偏屈先輩混乱中
俺は暫くぼーぜんとしてから、慌てて檜妹を突き放した。彼女はあっさりと突き放されるままに離れた。いきなり大それたことをした割にはやけに素直に離れたな。
体温が一気に急上昇したように俺の顔はかっかと熱くなり、心臓は狂ったようにばくばくと強く速く鼓動する。
「い、い、い、いきなり、何をするのだっ!?」
「何ってキスですけど」
アホみたいに混乱する俺に対して彼女は全く冷静で、平然としていて、冷ややかで、見下してすらいた。
「そんな慌てることですか? 何度もしてるでしょ? お姉ちゃんととかあの女ととか。それよりもっといやらしいこともしてるくせに」
そう言われてしまうと俺は何とも反論し難く情けないことに黙るしかない。
しかし、すぐに口を開く羽目になる。
「見たことあるから知ってるんですよ」
「うぇっ!? 何!? 何で!?」
「先輩の喘ぎ声って女の子みたいですよね」
「ぬぁぅっ!?」
こんなことを言われたとき、俺は一体どんな反応をすればいいっていうのか? どんな言葉を吐けばいいのか? 混乱しながら悲鳴を上げるしかない。
「い、いや、ちょっと待て。そーいうことをするときは、いつも人がいない時と場所を見計らっていたはず」
「まぁ、そーいうことしている間の人間ってのは結構無防備で注意力散漫ですからね。私が帰ってきて覗いていてもちっとも気付いてませんでしたよ」
「ぐ、ぐぐぐぅー」
冷ややかに答える檜妹に対して、俺は羞恥に顔を真っ赤に染めながら呻くしかない。
「しかし、私たち姉妹は揃いも揃ってあなたに惚れるなんて、趣味が悪いですよね」
それを俺に言うのはどうだろうか? いや、まぁ、言っていることは間違いじゃないとは思う。自分で言うのも何だが。
「む、むぅ、まぁ、そうだな」
堂々と肯定するのもアレなので、渋々といった感じで頷くと、檜妹は嫌そうな顔をした。
「そこは否定しないんですか? つまらない」
「つまらないって……。お前は何がしたいんだというか俺に何を期待しているんだ?」
「先輩が嫌がる様とか打ちひしがれる様を見たいんですよ。もっと傷つけばいい」
尋ねると彼女は平然と答えおった。傷つけばいいって何だ。こいつSか。サド侯爵の仲間か。そこまでサディズムではないことを祈るばかりだ。
「先輩のことが好きだから苛めたくなるんですよ。ほら、よく言うじゃありませんか? 男の子が好きな女の子に意地悪しちゃうってやつ」
反動形成ってやつな。と、そんなことはいいんだ。いや、苛められてもOKってわけじゃないが、今はとりあえず捨て置く。それよりも何よりも聞きたいことがある。中々、口にし難いことではあるが、確認しておかねば気が済まないし、話が進まない。最早、何のために彼女と話をしに来たのか全く分からなくなっているが、それよりも更に重要なことだ。
「そ、そのだな。あー、君が、俺のことを好きだっていうのは、それは本気か?」
「……何ですか。その疑いの目は。私があなたのことを好きじゃダメなんですか?」
俺の問いかけに彼女は不満げな目で俺を睨みながら言った。
「いや、ダメとかダメじゃないとかじゃなくてだな。そもそも、何故、君が俺のことを好くのかが分からん」
「人のことを好きになる理由とか好きになった原因とかってものは明確に言葉で表現できるものじゃあないと思いますけど?」
彼女は刺々しい言葉を吐きながら、俺を睨み上げ、再びぐいと俺の上着の襟を掴んで、顔を寄せた。またか。これでは襟が伸びてしまう。しかし、彼女の手を払うことが俺にはできない。彼女の、檜によく似た強い瞳から目を離すことができない。
「あなた、私の愛を疑ってるの?」
「いや、疑ってるも何も、今までずっと嫌悪されていると思ってた相手からいきなり好きだとか言われても……」
「じゃあ、愛を確かめてみます?」
彼女は悪戯っぽく微笑みながら、体を寄せ、唇を近付けた。
と、思ったら、素早く体を離した。その一瞬後に目の前を何かが飛んでいって俺たちの近くにあった木製ベンチに衝突し、背もたれにヒビを入れた。公共物破壊だ。
その公共物破壊物体の正体は普通にそこら辺に転がっていそうな拳大の石だった。
つまりは、その拳大の石が飛んできて、危うく檜妹にぶち当たりそうなところで間一髪、彼女が身を引いたせいでベンチを破壊する結果となったわけだ。これは運ゆえか? それとも、剣道を習っているお陰で動体視力とか殺気を感じる能力に長けているのか? ならば、世の命狙われし御仁方は剣道を習得するが良かろう。ケネディもリンカーンもガンジーも剣道さえ習っていれば歴史は変わっていたに違いないとかいう戯言はこれくらいにしておく。
ところで、拳大の石が自然に勝手に飛んできてベンチを破損せしめることなどあったならば超常現象の名を付けて超常現象ナンチャラとかいうようなテレビ番組で放送されてしかるべきであるが、実際、そのようなことが起きて堪るものか。俺は超常現象とかいう原因不明にして理解不能な現象よりかは人類が数百年の月日をかけて学び知り極めてきた物理法則を信望している。要するに、超常現象などないと信じている。ならば、石は何故、飛んできたのか? 簡単なことだ。誰かが投げたに違いない。それを確かめる手段は? これも簡単。飛んできた方角を見ればいい。然らば、石は何者かによって投擲され、ベンチを破損せしめたという超常でもなんでもない一個の行動が確認できる。
しかしながら、俺はあまりそれを確認する作業に気乗りしなかった。石が飛んできた理由を見極めず「原因不明」などと処理することは許し難い。何故ならば、俺は石が飛んできた理由は誰かが投擲したからだと確信しているからである。ならば、その投擲しやがった奴に「あといくらか横だったら俺のド頭にぶち当たってたところではないかっ!?」と厳重抗議したいところである。だが、俺はそれをする気になれなかった。というのも、投擲した人間の正体に見当が付いていたし、そいつが犯人だとすれば、またぞろ面倒くさいことになることが目に見えていたからだ。その面倒くさいことになりそうな原因をこの目で確認する作業はなんとも気乗りし難い。
しかししかし、確認しないことには話が進まない。我が身を掠めるように中々の速度と勢いで飛んできた石を無視できるほど俺の脳味噌は能天気にできていないのだ。
さて、その犯人は誰か? おそらくは、俺以外の読者諸君にも目星は付いていよう。だからといって教育番組のお兄さんお姉さん方のようにそやつの名を元気に声を合わせて呼んでやる気にはならん。
俺は無言で、そいつを見て、そいつの面を確認して、何かを言おうとは思ったが、結局、色んな言葉を飲み込み、無言のままでいるしかなく。結局のところ、俺はただ黙ってそいつを見ただけだった。この時の俺はなんとも言い難い変てこな表情をしていたと思う。というのも、具体的にどんな感情かは自身でも理解できていないが、ともかく、複数の感情が頭の中でぐるぐる回っているという精神状態であったからだ。分かりやすく言えば、俺は混乱していた。
俺の混乱など何のその、石を投擲しベンチを破損せしめた下手人こと絹坂衣はいつもの温厚のんびりとしたアホ面をかなぐり捨て、怒髪天を突かんばかりの怒り百パーセントの顔をしていた。そして、おそらく、顔だけではなく、彼女の頭の中は今怒り一色なのであろう。
そして、絹坂は叫ぶのだ。お決まりの台詞だ。
「この泥棒猫っ!」
ここはどこの昼ドラだ? 平日一時半のT○Sか? それともサイコロトークの次の番組か?