空っぽじゃあ戦えない・・。
仲間が死んでる。アレから貰おう。
四つん這い歩きで近寄ると、兵士は鉄兜を撃ち抜かれて即死していた。
相手の腹の弾倉を片手で開いて、わずか3発しかない銃弾を三八式にこめていると、背中になにかが乗っかる。
払い退けて、それを手に持つと骨が露出する爆風でちぎれた右腕であることを知ると思わず恐くなり投げ捨ててしまう。
鼓膜が破れるくらいに至近弾が着弾し耳鳴りがキーンと脳で響くと、ジャングルから火柱が何本も立ち上がり、戦車の砲塔らしき残骸が空いっぱいに吹き飛ぶのを目にする。
敵の爆撃機が襲来かなぁと思うけど敵の侵攻地のほうに精密に爆撃する。
「少佐っ!弾がもうありません!」
泥まみれの困った顔の兵士の一人が私にむけて叫ぶけど、
「そこらへんの死体からとってね」
と答え、私は3発装填した三八を塹壕越しのジャングルに再び構え発砲する。
弾はあっという間に撃ちつくし、なにか武器になるものを塹壕中探しまわり、死体から弾を奪いとにかく戦うことを考える。
どの兵士も屍となり弾と言う弾まったくない・・・。
「ちくしょー!」
勇ましい男の声に振り向いた。銃剣をつけて突撃する味方の兵士が、塹壕を越えようとした途端、機銃の雨に撃たれて地面に倒れこんだ。
時間内に護れそうかな・・。
弾薬箱いっぱいの手榴弾が足元にある。
九一式手榴弾だ!これで少しでも凌げれば・・!
ずっしり重たい手榴弾の安全ピン、信管を叩いて「なにくそ、負けるもんか」と心の中で叫んで、たっぷり投げ込んだあとから、通信兵が駆けつけて、
「海軍の撤退支援隊が到着しました」と口頭で告げられて、腹の底から「総員撤退」と叫んだ。
傷だらけになりながら、後方の飛行場へ一斉に走る兵士達の背を眺めてながら、逃げ遅れた兵士を居ないか塹壕中探し回る。
脚から血を流す少年兵が一人蹲っている。
「大丈夫ですか!?」
返答はないけど息はある・・!
担ぐのに不要な武器、弾薬、そして装備類を外して私の肩を貸し、塹壕から一歩出て飛行場の方へ駆け足で行く。
しかし重たい・・!
男女の体格差もあるから思うように走れない・・!
「少佐、私を置いて逃げてください」
と微かに少年の声が。
「君を置いて逃げられない。私は将兵を見殺しにしたくない」
飛行場までおよそ1kmはある・・。それまでに生きて還れるかな・・・。
防衛陣地を背にしたとき、熱風が走る。海軍と陸軍の攻撃機が真上を飛び、黒粒のようなものを投下する。
さあ行かないと・・。
無我夢中に走っているとある事を頭の中で過ぎる。
そうだ、野戦病院の兵士達が・・!
ジャングルから抜けたとき、飛行場に1機の海軍陸上機が待機していた。
粉塵を巻いて回るプロペラを見て涙が溢れ、私は彼を抱えながら飛行機まで近寄った。
「少佐、ご無事で!」
大尉の出向かいなんかより、私は野戦病院の兵士達が気になってしょうがなかった。
「彼をお願い、私はまだ野戦病院に患者が・・」
抱えた彼を飛行機に乗せたとき、軍医が現れた。、
「野戦病院の患者らはもうだめだ。自力で歩けるならまだしも、生きて歩けないなら足手まとい・・・」
私は頭が真っ白になる。
どうしてそんな簡単に言えるんだ・・。
私は、将兵誰一人見殺しにせず生かして還そうという思いは砕かれ、結局は自分の事を優先し行動する・・。
私も同じ行為を犯して結局のところは、他人の事は命取りということを実感しなんとも複雑で、胸が痛く圧迫されそうな苦痛をつくり、飛行機に乗り込む。
そして緑の湿地帯が赤く燃える中から聞こえる戦友の呪いの声に、私は耳を塞ぎ震え上がった。
もうガダルカナルに戻ることは一生無い。




