偏屈先輩は行方知らずなので
「それでですねー。先輩ったら本当に耳が敏感みたいなんですよー。耳を舐めてあげるとぴくぴくして可愛いんですー。なんか背筋がぞくぞくするらしくてー。それからですねー。先輩のアレをあーしてこーして」
「ねえ、コロ」
「んー? 何ですかー?」
「私らはあんたのノロケ話を何時間聞けばいいのさ?」
私の目の前に座る髪が長く、背が高くて髪の長い、眼鏡をかけた女の子が頬杖を付き、つまんなさそうな顔で言いました。
彼女は私の友人で、私はススと呼んでいます。名字が須々木だからススです。キ取っただけですけどねー。ちなみにコロっていうのは私のあだ名です。下の名前が衣だからコロだそうです。
しかし、何ですか。その顔は。そんなに私のノロケ話がつまんないですか。失礼な。
「えー! 私は興味あるけどなー! コロとあの先輩の恋の話ー! 恋! 恋っていいよねー! L・O・V・E! 恋最高ーっ!」
私の横で大騒ぎしているのは、ちょっと赤っぽい巻き毛に最近流行っぽい顔でやたら無駄に父がでかい、じゃない。乳がでかい娘です。しかし、いつ見ても糞暑い忌々しい乳です。踏み潰してやりたい。
と、この煩いのは、私のもう一人の友人であるミッチです。
彼女はいつも煩くハイテンションなので、注意していないといつ鼓膜をやられるかと冷や冷やものです。先輩の声が聞こえなくなったらどーするんですか。
「ミッチは本当に恋の話題だと煩いよなー ちとウザイ」
「いや、ミッチはいつでも煩いと思いますよー? 結構ウザイ」
「やだなー! 2人とも冗談きついよー! あっははははーっ!」
誰も冗談を言ってないんですけど、この子は一体、どーいう思考回路をしているんでしょうか?
私とススは顔を見合わせて溜息を吐きます。
「まぁ、とりあえず、ミッチは置いといて、私のノロケ話を聞いて下さいよー」
「何でわざわざ花の休日にあんたのノロケ話を聞かないといけないのよ?」
ススは不満そうな顔でなんかちょっと高いコーヒーみたいなのを飲み干しました。
今日は休日で、私はススとミッチという友人3人組でぶらぶらと街に繰り出しているのでした。
とはいっても、どこへ行く当ても特に無いので、目に付いた小洒落たオープンカフェでなんかちょっとイタリアンだかフレンチだか分からない名前のカフェオレの親戚みたいな連中を飲んで雑談なんかをしておりました。
まぁ、女の子なんてのは飲み物だけで歓談を何時間でもやってられる生き物ですから、これでいいっちゃあいいんですけどね。
「しかし、このえすぷれっとまきあーとってのは美味しいですねー」
「それエスプレッソマキアーノだから」
「細かいことを気にしないで下さいー」
こーいう変てこな名前は覚えられないのです。ふらぺちーのだのこんぱなだの。
「ススは何飲んでるんですかー?」
「コーヒーよ」
私の問いかけにススはコーヒーカップをゆらゆら揺らしながら答えました。なんかちょっと優雅っぽい仕草が様になってて腹立たしいです。
「コーヒーって、そりゃ見れば分かりますよー。黒いですからー」
「あんた、黒ければ何でもコーヒーだと思ってるの? 醤油とソースとコーラとコーヒーの区別つけれる? 重油だって黒いし。黒々してるし、あんなの飲んだら死ぬぞ?」
ススがいきなりこんなことを言い出しました。昔から、この子はこんなことをいきなり言い出しては人を煙に撒くことを趣味としているのです。先輩に少し似ていなくてもありません。
「馬鹿にしないで下さいー。そんくらい分かりますー」
「本当かなー」
「何ですかそお疑わしそうな顔はー。私はこれでもしっかり者なんですよー?」
「まぁ、それは認める。しっかりつーよりちゃっかりだけどね。ちゃっかりっつーより腹黒だけどね」
ススは大儀そうな顔で頷きながら言いました。どんどんマイナス表現になっていくのは何故?
「で、そのコーヒーは!? なんかこの店のコーヒー、色々種類あるじゃーんっ!! ススが飲んでるそれはなんてやつなのさっ!?」
ミッチが身を乗り出して尋ねます。そうです。私もそれが聞きたかったんです。何もコーヒー=黒い液体=醤油とかみたいな会話をしたかったわけじゃないんです。
「ブラジル アマレロ・ブルボン」
「「……は?」」
ススが謎の呪文を唱え、私とミッチは仲良く惚けた声を出してしまいました。
「ブラジル アマレロ・ブルボン」
「ぶらじる 甘ゲロ・ぶるぼん?」
「ミッチ、何言ってるんですか? 甘ゲロってそんな気持ち悪いゲロやですよ」
「確かに甘ゲロは嫌だね。う。想像すると余計に……」
「え!? え!? だって、そー言ったじゃん!」
言ってない言ってない。
私とススは一緒に手と首を横に振り振り。
私たちはそんなふうにダラダラとよく晴れた晩夏の休日の昼を過ごしていたのです。
夏休み終結後、宿題を無事先生方に提出し、ほっと一息吐いたのも束の間、もうはや早々に定期テストだの学力テストだのが控えていて、受験はまだ遠くだけど、中々、視界には入ってきていて、うかうかぼんやりと高校三年生の二学期を過ごすことはできない。けどまぁ、夏休み後、最初の休日くらい、外でのんびり友達とだべってもいいじゃないってな感じの日和です。
本当ならば、せっかく帰省している先輩と何処かへでかけたいなぁ。と思っていたのです。何処へっていうのは、何処でもよくて、映画でも博物館でも美術館でも図書館でも、何だったら昼間っからベッドへGOでも私は構わないわけなんですが、それはちと情緒がないです。きっと先輩も嫌がるでしょう。照れ屋さんだから。
何はともあれ、先輩に接触せねばと先輩の家へと行ってみたのですが、先輩の妹の三津花さん曰く「さっき出かけたよ。何処行ったのかは分かんないなぁ」とのことだったので、私は渋々と引き下がったのでした。しかし、三津花さんが着ていたエメラルドグリーンのジャージはとってもセンスがないので、来客時に応対するには宜しくない格好だと思います。
その後、私はやることもなく、仕方がないので一人映画で暇でも潰そうかと思っていたところでススから電話で呼び出されたのです。
こんなことやっている暇があったら、受験に向けて勉強しろってところなんですけどねー。もしも、こんなふうに勉強を怠ったことが原因で先輩のいる大学に入れなくなってしまってはもう悔やまずにはいられませんよ。きっと私は浪人することになるでしょうけど、そしたらば、私が入ったとき、先輩は四年生で、もう次の年には大学からいなくなってしまうのです。そんな短いキャンパスライフなんか嫌ですよ! ストレートでも二年しかないのに!
「こーしてはいられません。勉強をせねばー」
「あ! 何、コロ! 帰るのーっ!? やだやだーっ! もちっと一緒にいよーよーっ!」
席を立つ私にミッチがくっついてきて私が勉学の道へ進むのを妨害します。ええい。離れい。この乳女め!
「そだっ! 今日、ケーキバイキングの日だよー! それいこーよーっ!」
う。ケーキ。ケーキかー。
女の子はケーキが大好きです。多分に漏れず私もケーキは好きです。イチゴの乗ったショートケーキ、チーズケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン、タルト、パイ……。じゅる。
「コロ。涎。涎出てる」
「うぉっと」
私は慌てて服の袖で口周りを拭きます。あれ? 何ですか? ススが差し出している白い布切れは?
「あんた……。普通、女子が袖で涎拭く? まぁ、いいけど」
「んな細かいこと気にしてたら、これからのグローバリズムに満ち満ちた自由資本主義的市場経済社会は生きていけませんよー?」
「意味分かって言ってる?」
「七割くらいはー」
伊達に先輩のグローバリズム・新自由主義経済・市場経済批判を聞いていないのです。先輩はバリバリのケインズ主義です。政府による市場への一定の介入・規制、有効需要の創出、雇用の維持、国民生活の保護が経済には不可欠であり、現状、進められている規制緩和、市場開放は行き過ぎであるというのが先輩の考えのようです。まぁ、よくは分からないですけど。先輩だって、専門は経済じゃありませんしね。
「まっ! ともかく、今日はケーキバイキングに行こーっ! 時間まではまだだいぶあるから、それまで、あちこち見てよーよっ! あっ! 私、冬物のコートが欲しーなーっ! あと、ブーツもっ!」
「冬はまだまだ先ですよー」
「今から色々見て回って、バーゲンとか安くなったときに買うのっ! そのとき、探してたんじゃいいもの見つからないじゃーんっ!」
ミッチはハイテンションに叫びました。
私とススはやれやれ面倒くさいなぁ。といった感じで彼女に続いて席を立ちます。
まぁ、たまには友人と仲良く友情を深めることもよいでしょう。勿論、先輩が行方知らずだから、そーいう行動に至るわけですけども。