偏屈先輩とハゲ鬼ヒゲ鬼
「おやおや、あなたたちは一体何をしているんですか? 犬も食わない痴話喧嘩ですか?」
「誰が痴話喧嘩してるバカップルかっ!?」
「いや、そこまで言ってませんから」
薄村は手を振りながら言った。
彼女を見て、俺は黙り込む。いや、俺だけじゃない。講堂にいる全ての者、特に、我が組織の連中が沈黙する。
「…………お前、よくそんな格好で喋れるな」
「慣れてますから」
薄村は悟ったような顔で言った。
その彼女は、小脇に抱えられていた。反対にはぐったりした蓮延。2人がそれぞれ両脇に抱えられている。
我らが同胞2名を両脇に抱えているのは、我らが組織最大にして最強の敵、いや、不倶戴天の天敵だ。2m近い身長に太い腕、胴、足。大きな鼻に、つぶらな瞳、赤ら顔で禿げ上がった頭。こいつこそ、我らが最大の敵、ハゲ鬼だ。巨神兵、弁慶、日本最強の国語教師などなど様々な名前で恐れられる人物だ。
まぁ、実際は、ただの現代文教諭にして生徒指導担当なのだが、恐るべきは、その身体能力だ。機動性には欠けるものの、1度狙った獲物は例え1時間でも2時間でも走って追跡し続ける持久力を持ち、また、その巨大な身体に相応しく、並みのの生徒では10人が1度にかかっても倒せないほどの丈夫さを兼ね備え、更には、男子生徒3人を軽々と担ぎ上げる力まで持っている。
ヒゲ鬼が我々の行動を読み、ハゲ鬼が出動して我らを駆逐する。この黄金コンビによって我々の計画は大いに阻害された。この2人のうちどちらか片方でも欠けていれば、今頃は、この高校の生徒の半数は例の組織の構成員になっていただろうに。
いや、今は、過去のことを悔やんでいる場合ではない。奴が来てしまったのだ。奴が。ハゲ鬼の野郎が。
「さーえーがーみー」
ハゲ鬼は低い声で唸るように呼びかけながら、ずんと足を踏み出す。その1歩だけで俺、絹坂、現執行委員長含め組織の者全員が後ずさる。
「お前は、まーた、なんちゅうことを……」
ハゲ鬼の目が怒りにめらめらと燃えている。いつも赤味がかっている顔が更に真っ赤になっている。血管が今にもはちきれそうだ。
ん。というか、薄村と蓮延はそこにいるが、もう1人はどうしたのか?
「おい、草田はどーした?」
「草田はプールに沈んでいる」
ハゲ鬼が平然と答えた。それは大丈夫なのか? 下手すりゃ溺死するんじゃ? でも、まぁ、草田だし、大丈夫か。
「さーて、次はお前の番だ」
ハゲ鬼はにやりと気味悪く笑いながらこちらににじり寄る。俺の番って? つまり、草田と仲良くプールにどぼんか? それは断固拒否する。
しかしながら、こいつを武力で排除することは至難どころか不可能に近い。ならば、説得である。人間の口は話し合う為だけじゃあないけど、一応、口の存在理由の1つではある。
「待て。話し合おうではないか。ハゲ。俺はここにプールしに来たわけではない」
俺は5・15事件で暗殺された犬養元首相のような心持で語りかけた。
「お前、本気で話し合う気あんのか? 話し合う相手をハゲって言っておいて穏便な話し合いができると思ってんのか?」
「あう……。すまん、つい」
「つい、だぁ?」
説得失敗。ハゲ鬼は額の青筋をぴくぴくさせながら更に近付いて来る。それと同時にじりじりと後退していく俺たち。
「誰か? 奴を止められる者はいないか? 志願者は2階級特進とする」
俺の呼びかけに応じる者はいない。ちなみに、2階級特進というのは、殉職に伴う昇進と考えて間違いではない。
とにかく、我々は万事休す事態と相成った。ここは偉大なる戦術家孫子に倣うべきである。つまり、三十六計逃げるに如かず。
「総員っ! 退却ーっ!」
「待たんかぁっ!」
我々は蜘蛛の子を散らすように逃亡したのであった。背後から聞こえるハゲの声からなるたけ遠くへ遠くへと。
「ここまで逃げれば大丈夫であろう」
「そーですねー。しかし、ハゲ鬼は恐いですねー」
「うむ、相変わらずだ。昔から全く変わらん。40代とは思えん」
「ですよねー。絶対年齢詐称してますよー」
「いや、それはないだろ。アイドルじゃねーんだから」
ここまで普通に会話してから絹坂を見る。
「てか、お前、付いてきたのか?」
「ええ、付いてきましたー。先輩のいる所ならば、例えチャレンジャー海溝でも、チョモランマでも付いて参りますよー」
俺がそんな所に至ることは絶対にないだろう。てか、こいつはストーカーみたいな奴だな。まぁ、そんなことには前々から気付いている。いつ実家が奴にバレるかビクビクだ。
「しかし、先輩も妙な所に隠れますねぇ」
「ここは素晴らしい隠れ家なのだ。少々臭うのがかなり傷だが」
「ええ、かなり臭いますね」
絹坂はやらなきゃいいのに、すんすんと鼻を動かして、
「うえー。くさっ」
と、何かを吐きそうな顔で言う。
「おいおい、吐くなよ!? こんな狭い所で吐いたら地獄だぞ!」
こんな狭い空間で吐かれてはただでさえ酷い汗の臭いにゲロに臭いがミックスされ、絶対に俺はもらってしまうだろう。もらうってのは、当然、プレゼントとかではないことは言うまでもない。
「分かってますよ。それに、今吐いたら先輩の服が滅茶苦茶に……」
「こんだけ密着してるんだから、お前も同じ目に遭うな」
狭い空間ゆえ致し方なく俺と絹坂はかなり密着している。俺の胸に絹坂が抱きつくような形だ。かなり不本意であるが、いつの間にやらくっ付いていたのだから、致し方ない。てか、何で、俺は絹坂がこんなに堂々とくっ付いていて気付けていなかったんだ? それほど、絹坂の存在が俺にとって自然な存在となっているということか。何ということだ……。
「…………ふぎゅ」
「む。何だ。いきなり」
絹坂はいきなり俺の胸に顔をくっつけた。
「おい」
「むふふ。先輩の臭いが……」
「止めんか! 変態!」
「むがうっ!」
絹坂の変態的な行為を止めるべく絹坂のほっぺを両手で掴んで顔を引っぺがす。
「まったく……」
「ああぅー」
「…………」
ふにふに。
「むやぁー」
ぷにぷに。
「にぁうー」
やっぱり絹坂のほっぺをぷにぷにするのは気持ちよいなぁ。
「先輩ー?」
「何だー?」
「甘えてええっすかー?」
薄暗いながらも僅かに明かりが差し込んでおり、絹坂の顔を見ることはできる。きらきらした感じの目で俺を見つめる。言葉だけでなく目でも甘えたいと言っている。
「むー。まぁ、悪くはない」
「えへへー。じゃあ、ちゅーして下さい」
絹坂はそんなことを言って、顎を上げ、目を瞑りながら顔を寄せてくる。
「むー。んな恥ずかしいこと……」
「誰も見てないんですから、大丈夫でしょう?」
「……キスだけだぞ?」
「大人なやつで」
「……致し方あるまい」
しょうがないので、俺は絹坂に大人なキスをしてやる。そんな描写は必要なかろう。ないったらないんだ! あるわけがねえ! てか、そんな描写なんぞできるかっ! 俺一人称では絶対に無理だ! 三人称でも勘弁だがな!
と、そんな馬鹿な真似をしていると、ドアが開く音がした。
「ん。誰か来たみたいですよ?」
絹坂は唇を離して囁く。その顔には不満の色がありありと見受けられる。
「しかし、ここはバレまい。何といっても俺自慢の隠れ家だ。ここに隠れるようになってから2年の間、見つからなかった。考えてもみろ。まさか、教員更衣室のヒゲのロッカーの中に隠れる奴がいようとは思うまい」
「ですよねー。先生から逃げる奴が先生のロッカーの中に逃げ込むなんて思いませんよねー」
俺と絹坂はにやにやと悪い笑みを浮かべながら囁き合う。
「だーかーらー。ね?」
絹坂は催促するように再び顔を寄せる。まったく、仕方のない奴だ。
再び唇を合わせた時、ふと、俺は思い出した。
そーいや、ここに隠れるようになってから2年間見つからなかったが、2年と3日くらいの日に見つかったんだった。いやー、うっかり、忘れてたなー。
「で、お前らはバツイチ独身の寂しい一人身の俺のロッカーで何をやってんだろーなー? んー? 俺はお前らを殺せばいいのかー?」
いやー。バツイチ独身一人身40代男の僻みは恐ろしいねー。
先輩はツンデレな感じで書いているのですが、今までかなりツンツンしていたので、
ちょっとデレを出してみました。というか、勝手に出てきました。
恥ずかしい奴らですね! 忌々しいぃっ!