偏屈先輩の困惑
檜の妹は、まぁ、当然のことなのだが、いくらか檜に似ていた。
檜は髪を長く伸ばし、それを後ろで結んで、所謂ポニーテールという髪型にしていたのだが、妹の方も同じように長い黒髪であった。髪型が同じであると中々似たような印象を受けるものだ。その上、切れ長で凛々しい目が髪型以上にそっくりなのだ。俺が、かなり好きだったあの目が、またこの目の前にあるわけだ。まったくもって参る。勘弁してくれ。
その檜妹と俺は例の待ち合わせ場所である喫茶店のオープンテラスの一席に向かい合わせに座っていた。
檜妹はその凛々しい切れ長の目で俺を睨んでくる。負けじにというか反射的に俺も相手を睨む。睨まれたら睨み返すという悪い癖が俺には付いているらしい。目には目を。ってことだな。意味違う。
目つきが悪い。睨むと恐い。と世間で評判な上に、現にそこら辺を歩くと犬に吼えられる、猫に逃げられる、ガキに泣かれる、不良にガン付けられるという実績(?)を誇る俺の睨みにも彼女は全く怯むことなく、なお一層睨み返してくる。と、すると、こっちは余計に睨み返し。と、不毛極まりない悪循環が続けられる。
「お、お客様ぁ。ご注文はお決まりでしょうかぁ?」
妙に語尾がだらっとするアニメ声の店員がやって来た。その0円笑顔が少し固いのは、無言で睨み合う俺と檜妹の間に漂う気まずい雰囲気を感じたのかもしれんな。
ざっとメニューを見たところ、なんだかお洒落ちっくなカタカナなお飲み物ばかり並んでいて、どれがどんなものなのか分からん為、俺はてきとーに無難にアイスコーヒーを選択した。
「で、あー。ひの」
とまで言いかけて俺は口を止めた。一瞬、素で檜と呼びそうになった。いや、まぁ、彼女の苗字は檜であり、そう呼ぶことは全く問題ないはずなのだが、しかし、そう呼ぶことに俺はかなりの抵抗を覚えた。というのも、今まで、俺にとって檜といえば、目の前にいる彼女の姉である檜であったからだ。目の前の彼女を檜と呼ぶことに俺は違和感を覚えるのだ。いや、覚えて然るべきなのだ。
「……君は、何にする?」
改めて聞き直すと、檜妹は俺をちらと睨んでから、店員になにやら舌が絡まりそうな名前の洒落たお飲み物を注文しなすった。
そして、また、俺と彼女は睨み合いを再開するのだ。
周囲の客や店員かしばしばちらちらと視線を向けられるのは、痴話喧嘩か何かだと思われているのだろうか。実際、そんなものではないのだが。実際に行われるのは、そんな愛だ恋だと浮かれたもんではない。一人の人間の死に関する断罪であり、贖罪である。
そーいえば、この間、痴話喧嘩をしていたカップルをおもっくそ馬鹿にしてやったのはこの店だったな。我ながら趣味の悪いことをしたものだ。まぁ、中々愉快だったからいいのだがね。まぁ、そんなことはどーでも宜しい。
睨み合いを続けながら、俺はいささか困惑を覚えていた。
その原因とはおおよそ二点に限られる。一つは前述したとおり、何故、彼女が俺に会ってくれるのかという点である。彼女は俺のことを唾棄するほどに憎悪しているはずなのだ。にも関わらず、嫌悪の意思は伝えてくるものの面会を拒もうとはしなかった。会おうと望んでいる俺が言うのも何だが、これはいくらか謎だ。本当ならば顔も見たくないはずではないのか?
また、もう一点、些細ではあるが、不可解な点がある。というのも、俺は会合場所であるここにだいぶ早くに到着してしまった。1時間も前にだ。しかし、彼女は既にいたか、或いは俺とほぼ同じ時刻にはここにいた。そして、俺に声をかけてきたのだ。それ以前に、俺が早く来るようにと連絡したわけでもないのに、既に来ていたというのが俺にとって大いに驚きであった。理解できん。
「先輩。先輩。ねえ。おい」
「ん? む。何だ?」
「何だじゃないでしょ」
檜妹の呼びかけに応じると、彼女はむっつりと不満げに呟きつつ、眼光鋭く俺を睨み、
「そもそも、私が何でここにいるか、先輩知ってます?」
猛烈な皮肉を言ってくださった。
「誰かさんがここに呼び出したから、私はここにいるんですよ。知ってました?」
「……すまん」
「はっ! あなたの口先だけの謝罪は聞き飽きましたよ。病院から式場から火葬場から今まで何回あなたが私にその言葉を繰り返したことか。もういいですよ。そんな意味のない言葉なんか聞きたくありません。耳が腐る」
檜妹は口の端を吊り上げ、俺を蔑視しながら言い捨てた。
平素、大変プライドの高いことでは三国に並ぶ者なしと称されるほどの俺ではあるが、彼女に対してだけは何とも言い返しがたく、ぐぅの音も出ず、黙り込んでいるしかなかった。
「ほら、黙ってないで何か言ったらどうですか? 私をここに呼び出したのは誰か覚えてますよね? さっき教えてあげたばかりなんですから。それくらいのこと鳥でも覚えてられますよ」
彼女は極めて冷徹ながら嫌悪感に満ちた鋭い視線で俺を突き刺しながら、更に言葉でもボカスカと暴行に及ぶ。
「で。何で、先輩は私を呼び出したんですか? まぁ、いくらか予想はつきますけど。あなたが殺した人のことでしょう?」
「む。まぁ、そうだ……」
「ふーん。殺したってことは認めるんですか?」
「まぁ、そう捉えられても致し方あるまい」
実際、あれは警察でも問題になったらしい。あれは殺人とは言わずとも自殺幇助に当たるのではないかと。しかし、結局、警察は手出しをしなかった。俺の一族がいくらか手を回したという噂もあった。しかし、俺は檜と自身との交際を家族には周到に隠していたし、実際、家族にはつい最近露見したばかりであるからして、そのような工作はなかったと思いたい。結局、秘密にしているゆえに、こっちも「そーいうことしてないな」と一族の連中に確認するわけにもいかず、有耶無耶になっている。
警察が逮捕するほどではないと判断したのか圧力に屈して見ぬ振りを決め込んだのかは知らんが、とにかく、俺の心の中ではあれは殺人であると言われても仕方がないと認識していた。
いくら檜が余命幾許もなかったとしても、生き残る可能性は皆無ではなかったのだ。もしかすれば、まだ生きていて、俺の隣で一緒にアイスコーヒーでもすすっていたかもしれん。俺だって、できればその方がよかった。あんな甘い悲恋小説みたいな最期なんか糞だ。そんなんよりライトなラブコメの方がずぅっと幸せに決まっている。
それでも、俺が苦しむ彼女を抱き締めたまま然るべき助けを呼びにいかなかったのは、檜がそれを望んでいたからだ。手術室で体を切り刻まれた末に麻酔で眠ったまま天国に召されるよりも、彼女は俺と二人きりで、俺だけを見つめたまま死ぬことを望んだから。
「そーやって、あなたはお姉ちゃんを殺した原因をお姉ちゃんのせいにしてるんじゃありませんか? お姉ちゃんが望むから、お姉ちゃんが言ったから、殺してやったってことにして自分の罪の意識を減らしたいだけなんじゃないの?」
突然、頭の中で考えていたことに対してそう言われ、俺は大層驚いた。驚いて声も出なかった。
「あなたが考えてることくらい分かりますよ。どーせ。そんなことでしょう? あなたはそーやって、殺人を正当化しているのよ。あれは身勝手な殺人じゃなかった。愛ゆえの行為だったってね。そうして悲劇の主人公を気取っているの」
檜妹の言葉に俺は声も出なかった。心では「違う!」と叫びたくとも、声が出なかった。それは怒りゆえか。悲しみゆえか。それとも……。
「私を今日呼び出したのだって、全ては自分の罪悪感を軽減したかったからなんじゃあないの?」
彼女はまっすぐ俺を睨みながら、薄っすらと笑みを浮かべながら言葉を続ける。
俺がむっつり黙っていると、店員がぎくしゃくとした態度で注文した飲み物を持ってきた。
店員がまだ伝票も置かないうちに俺と檜妹は一気に各々の飲み物を飲み干した。
「場所を変えましょう。ここでは私の言いたいことの半分も言えませんから。先輩も、こんな人がいる所は嫌でしょう?」
檜妹が言い、俺もそれには同意であったので、置かれて十秒も経っていない伝票を持って会計を済ませ、俺たちは店を出たのであった。
だいぶ久しぶりの更新です。
なんか最近になってようやく終わりが見えてきましたので、50話くらいを目処に完結させようかと思ってます。
まぁ、たぶん、帰省編が終わっても、次があると思うんですけども。