偏屈先輩はトラウマを抉られる
「先輩は高校時代にお付き合いしている人いましたよー?」
後になって思えば、これが何とも余計な発言でした。する必要がありませんでしたし、この後の大混乱へと繋がってしまった原因なのですから。
何故、私がこの発言をしてしまったのか、自分なりに考えますと、やはり、先輩に超嫌われて遠ざけられているお父様に同情したからだと思います。私も散々邪険にされてきましたからね。同じ嫌われ者同士(私は元嫌われ者ですけどね)として同情してしまい、少しでも先輩のことを教えてあげようと思ってしまったのです。
「は? 何?」
お父様はきょっとーんとした顔をしています。
「なんだって!?」
「それ本当なの!?」
「マジで!?」
「本当ですか!?」
私の言葉に、今まで大人しく食後のお茶を楽しんでいたお母様や何処かへ消え去っていた姉様や三津花さんも参集してきました。何と素早い行動でしょうか。
「お絹ちゃん! その話、詳しく聞かせてちょうだい!」
姉様が先輩を押し退けて私に迫ります。目が恐いです。まぁ、目つきが悪いのは先輩兄弟に共通したことですけどね。
「え、えーっと、私も聞いた話で、あんまり分からないんですけどー……」
「それでいいから、聞かせて頂戴」
お母様もノリノリです。
「えっとですねー。確か、檜っていう名前の人でー」
そこまで言って、私ははっと思い出しました。
先輩はこの檜さんのことがトラウマになってるはずです。私のことを好きだと認識していたのに、あえて私を遠ざけ、更にははっきりきっぱりくっきりとこっ酷くフルくらいにです。
もしかすると、先輩は未だに彼女のことが好きなのかもしれません。可能性はあります。
今現在、今付き合っている私とかつて付き合っていた檜さんのどっちが好きか聞いてみたいような気もします。しかし、恐くて絶対聞けませんし、聞いたら絶対に先輩は気を損ねてしまいそうです。
とにかく、先輩の前でこの高校時代の彼女の話題は禁句なのです。かつてというか、少し前、私はこの話題に触れて大いに失敗し、後悔したのです。
よって、
「まぁ、とにかく、一時期、付き合っていた人らしいです。あとは知りません」
私は強引にこの話題の幕引きを図りました。
しかし、そうは問屋が卸しませんでした。具体的に言うならば、先輩のご家族の皆さんが聞き捨てませんでしたし、流してもくれませんでした。
「もうちょっとその情報を詳細に教えて欲しいですわ」
「どんな子だったの? 可愛かった?」
「付き合ってる当時はどんな感じだったの!?」
先輩のご家族、特に、女性3人がかなり積極的に質問をしてくるのです。
むぅ、困りました。これ以上、この話を拡大させるわけにはいきません。さっきから不気味な沈黙をしている先輩も気になりますし……。
「私は他人から聞いただけなのであまり分からないのです。実際に会ったことがないし。ですから、残念ながら皆さんの質問には答えられません」
これでOKなはずです。
先輩のご家族は途端に残念そうな顔をしました。
「んー。絹ちゃんが分からんないんじゃしょーがない」
うん、これで大丈夫。
「双葉に直接聞こう」
あぁっ! これはマズイですよ!
先輩に先輩のトラウマ関連のことを聞いてしまうなんて、怪我している人の傷をぐりぐり虐めるみたいなことです。残酷で非道な行為です。
「ねえ、双葉双葉」
「その名を言うなつっとるだろうが……」
先輩は低く小さな声で呻くように言いました。あぁ、先輩の機嫌は超絶悪いようです。この人はブチギレる寸前に少しの間、静かになるんです。台風が来る前の静けさみたいなもんですね。
しかし、先輩の機嫌の悪さに気付いていないのか? それとも、気付いていながらも、先輩が期限悪いのはいつものことと楽観視しているのか? 先輩のご家族は容赦をしません。
「いや、そのネタはもういいから。で、その高校時代に付き合ってったって話本当なの!?」
「是非とも詳しく聞きたいところねー。あ、絹ちゃんとの馴れ初めももっと聞きたいかも」
「そもそも、兄様が女性と付き合うってのが未だに信じられませんわ。想像も出来ない」
特に女性3人。やっぱり女性は恋愛話が好きなのでしょうね。私は、まぁ、他人の恋愛なんかにゃ大して興味ないんですけどね。ラブラブカップルとか糞甘い映画とかドラマ見ると「けっ」って気分になりますね。あ、でも、今は私と先輩が「けっ」って思われてるかもしれません。まぁ、他人がやるのと自分がやるのじゃ話も次元も別ってもんですよな。うんうん。
そんなことを話している場合ではありません。ええ、ありませんとも。
先輩を見れば、先輩はなんだか額の筋と口端をぴくぴくさせているじゃあありませんか。これは危険な兆候です。大地震の前に起こる初期微動みたいなもんですよ。
それでも先輩は怒鳴りだしませんでした。
全ての質問に「知らん」と「言わん」という黙秘権を行使しました。そして、私を睨みつけるのです。
「余計なことを言いおって、この阿呆が」
と、目が語っています。ええ、目だけで言わんとすることが分かりますとも。目と目だけで言いたいことが分かるのは、残念なことに、おそらく愛ゆえではありません。
お父様も興味があるらしく、先輩に尋ねます。
「それで、どーして別れたんだ?」
そして、とんでもない質問をしてしまったのです。これこそが先輩のトラウマの最たる原因であり、最も触れてはいけないことなのです。
あー! もう! 見ていられません! 聞いていられません! 私が原因で先輩のトラウマをざっくざっく傷付けることになってしまったのですから、その結果、先輩が激怒したり、傷付いたりするのを見たくも聞きたくもないのです。もう目を閉じ、耳を塞ぎ、台所にある室(食品などを長期保存しておく半地下室みたいなのです。床に戸があるんです。先輩の家の台所にはその室があったんです)の中に潜り込んでしまいたいくらいです!
しかし、そうはいきません。いきなり私が奇声を上げながら室の中に押し入ろうとすれば、私は即病院送りでしょうし、そもそも、室の中には予備の米とか醤油、味噌、砂糖、塩なんかの調味料の予備、あとは夏に残った乾麺(大抵が素麺)とか冬に残った餅が入っていたりして新たに私を受け入れる隙間などないでしょう。
また、ここで私がそんなことをしては、これからこの話をどー進めればいいというのでしょうか? ただ、暗闇と静寂を描写すればいいのでしょうか? そんなのは私も作者も勘弁なのです。
何はともあれさておいて、私と作者はしっかりと今の現状とこれからを描写せねばいけないのです。
恐る恐る先輩を見てみました。
「貴様らは、人の言いたくない、ことを根掘り葉掘り無理矢理聞き出そうとしおって……」
先輩は俯きながら静かに低い声で呟くように喋りだします。
「あぁ、確かに、高校時代に、彼女はいた。いた。檜は俺に勿体ないほどに、よくできた奴で、剣道が得意で、ポニーテールがよく似合っておった。何故だか知らんが、俺のことを好きだと言った酔狂な奴だ。以上だ」
先輩は結構落ち着いた調子で言いました。
おや? これは結構大丈夫かな? と私が楽観的なことをちらりと考えたとき、先輩がゆらりと立ち上がりました。
「それでだな。そいつは、高2の冬に死んだ。俺の、目の前でな! 俺の、もう、すぐ側で! 血反吐吐きながらな! まるで安いドラマとか小説とかみたいにな! 世の中じゃあんなのが持て囃されてるが、本当に死んだ奴とか死なれた奴にとっちゃあ全く感動でも何でもないわっ!」
先輩は眉を吊り上げ、目を真っ赤にして怒鳴ります。
「お陰でこちとらトラウマだぁっ! カップルと、剣道と、ポニーテールと、病院と、同じくらいの歳の女と、そして、血を見る度に思い出すのだっ! 何度も夢に出てくるし! 今でもだっ! 今でもだぞっ!? もう3年近く前なのにだっ! その上、わざわざ俺にそのことを話させるかっ!? 見るからに話したがってないだろっ!? 何でそんな奴に無理矢理話させたがるんだぁっ!?」
「せ、先輩! 落ち着いてください! 文章がおかしくなってます!」
慌てて先輩を押し止めようと声を掛けましたが、これは逆効果でした。
「そもそも! 貴様の迂闊な発言のせいでこんなことになってんだろうが!」
「あ、あわわ、そーでした! すいません!」
慌てて謝ります。この件に関しては先輩があんまりにも可哀相なので触れないようにするか、触れてしまった場合は謝るしかありません。
「大体、貴様のやることは一々いっつも俺の不利益に繋がっとるんじゃ! わざとか!? わざとか!? 実は、貴様、俺のこと嫌いなんじゃないのか!?」
「そんな! 滅相もありません!」
先輩は暫くの間、私を口撃しました。その間、私はひたすら頭を下げ、許しを乞うしかありません。何てたって、私は以前、この件で先輩を傷つけているのです。2回も同じことをしては謝るしかありません。南無南無。
先輩のトラウマ詳細については「最期のキスは血の味」参照です。