偏屈先輩とヒゲ鬼ハゲ鬼
我が母校にはハゲ鬼とヒゲ鬼がいる。
勿論、肌が赤とか青とかという何か肌の奇病にでもかかっていそうな色で、大阪のおばちゃん顔負けのど派手な虎のパンツを穿いて、明らかに鋳造が不可能そうな棍棒を持っていて、日本昔話で散々虐められ、時には虐殺されている仮想上の動物とも人間とも言い難い存在ではない。まあ、ここまで詳しく言わんでも分かるとは思うけどな。
我が母校におけるハゲ鬼とヒゲ鬼は鬼のように厳しい先公の生徒間での呼び名である。
呼び名通り、この2人の先公は生徒指導を担当していて、しかも、厳しく、生徒たちからは鬼と呼ばれるほどに恐れ嫌われている存在だ。まあ、悪いことをしない生徒から見ればただの国語と社会の教諭なのだがね。
ただ、学校当局未公認組織活動を行っていた我々から見れば明確な敵どころか、それよりも悪い。まさに天敵以外の何ものでもない。
我が組織の構成員たちは幾度となくこのハゲ鬼とヒゲ鬼に捕らえられ、怖気だつような厳しい懲罰を科されてきた。
そして、それは俺たちも例外ではなく、俺などは日本国憲法を口から吐き出しそうになるくらいまで書き写しをやらされたのだ。そこまでやっても日本国憲法の前文すら暗記していない俺の精神は大したものだ。
俺たちは在学中の殆どの期間で、このハゲ鬼、ヒゲ鬼との闘争劇(というよりも俺たちから見れば逃走劇。彼らから見れば追走劇)を繰り広げた。
だが、その彼らとの戦いも今となってはよき思い出……
にしていたのが、いけなかった。
「お前らは卒業しても、全然変わらねーなー」
ぶすっとした顔で椅子に座る俺の目の前でヒゲ鬼が呆れ顔で言った。
ヒゲ鬼は名の通り口ヒゲを蓄えた中年教諭で、確か担当教科は政治・経済だったはずだ。
こいつは、本当にお前教諭かって程に不真面目でいい加減な男だ。
以前、授業中にこいつが意味もなく煙草の話を始めたのだが、何でもヒゲ鬼は禁煙しようかと考えたらしいのだ。まあ、極めてどーでもええ話なので、我々生徒たちはぼんやりと聞いていた。
そこで、そいつは言いやがったのだ。
「ニ(禁煙補助剤の商品名)ットってあるじゃん? あのガムみたいなやつな? あれ噛んでたわけよ」
へー。
「それ噛みながら煙草吸うと、こんれが美味いんだわぁ!」
貴様、何の為に禁煙補助剤噛んでるんだっ!? と、俺含め生徒たちは思いっきりツッコミを入れた。
そんな奴。どんな奴だよっていう感じだが、まあ、こんな奴なんだ。
こんないい加減な男がどーして我々の天敵になりえたのかというと、それは、こやつの先公らしからぬ勘と何かしらの経験から、尽く我々の行動を読み取り、先回り、先手を打ってくるのだ。たぶん、こいつは学生時代にかなりの悪ガキだったに違いない。その経験が今生かされているのだろう。忌々しい。
「双葉。そう恐い目で見るなよ」
「その名で呼ぶな!」
「おいおい、まだ、名前に拘ってんのか? やっぱ変わんねーなー」
ヒゲ鬼は楽しげにげらげらと笑った。おのれ。首を絞めてやろうか。
さて、ところで、何故、俺がこのヒゲ鬼とムカつく会話をしているかといえば、まあ、諸君の大概は分かるであろう。つまり、うちの母校に侵入する作戦において、草っぱらを抜けた後、ふらふらと校庭を移動していると、校内を巡回中だったヒゲ鬼ハゲ鬼にあっさり見咎められてしまったのだ。長らく、こんなことをしていなかったからな俺たち全員揃いも揃って勘が鈍ったのかもしれん。嫌だ嫌だ。歳はとりたくないものだ。
さすがに、見つかった後は、過去の記憶が戻った俺たちは素早く散開したものの、運動能力の低い俺と七飯、死に掛けていた町井はうっかり捕まってしまったのだ。
今いるのはかなり見慣れた生徒指導室で、ハゲ鬼は逃げ出した草田と蓮延と薄村を追走している。やれやれ、暑い中、御苦労なことだ。
俺と共に捕まった七飯と町井は熱中症だか熱射病だか知らんが保健室で寝込んでいる。
「おい、ヒゲ。久し振りに帰ってきた元教え子に麦茶の1つも出せんのか?」
「相変わらず無駄に偉そうな奴だなー。腕組んでるし、足組んでるし。お前、何様のつもりだよ」
ヒゲ鬼が呆れ顔で言った。
俺はふんと鼻息荒く不機嫌にヒゲ鬼から顔を背ける。こいつ、いつかぎゃふんと言わせねば気に入らん。
「お前もなぁ、普通に頭良いんだし、家柄も良いんだし、常識だってあんだから、もうちょっと上手く生きようとか思わんのか?」
ヒゲ鬼は何故だか恥ずかしいことを言い出した。まあ、当然、それは真実であり、こいつの言うとおり普通に頭も良いし、家柄も良いし、常識もあるがね。だが、こいつが言うような上手い生活をする気はない。
「だって、そんなことをしてもつまらんじゃないか」
俺がけろっとした顔で答えると、ヒゲ鬼はちょっと怒った顔で言った。
「……お前、人生舐めてるだろ」
ご名答。
このヒゲ鬼は何でか俺がお気に入りらしく、在学中はよくよく俺に生活態度を改めろだのきちんと勉強しろだの授業サボるなと口煩く言ってきたものだ。こいつ自身はいい加減なくせに。まあ、こいつはよく「俺を反面教師にしろ」と言っていたからな。本当にそのまんまの意味で、反面教師であるな。
「ところで、お前、彼女できたらしいな」
「ヴェッ!?」
いきなりヒゲ鬼が口にした言葉に、俺の喉から思わずとてつもなく変な声が飛び出した。
「な、何を言ってるんだ?」
「お前が何を言ってるんだだよ。さっきの声は何だよ」
「ヒゲ。そこは気にするな。それよりもだ。その前の彼女云々ってのは何だ」
俺は険しい顔で追求する。新しくできた彼女というのは、まあ、一応、絹坂以外にはないのであり、絹坂をそう彼女と表現してやっても問題はないというか、まあ、世間的に見ればそうかもしれないな。という感じであって。あぁ、くそ、頭が混乱しているぞ!?
「絹坂が言ってたんだ。お前の彼女になれたって」
そーいえば、ヒゲは今、絹坂のクラスの担任だそうだ。2人に接点があって当然である。で、あるが、
「何故に、あいつは担任の先公にそんな男女交際のことを報告するんじゃ!? 頭おかしいんじゃないかっ!?」
思わず椅子から立ち上がって怒鳴る俺にヒゲ鬼が追い討ちを食らわせるかの如くに言った。
「いや、クラス中というかもう学校中に言ってたな。朝から浮かれっ放しよ。ちっとは一人身の俺のことも考えてくれよ」
ヒゲは独身である。まあ、以前は結婚していたらしいが、離婚したらしい。先公でも家庭が上手くいかんこともある。しかし、そんなことはどーでもいい。少なくとも今はすんごくどーでもいい。
「あの糞阿呆野郎めっ! 殴らんと気が済まんっ!」
「おい、双葉、落ち着け」
「双葉言うな!!」
ヒゲに怒鳴ってから、俺は生徒指導室を飛び出した。油断していたらしいヒゲ鬼は出遅れた。
「こら! ちっと待て!」
ヒゲが背後で怒鳴りながら追ってくるが、しかし、怒りと恥ずかしさに体中を熱く赤くした俺の敵ではない。俺は自分でも驚くぐらいの速さで廊下を駆け抜けたのだった。
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