偏屈先輩の御令妹の秘密
「じゃあ、私は部屋に引き篭もります」
三津花さんは自室の前で言い、先輩が応じます。
「うむ、それがよかろう。部屋には鍵をしておくのだぞ? 姉上が逃げ込んできて騒動に巻き込まれるかもしれんし、混乱した母上が一家丸ごと無理心中を図るかもしれんからな」
「え? お母様ってそんなに危険な人なんですかー?」
私は思わず聞いてしまいました。確かに、さっきは何故だか包丁を握り締めていましたけど、基本的に温和で穏やかな人だと思うのですがー。
「あの人は地味にかなり危険な人なのだ。我々は母上のせいで何度も危ない目にあった。富士樹海で迷子になったり、車ごと崖から落ちそうになったり、気が付いたらイラクに不法侵入してたりしたからな」
それは何でそんな状況に陥ったのかかなり気になりますが、そのことには触れず、先輩は三津花さんにおやすみを言ってすたすた歩き出しました。私は置いてかれないようにてけてけ付いていきます。
「そーいえば、どーして三津花さんには攻撃しなかったんですかー? 弱味とか握ってないんですかー?」
「俺の知人で弱味を持っていない人間は殆どいない」
ちょっと気になったので聞いてみると先輩は少し自慢げに言いました。自慢にならないと思います。
「じゃあ、ちょっとはいるんですかー?」
「いる。お前」
指差されました。小さい頃、人を指差しちゃいけませんってお母さんに言われませんでしたか? じゃあ、何で、人差し指っていうんでしょうね? 不思議不思議。
「私、弱味ないですかー?」
「ない。あったらもう使ってる」
使ってるんですか。もしも、あったとしたらどこで使われたんだろう?
私がちょっと疑問に思っていると先輩がじっと私を見ていました。
「何ですか? ちゅーしたくなりました? いつでもどこでもご自由にどうぞ」
「違う! いつでもどこでもやらん!」
先輩は怒鳴ります。そんなに怒らなくてもいいのにー。本当に怒りっぽい人だなぁ。
「じゃあ、何で私をじっと見てたんですかー? 私、そんなに可愛いですかー?」
「やかましい」
先輩はぴしゃりと言い放ってから、難しい顔をしました。
「よくよく考えてみれば俺は貴様のことをあんまり知らんような気がする。そうだ。貴様の家も、家族も、出身の中学も、趣味も、特技も、好きな食い物も、将来の夢も知らんな」
先輩は不思議そうな顔で私を見つめます。
「これだけ一緒にいて全然知らんというのは、つまり、隠されているということだろうな」
んー。相変わらず、先輩は鋭いです。
「趣味も特技も特にないんですよ。強いて言えば、先輩の側にいることが趣味ですね。好きな食べ物も特にないですしー。将来の夢はばっちり決まってますよー? 先輩のお嫁さんです」
小さな女の子の将来の夢の定番の1つがお嫁さんですよね。その後、女の子の夢は花屋さんとかスチュワーデスとか保母さんとかモデルとか声優とか紆余曲折した末に、結局、誰かのお嫁さんになるものですよね。原点回帰です。まぁ、最近は中々お嫁さんにならない女性もいるみたいですけどね。あ、付け足しますけど、別にお嫁さんにならないことが悪いことだとは思ってませんよ?
「そんなことはどーでもいい」
先輩が聞いたくせにどーでもいいって何ですか。そもそも、自分の彼女の趣味とか特技とか好きなものとかをどーでもいいって言う彼氏って何ですか。あなたは本当に私の彼氏ですか?
「例えば貴様の家とか家族とかはどーなのだ? ここまで貴様は俺の家と家族に浸透したのだから俺にだって貴様の家のことを知る権利があろう」
「んー? 私のことはどーでもいいんじゃなかったんですかー? やっぱり、先輩も私のことが気になるんですねー?」
「馬鹿を言え! 誰が貴様のことなんぞ!」
私がぐふぐふ笑いながら茶化すと先輩は顔を赤く染めて怒り出しました。今の先輩は平時よりも幾分か堪忍袋の緒の耐久力が低いようです。
「そうだ。ところで、三津花さんの弱味って何なんですかー?」
「ん? あれだ」
先輩は窓からお庭を指差しました。荒れ放題なお庭にも整備された森にも見えるお庭です。生えている植物はきちんとした草木なのか雑草なのかイマイチ判別としません。何でも園芸部に属する三津花さんが趣味で勝手に改造しているそうです。
「弱味なんですか? 公然と晒しているように見えますけど?」
「あの赤い花を咲かせている草が分かるか?」
「ええ。綺麗な花ですね」
「あれの実は麻薬の原材料となる」
「は? え?」
麻薬? 麻薬の原料となる実をつける草って栽培していいんですか? いいわけないですよね。
更に先輩は別の植物を指差して言います。
「あっちの灰色っぽい色の草は南洋の植物なのだが、絶滅危惧種に指定されていて、持ち出し禁止になっているやつだ」
「じゃあ、何で、ここにあるんですか?」
「さあな? 三津花が誰かに頼んだかネットか何かで手に入れたのだろう。まぁ、どちらにせよ犯罪ものだ。母上も姉上も気付いていないようだがな。分かったら即座に証拠隠滅の為に燃やされることだろう」
それが三津花さんの弱味だそうです。まぁ、確かに、バレたら超ヤバイですよね。法的には、愛人作ってるとかお酒こっそり飲んでるとかよりも重大な問題です。
「三津花さんは何でそんな危ない草を育ててるんでしょう?」
私が首を傾げると、先輩が答えます。
「あの植物は両者とも黒魔術に使われるらしいのだ」
「黒魔術? 三津花さんは黒魔術にも?」
「うむ。似合うだろ?」
私の言葉に先輩は頷きました。黒衣を身に纏い、蝋燭の火に照らされた薄暗い部屋で魔方陣を描き、謎の呪文を唱える三津花さん。うん。確かに似合いそうです。
「まぁ、あれくらいの年頃の娘には神秘主義とか黒魔術とか心の病とか不治の病とかにかぶれる奴が多いものだ」
「そーなんですかー? 私はあんまり興味ないですけどー」
「全員がそうだといってるわけじゃない。割合的に結構多いってだけだ」
先輩はすたすた歩き出しました。私も付いていきます。
「で、それを何で言わなかったんですか? お父様とお姉様の致命的な秘密を暴露し、お母様に精神的な傷を与えるという無差別テロまがいの攻撃をしたのに」
私の問いに先輩ははっきりと答えました。
「三津花はかわいいからだ」
やっぱり兄馬鹿です。
「あの美しく可愛らしく愛らしい三津花の大事な大事な秘密を暴露するなど許されるものではない。この危険な秘密は俺が隠匿し通す。あ、さっき言った三津花の秘密だが、絶対に言うなよ? 喋ったら承知せんからな」
先輩は怖い顔で念を押します。なら、言うなよって気もしますが、それだけ私が信頼されているってことかもしれません。それはそれで喜ばしいことです。
「しかし、先輩は三津花さんが好きですねー。シスコン?」
「シスコン言うな。妹を愛するのは兄として当然のことだろう。変な風に考えるな」
先輩はそんなことを言うのですが、それにしたって三津花さんを大事にし過ぎだと思います。ズルイです。私もそれくらい大事にして欲しいです。いや、それ以上に大事に、愛してもらわなければ満足出来ません。ええ、満足できませんとも。
「うわ! 何だ! 貴様、いきなり抱きつくな! 転びそうになっただろうが!」
私は先輩にぴったりくっついたまま廊下を進みました。ちょっと歩き辛いですけど、愛の前では些細な問題です。
「ちょっ、歩き辛っ! ぎゃあ!」
「うわぁ!」
私と先輩は足が絡まって仲良くコケました。