偏屈先輩の思ひ出アルバム
「とにかくだ」
俺は言い含めるように、三津花の目を見て、殊更ゆっくりと言ってやる。
「もう2度とサボりなんぞという俗悪めいたことをするな」
俺が言うと、三津花はじと目で俺を見つめ返した。何か文句言いたげな顔だ。
「何だ?」
「兄様って、よくご自分のことを棚に上げますよね」
「う」
三津花の言葉に俺はあ行3番目の字しか出ない。
「まるで世界の保安官を自認している思い上がった大国みたい」
「何という例えを……」
俺が大のアメリカ嫌いと知っての言葉か!?
「ダメですよー。三津花さん」
横から絹坂がたしなめるように口を挟んだ。さすが絹坂。俺の嫌がることくらい分かっているのだな。口が悪く言い方が直接的過ぎるので角が立ち易い俺の代わりに絹坂が注意してくれれば問題なかろう。
「そんなこと言ってたらFBIに消されちゃいますよ!」
と、思っていたらトンチンカンなことを言い出した。
「そんなこと言ったくらいでFBIは動かん! ってか、どっちかといえば、海外はCIAの担当だ!」
「CIAって?」
「アメリカ中央情報局Central Intelligence Agencyだっ!」
まったく、怒鳴り過ぎて喉が痛くなってきやがったぞ。
「口煩い人ですわ」
三津花が呆れた様子で言ったが、ここは無視だ。これ以上怒鳴っていては俺の喉から血が噴き出てしまう。何処かで区切りを付けねばならんのだ。ともなれば、年上である俺が我慢するのが道理というものだ。頭の血管が切れそうにぴくぴくしているが我慢だ。我慢。
「お絹ちゃん。お絹ちゃん」
母上が隣の部屋から絹坂に呼びかけた。
いつの間にか居間を抜け出して何処ぞへと行ってたらしい。母上にしては珍しく大人しいと思っていたら、いなかったのか。
「お母様、何ですかー?」
絹坂は呼ばれるままにてけてけと母上の方へ歩いていく。
「だから、お母様って呼び方はやめろ」
一応、文句を言ってみたが誰も聞いちゃいない。なんだなんだと母上の下へ参集する。俺はただ一人不機嫌な面でソファにぽっつーんと残される。
いや、いいんだ。こんなことは慣れっこだ。家は親父も祖父さんも普段からいないか、いたって俺とは至極仲が悪い為、女の中に男(俺)1人という状況はよくあることで、当然ながら、女と男の興味の対象とか話題とかが合わないこともあり、そんな時、俺は1人むっつり孤立していたわけだ。ゆえに1人っきりにされるのは慣れたことだ。
言っておくが! これは、寂しいのを屁理屈で誤魔化しているわけでは決してないぞ! 本当だからな!? その辺、勘違いされては極めて遺憾だ! 素直じゃない奴ーとか思いながらにやにや笑う奴がいたら蹴っ飛ばしてやるっ!
暫くの間、俺は新聞でも読みながらのんびりしていた。紙面を賑わせるのはテロに紛争に殺人事件に汚職にスキャンダルにと、今日も世界は物騒この上ない。まぁ、世界が物騒でなかったことなんかないからな。いつも通りの腐った世の中よ。
なんて、満足気に考えてみたりなんかしていると、ふと思い付いた。
女連中は何をやっているのだろうか?
耳を澄ませばくすくすという控え目な笑い声や絹坂の「はー」とか「ほー」とかいう間抜けな声が聞こえてくる。よくよく聴覚を研ぎ澄ませると、絹坂は集中しているような気がする。声のニュアンス的にそんな感じがするのだ。まぁ、あくまで気がするだけだが。
そして、ついでに嫌な予感もした。
絹坂という奴は基本的にのんびりぐぅたらした奴で、あんまり集中力のある人間とは言い難い。まぁ、見た目からして集中が似合いそうにない。
それでも、彼女だって、たまには例外的に集中することがある。それは何故だか俺絡みのことが多い。
例えば、例の弁当の件(厄病女神寄生中及び寄生前参照)もそうだ。奴は手作り弁当を正直に不味いと評した俺を見返す為だけにかなりの料理技術を習得し、結果、今ではそんじょそこらの一般主婦よりもずっと美味い飯を作れる域に達している。
また、俺が高校生の時は平気で授業をサボっていたし、宿題は未提出のまま放ったらかしにしていたくせに。今じゃあ、俺と同じ大学に入学するべくやたらと一生懸命に勉強している。それに、俺の言動に対する一々の反応もいつもの数倍敏感で鋭い。
その集中力をもっと別の有用な分野に活かせば良いと思うのだがな。
つまり、今、絹坂が集中しているとするならば、それはかなりの高確率で俺絡みの何かであると思われる。
そして、俺絡みの何かを俺抜きでやっていることに、気付いてしまえば、俺はそのままのんびりと新聞を読んでいるわけにもいかない。俺はそれほど鷹揚で心の広い人間ではない。というか、自分のことに関しては、俺はかなり気になってしまう性質なのだ。
気になるならば確認すればいい。それ以外に何をするというのか?
というわけで、長々と頭の中で色々考えた末に、俺はそろそろと連中のいる部屋へと移動する。そろそろ移動したのは、俺絡みの何かを咄嗟に隠匿されるのを防ぐ為だ。
我が家の女連中+1人は居間の隣にある和室で4人集まって何だか大変大人しく、ごちゃごちゃしている。
女3人集まれば姦しいとはよく申すが、4人集まると静かになるものか? いや、ならん。俺の経験則からすれば、女は集まれば集まるだけ比例して姦しさは増すものだ。よって、現状は大変おかしなものだ。
彼女らは一緒になって何かを見ているようであった。
何だか嫌な予感がする。
俺は音もなく連中の背後に忍び寄り、後ろからそれを覗き込み、そして、思わず悲鳴を上げた。
「ぎゃーっ!!!」
「「「「うわぁっ!?」」」」
いきなり背後で大声を出されて4人は飛び上がらんほどに驚いた。しかし、驚いたのは俺も一緒だ。こんな予想だにしないことが突如として目前に現れれば、それはそれは大混乱して然るべき状況である。
「な! な! な! 何故にそれがそこにあるのだぁっ!?」
その時の俺の脳内は非常に混乱していた。このような事態は俺の高度にして精密なる判断処理能力の容量を大幅に上回るものであった。
彼女らがそこで広げていたのは俺の過去を折々にちまちまと収められた写真が集められたアルバムである。
連中は俺のアルバムを広げて見ていたらしいのだ。いかにも絹坂が喜びそうなことだ。
母上はそーいったことに関しては非常にまめな御仁であり、我が兄弟ごとにアルバムが作って、時たまそれを眺めてにこにこしているおかしな人なのである。
俺の20余年に渡る人生の折々の写真が収められた俺アルバムが家族に見られることは、まぁ、恥ずかしいことではあるが、気に掛けることではない。それを絹坂に見られることは大変業腹であり、怒鳴ってアルバムを取り上げる事態であるが、脳内大混乱させるほどではない。
しかしながら、そこにある幾枚かの写真は俺に突然悲鳴を上げさせ、見苦しいほどに狼狽し、大混乱させるに足るものであった。
俺は混乱しながらも、どーにかこーにか、その問題の品を押さえようと、絹坂に後ろからのしかかって、それを手中に収めようとした。
「うわぁー。先輩ー、重いですよー」
絹坂が悲鳴を上げるが無視。俺は必死にアルバムに手を伸ばす。が、それは一瞬早く姉上の手に落ちた。
「これは双葉には渡せないわ」
姉上は俺から離れ、絹坂の上でじたばたしている俺を見下ろす。
「おのれ! それは禁忌だっ! とっとと寄越せっ!」
「寄越したらどーするの?」
「破いて焼いて川に撒く!」
「やっぱり渡せないわね」
そう言ってそいつはアルバムを開いて、目を細める。
「これは人類の宝よ」
「んな糞のようなものはさっさと捨てろ! 俺の一生の不覚にして恥辱だ!」
俺は怒鳴りながら、姉上の手中にある件のブツを破棄すべく行動しようとした。が、俺の行動はかなり初期の段階で阻まれた。何故だか、絹坂が俺の腰に抱きついていて自由に動けないのだ。
「貴様! 離れろ!」
「嫌ですー。えへへー。先輩に密着ー」
絹坂は何だか満足気にくっ付いていて離れようとしない。蹴っても叩いても離れる気配はない。
「てか! 何故、それを母上が所有しているのだ!? そして、何故、アルバムに収められておるのだ!?」
そう。これは大いなる疑問である。この写真が母上の手に渡るのはおかしいのだ。あれは、俺が高校時代の、高校内での出来事であり、姉上が一枚どころか数枚噛んではいたが、母上は関係なく知り得ないことであった。だというのに、何故、母上がその時の写真を手にしているというのか?
「これは沙希ちゃんがくれたのよ」
母上はにこにこと笑いながら答えた。
沙希ちゃんって誰だ?
あぁ、薄紫の下の名前だ。そうだった。てか、あいつが裏切り者であったか!
その写真はかつて諸々の事情があって俺が女装をなした時のものであったのだ。あれは、我が一生の不覚にして恥辱であり、我が脳はその記憶を蓄積することを拒否し、大脳から半ば抹消しかけていた出来事である。
その記憶どころか写真という画像記録がうちのアルバムに収められているとは! 許し難いことだ!
「母上! それは捨てるべきだ!」
俺は絹坂に引っ付かれ、畳の上でばたばたしながら怒鳴る。
「えぇー。いいじゃない。可愛いもの」
「いや、可愛いというよりも、綺麗ですわ」
「うんうん、全くよね。あんた、男止めて女の子やった方が良いかも」
対して、うちの女どもはアルバムを見ながら口々に余計かつ勝手なことをぬかしやがるのだ。何という悲劇! 何という馬鹿らしきことか!
「いい加減、離れろ! この阿呆!」
「にゃはー。先輩ー。一生このまんまでいましょー」
俺と絹坂はこんな馬鹿な格好で馬鹿なやりとりを夕飯時まで延々と続けたのであった。
しかし、あぁ、あの写真が、こんなとこにも……。泣いてもいいだろうか……。
かなり久方ぶりの更新です。
一ヶ月ぶりくらいでしょうか……。