偏屈先輩は修羅場の中心で傍観す
ところで、何で絹坂がここに?
などとアホなことを口走ったり考え込んだりするほど俺の脳味噌はお間抜けではない。まぁ、檜妹の出会ってから数年に渡る自分への好意には気付かない程度には間抜けであったようだが。自分はそんじょそこらのラブコメの主人公どもとは違って鈍感ではないと自負してきたのだが、その思いが一気に崩れかけている。というか、俺が鈍感なのではなく、檜妹の方が感情隠匿術に優れていたのだと思う。思いたい。まぁ、ともかく、絹坂がここにいる理由くらいは分かる。奴の後ろにいるのが我が悪友どもだということは俺の2.0の視力をもってすれば容易に判別できるのだ。
連中は今まで絹坂の暴走を防ぐために拘束していたらしかったが、今までの一部始終を見て大激怒した絹坂を押さえ続けるのは無理であったらしい。俺が見ている間に我が悪友チームの男どもが情けなく絹坂に突き飛ばされ足蹴にされ踏み潰され無様に地面に転がる。弱い。お前ら弱いぞ。いや、絹が強いのか?
情けない男どもの後ろで蓮延と薄紫はなんだかにやにやと笑いながらこっちを観察している。俺たちの演じる修羅場を見て楽しもうという魂胆であるようだ。本当に趣味の悪い奴らだな。
絹坂は俺と檜妹を睨みつけながらつかつかと歩み寄ってきた。顔は憤怒に真っ赤に染まり、目は怒りに燃え滾り、怒髪天を突き、と大激怒の様子だ。何かに似ている。
「あぁ、東大寺南大門の」
「誰が金剛力士像ですかっ!」
俺が呟くと、ちょうど近くまで歩いてきた絹坂が怒鳴った。さすが受験生。きちんと東大寺南大門と金剛力士像が繋がっている。これに更に作者である運慶・快慶を付け足せれば完璧だ。
絹坂はとりあえず俺と金剛力士像ネタをやってから、キッと視線を檜妹へ向けた。檜妹の方がいくらか背が高いためというか絹坂がチビなため見上げるような形になっていた。
2人は暫しの間、無言で睨み合い、その側で俺はかなり気まずい気分を味わいながら、アホみたいに突っ立っていた。
暫く3人揃って不動明王ごっこ(?)をしていると、絹坂はいきなり腕を振りかぶり、檜妹へ向けて拳を突き出した。平手じゃなくて拳ってところが絹坂らしいというか何というか。
しかし、相手が悪かった。投擲された石の気配を察知して身を避けるほどの奴だ。己に向かってきた拳を片手で受け止め、もう片手で何の容赦もなく絹坂を頬をビンタした。
「ぎゃぶぅっ!?」
絹坂は悲鳴を上げながら横様に吹っ飛んで公園の芝生に顔面から突っ込んだ。小柄で軽いため、ちっとした衝撃で簡単に吹っ飛ぶのだろう。昔、俺が戯れに蹴っ飛ばしたり殴ったりしたときも面白いように飛んでいったものだ。てか、絹坂よ。その悲鳴は女子としてどうかと思う。
暫く地球とキスしていた絹坂は腕立て伏せの要領でがばっと起き上がると、檜妹をきっと睨みつけて叫んだ。
「ぶったね! 先輩にしかぶたれたことないのにっ!」
まぁ、この台詞は絶対不可欠だな。2発ぶたれていなかったのが惜しまれる。
絹坂の言葉、特に「先輩にしか」という部分に何か言いたかったが、特に反論すべき言葉が思い付かず遺憾ながら沈黙を守ることにした。今まで散々殴ってるし蹴ってるし叩いてるし張り倒しているし、まぁ、ともかく、散々ぶっているので反論のしようがない。
「あなたから攻撃してきたんでしょう。私はそれに応戦しただけよ」
オタクならば誰でも反応しそうな絹坂の台詞を華麗に無視した檜妹は傲然と絹坂を見下しながら言い捨てた。
「おのれーっ!」
絹坂は三下悪役みたいな怒声を発しながら檜妹に飛び掛った。その動きは中々に俊敏で、ネズミに襲いかかる猫、或いは虫に跳びかかるカエル、若しくはなんとなく跳んだだけのバッタを髣髴とさせた。
しかしながら、その攻撃はあっさりと回避され、背中まで蹴られ、公園の遊歩道を転がっていく始末であった。たまたま、そこを通りかかった数人のガキンチョにびっくりされていた。やはり、武道を習っていた奴と運動音痴の戦いはかくも虚しくなるものか。
「おい、絹坂。武器のないお前に勝ち目はない。諦めろ」
「先輩はどっちの味方なんですか!? てか、彼女がここまで痛めつけられてたら普通助けるか何かするでしょ! なんで悠然と見物してるんですか!?」
見かねて声をかけると結構本気で怒られてしまった。いや、まぁ、当然といえば当然か。
「しかし、攻撃しているのはお前だからなぁ。お前が危険に陥れば助けるかもしれんが、逆だし」
「されてるでしょ! 攻撃! ほら! ほらっ!」
俺が傍観姿勢を取っていた弁解をすると、絹坂は自分の赤くなったほっぺとくっきりと足の跡がついている背中を見せて主張した。
「それは攻撃した結果の正当防衛による反撃を受けた結果の被害であって、所謂、自業自得だろ」
「彼女が殴られて自業自得なんていう彼氏が何処にいますかぁ!?」
絹坂は顔を真っ赤にして怒りながらキーキーと騒ぎながら俺に詰め寄ってきた。絹坂が怒る理由も理解できなくはないが、ここまで怒られ責められるのは何だか不当な気がするが、それを言うとまた面倒くさいことになりそうだったので黙っておくことにした。俺にしてはいつになく大人しい行動選択だが、今日は色々あってもう疲れて喋る気がせんのだよ。俺の心労を察してくれ。そして、労わってくれ。
「まぁ、今回はいいです。そもそも、先輩に優しさを求める方が間違いです」
絹坂はひとしきりぎゃーぎゃー騒いだ後、ようやっと俺に対する攻撃を止めた。色々と理不尽な責め方をされたような気がするが、面倒くさいので沈黙しておくことにする。
「先輩には後で償ってもらいます」
絹坂の叱責はこれでお終いというわけではなく、一旦中止ということらしい。後でまーた色々と言われるのだろう。せめて、今日はもう止めて欲しいものだ。明日ならば、タダでは済まさん。
「それよりも先にこの泥棒猫を何とかしなければなりません!」
「泥棒猫って私のことかしら?」
今まで怒り狂う絹坂を華麗にあしらい、地味に攻撃を加えていた檜妹が冷ややかな顔で絹坂を見下ろしながら言った。
「あなた以外に誰がいますかっ!? 人の彼氏に告白するに飽き足りずチューまでしなさっとは人の獲物を横から掻っ攫う泥棒猫以外の何者でもないでしょうがぁっ! せっかく! せっかく! 私が何年も硬軟使い分け、色仕掛けやら嘘やら策略やらを張り巡らし、外堀を埋めつつ、何度も本丸に突撃をかけ、ようやっと陥落させた私の先輩を奪い去ろうなど許されるはずがありません!」
「俺を獲物扱いか」
俺はぼそりと不満を口にしたが、絹坂は無視した。泥棒猫を威嚇するのに忙しいらしい。
「泥棒猫とは心外ね。いい? 私は、先輩のことをもう4年くらい前から、中学時代から好きだったのよ? 私が好きで、好きでも、姉の彼だったから手を出すことができなかった彼に、途中から出てきたあなたが媚びて、取り入って、いつの間にか彼女面しているんだから、あんたが怒り狂う前に私の腸が煮え繰り返りそうよ」
檜妹は吐き捨てるように言い放つと、実際にぺっと唾を吐き捨てた。汚い。華の女子高生がやるこっじゃない。親が見たら泣くぞ。
「それはあなたが手を出さず馬鹿みたいに指をくわえて傍観していたからじゃあありませんか。私は自ら動いて、先輩の彼女の座を手に入れたんです。先に目を付けてただの何だのなんて関係ありません! 先手必勝! 早い者勝ち! コロンブスの卵!」
キスは道端で立ち上がると薄い胸を張って宣言し、俺の腕に抱き付き、ふふんと得意げに笑う。
すると、見る間に檜妹の顔が紅潮していき、非常に不機嫌そうな顔になって、何故だか俺を睨んだ。何で俺が睨まれんとならんのだ。
「とにかく、今更、のこのこあなたが出てきたところで、私と先輩との間の深い深ーい恋の絆は断ち切れないのです! 既に私と先輩の関係はチョモランマより高く、チャレンジャー海溝よりも深いのですから!」
「いや、それほどじゃあないだろ」
絹坂の大袈裟な喩えを思わず否定すると絹坂が烈火の如く怒り出した。今日の絹坂は中々感情豊かだな。
「何で先輩が否定するんですか!? 彼女が主張する愛の深さをそれほどじゃないっていう彼氏がどこにいますかっ!? ここにいるっていうお決まりの文句は禁止です!」
「いや、しかしなぁ。俺たちが付き合い出したのはここ最近のことだし、まだそんなチョモランマとかチャレンジャー海溝に喩えるほど凄い絆かって言われりゃあそりゃ同意し難いだろう。せめて丘よりも高く、大陸棚より深くくらいが程よいのではないか?」
「低い! 浅い!」
俺の提案に絹坂は不満そうに叫んだ。
「て、そんなこと話してる暇じゃなかった! 泥棒猫を退治しないと! いざ、尋常に勝負せよ!」
何で勝負するのか分からんし、何のために勝負するのかも分からんが、絹坂は叫んだ。
「いいえ、遠慮するわ」
しかし、速効で断られた。
「ん? ってことはー、私と先輩との仲をー」
「認めたわけじゃあないから」
絹坂の期待に満ちた言葉を途中でぶった切り、絹坂を不愉快にさせつつ、檜妹は言葉を続ける。
「今日はもういい。これ以上、あなたと言い争っても不毛なだけだしね。それに、私、これから用事があるんですよ。それじゃあ、先輩、また今度」
檜妹はにんまりと微笑んでから悠然と歩き去っていった。まぁ、なんと堂々たる退場っぷりか。その背中に絹坂は罵声をぶつけた。
「二度と目の前に現れんなぁーっ!」
「絹坂、さっきから思ってたんだが、言動が三下悪役っぽいぞ」
あんまり激しい修羅場っぷりは発揮させられませんでした。血で血を洗う修羅場をご期待していらっしゃった読者様には申し訳なく思います。
さて、長らくだらだら続きました偏屈先輩帰省中ですが、次回で最終回です。
できるだけ早くに更新する予定です。