大陸へ
1940年 中国大陸....漢口航空隊 第一七戦闘隊
飛行機の爆音で目が覚めた。ランプが光る薄暗い宿舎で身体を起こして時計を見た。
現地時間8:00。あと30分まで時間がある、それまでどうしよう・・・。
去年まで予科練に居た。でもここは戦う所、みんな大人なのに私は子供。自分では何をするのか分からないから大人の言うことを聞かないと動けない・・。
私は14歳で予科練に入隊した、飛行科に入ると"予科練生を1年で育てる、お前たちは鳥になれる"という教官からの言葉を信じて、特別予科練隊という短期間で育成する組織の試験になんとか合格した。
ところがこれはアメリカ式を試験的に始めたもので、短期間で仕上げて、早い者は1年で戦場に送るという形だった。一人前の飛行機乗りになれた事には感謝していたが、技能がモノを言いこれは1年足らずで廃止されて、3年教育に切り替わってしまった。
一七戦闘隊、まだ零戦に切り替えないと言うより調達遅れで九六戦が主流の隊・・。
8:30だ。飛行場に出よう・・・。
冬型飛行服でも大陸の寒さは日本より大変。飛行機のエンジンが回ってうるさい中を震えながら小柄の身を指揮所前で集まる人達の中に紛れ込んで偉い人のお話と任務について聞かされる。
何か言ってるけど聞こえないや、小隊長が教えてくれるから・・・。
ポケーっとモゴモゴ動く口を見ながらお話が終わる。さて何のことやら・・・?
それぞれみんな飛行機に乗りつく。小隊長の華岡奈美少尉の背中の後を追っていくと、振り向いて私に「美貴ッ、今日言われたことは覚えておるか?」と言われてしまう。
分からない、どうしよう・・・。
ずっと教えてくれた安心感が逆に恐怖となってしまった・・・。
「わ、わかりません・・・」
私は恐る恐る答えた。
「馬鹿者ッ!」
と小隊長の右手が振られて頬をバチンと叩かれる。
「モゴモゴ言ってて、その・・」
「言い訳無用!」
平手で何度も打たれていく・・・。ヒリヒリ痛む頬が刺さるようにいたく、胸と目がが熱くなって涙がこぼれて泣いてしまう。
「大和撫子だろう!泣くのではない!話を聞かないとは何事だ!立派な航空兵に仕上げた教官が泣いておるだろう!」
「ご、ごめんなさい・・・」
花岡小隊長は鬼のように怖い、私はあんまり好きじゃなかった。
よく何かあると私に手を振るう。そんな人。
2番機の東野早百合中尉が「やめなさい!出撃前にこんなこと、モチベーションが下がるわよ!」右腕を掴んで止めにきた。
もう黙ってよう・・・・。
一人前の飛行気乗りってこんな目にあわなきゃいけないの?
続く日も同じ針路を回ってるだけでかっこいいところなんてないし・・・。
しゃっくりをして狭い飛行機にもたもたしながら乗り、尾翼、主翼、予科練で習ったことを思い出しながら点検していく。整備士が「点検ならOKです。これをどうぞ」と私の手に飴を4つ。
「これで元気だしてください」
「あ、ありがとうございます・・・」
泣き止まなきゃ、飛行士はこんなので弱っちゃいけないんだ・・・!
発進の旗が揚がった。離陸するフラップを展開して、スロットルレバーを前に押して飛行機は前進。
ふわっと浮き上がる感覚がした。
機体を上げて、高度を上げる・・・。予科練で習ったことを思い出して。
この時すっかり私は泣き止んでいた。上昇したあと基地上空で何回か旋回して高度を稼いで、針路を北西にむけた。
周囲を警戒して計器を見て・・忙しく、これで精一杯のような気がした。でもこれは慣れなきゃダメなんだと荒城先輩によく言われた。
隙間からカーキ色の地平の奥まで塹壕が伸びていて、右手に日の丸国旗が空に掲げられているのを私は見て左は敵の塹壕だと認識する。
塹壕掃射をするんだ・・・!初めての戦い、もう何がなんだか分からない。
とにかく親の後ろについていくような動きで1番機の小隊長機は敵の塹壕へと機首を落として機銃掃射を浴びせ始める。
白線が何本線と重なって伸びていく硝煙が今でも思い出す。
2番機は撃ち終えた、私の番だ。
片目で遠方照準器を覗くと生き物のように、青い軍服を着た人間が塹壕から飛び出して逃げ回る。
撃っていいの?と言う躊躇う感覚に襲われた。
緩んだ右手でギュッとスロットルレバーを掴んで機銃発射機を静かに倒した。ダダダ、と言う機関銃の音と硝煙が塹壕に沿って伸びていくと、敵兵達が将棋倒しに倒れて私は咄嗟に発射機から手を離して、今自分のやったことに罪悪感が生まれた。
やった・・殺しちゃったよ・・・・!
風防越しから敵上空を低空旋回して様子を見ると視界の墨にゴマのようなものがいくつも目に入り、小隊はそちらの方向へと針路を変えながら高度を上昇させた。
頭は真っ白、敵のI-15に遭遇してしまったので私はとにかく小隊長の後を追うことばかり考えていた。よく「私のについていけば死にやせんよ」と小隊長からよく言われた。
だがこの日に限って小隊長からはぐれた。
後方から機銃の音が連続して鳴り響いた。もうだめだと思い目を瞑り、そのまま操縦桿を引っ張ると今度は身体にかかる負荷がずっしりやってくる。少年少女歳がこんな激しい運動をすればすぐに参ってしまうのに。
はっと目を開いたときすでにI-15の真後ろに!
照準器はいらない、直接狙えて撃てるけど頭の中でさっきの将棋倒しが浮かびあがっていく。家族のこと人のこと・・付きまとう罪の重さがやってきて機銃発射機が握れない。
ガガンと機体と言う音に機体が揺れた。急旋回で後方を確認、I-15が機銃を光らせる。
もうだめだ!
とにかく逃げ回った。自身の胴体が穴だらけにされそうな、そんな気がした。でもこのままだと私は死んでしまう、もう迷えない戦うしかないんだと。
恐怖の震えで操縦桿を握った手が小刻みに動くが、自力で操作して、全神経を集中してI-15を補足するように機体を動かした。
無我夢中に相手の後をとろうと必死になりながらようやく遠方照準器いっぱいに複葉機姿のI-15が写し出されて震えた左手で発射機を握り、機銃を撃ち放つ。破片を散らして飛行するI-15の胴体に曵光弾が吸い込まれて黒い煙が線になって引かれていく。
「ふー・・!と、とどめだ・・・!」
呼吸も止めていたので頭がくらくらする、戦闘機乗りはこんなのでへこたれたりしないんだ・・・・!
距離は50mほど縮まった。あと一撃を与えればと、その敵機に搭乗員の姿があった。口をあけて驚いているような顔をしていた。
撃つ、撃たない・・。二つの選択、頭の中で選びたい。でもそんな余裕はなかった・・・。
唇を食いしばり目を閉じて私は発射機銃を押してしまった。
もしあの時撃たなかったら彼はどうなっていたのだろう?強くなってて私たちにまた襲うとか?
静かに目を開いた。
空に残る黒煙は地上のほうへ線を残して断雲の中で途切れていた。私が初めての戦いで1機の撃墜である。
嬉しいけどなんだか喜べない、複雑な気持ちだ。
「うっ、小隊長どこ・・・」
独り残された1機の戦闘機。見知らぬ地に空。孤独感はどうも耐え切れず私は泣きながら断雲、青空の彼方と顔をむけて捜してると一つの群が見えた。
あれは!きっと味方の戦闘機だ!
すぐさま近寄ると零戦、九六式戦闘機が上空で待機していた。これは後分かったことで、小隊長がいつでも助けられるように待っていたとの事だった。
このまま燃料切れで墜落して酷寒の地で死ぬんじゃないかと。
その日帰還すると1機がいつまでたっても還らなかった。特別予科練を卒業した仲間で行方が分からない、戦死になったと思う・・・。
指揮所の報告が終わり解散すると、
「美貴、小隊長から逸れてしまったのだろう?」
と小隊長は言う。
またぶたれる・・!
歯を食いしばりビンタを待った。
と思ったら、柔らかい手で私の頭をなで始めた。
「逸れてしまったことはよくないことだが、あの空で独りになったときは寂しかっただろう?」
「今日はよくがんばった・・熱も出ている、今日は休むといい」
え?あっはい・・。あれ言葉が出ない。
喉が痛い、頭がボーっとする・・・。
私は小隊長に対してのストレスと、なれない現場に疲労を溜め込んだらしく熱を出した。
医務室で寝たベッドは温かかったけど今日起こった出来事には忘れようにも忘れられなかった。
どんなことでも状況に対応しなければ生き残れないと思ったからである。