第4話 スキルの洗礼
進めども進めども一向に景色が変わらない。
一度、木に登って周囲を観察した。見渡す限り延々と梢が並んでいた。一日で森を抜けるのは無理だと分かった。森からの脱出を諦め、人里を探す方向に方針を切り換えた。
時折遭遇する狼を【咆哮】で追い払いながら、延々と歩き続けて来た。
陽が沈む。
暗くなるのは直ぐだ。
野宿を検討し始めた、そんな時だった。
「…………灯り?」
ちらちらと揺らめく灯りが木陰に見えた。
ナイフを構え、臨戦態勢を取る。
「そう警戒しないでください。怪しい者ではありません」
日本語では無かった。だが、不思議と理解出来た。その言葉を喋れる事も。
「今、出て行きます。武器をしまってください」
木陰から人が現れた。
柔和に笑う老人だった。
グロウフェントで初めて出会った人である。
***
森に夜の帳が降りていた。
老人――エンバッハと名乗った――と出会ってから、三十分と経っていない。
腰を落ち着けて、一息つく間に暗くなった。
遅まきながら野宿の判断が遅かった事に気付き、背筋に冷たいものが走った。しかし、おかげでエンバッハと出会えたわけで、何が幸いするか分からない。
パチパチと薪が爆ぜる。
香ばしい香りが漂って来る。肉を焼いているのだ。丁度、食事時に遭遇したらしい。僕にも振る舞ってくれるらしく、新しく肉を追加で焼いていた。
美味そうだな。
ああ、そう言えば、朝から何も食べていない。
肉を凝視していると、エンバッハが言った。
「不可思議な話ですな。気付いたら森にいた、ですか。何かの魔法かも知れません」
「その影響でしょうか。記憶が定かじゃなくて。名前は思い出せましたが」
「思い出せたのは名前だけですか」
「そうですね」
「スキルは?」
エンバッハはしまった、と顔をしかめた。
僕が怪訝に思っていると、エンバッハが続けた。
「不快に思われたなら申し訳ありません。見たところアリスさんに戦闘の形跡が無い。どのようなスキルを使えば、無事でいられたのか疑問に思いまして。失礼致しました、明かすなら私からですな」
エンバッハは荷物から小さな物を取り出した。
変哲のない金属板に文字が書いてある。
+――――――――――――――――――――――――――+
《名前》エンバッハ
《ランク》D
《レベル》9
《種族》人
《スキル》【UC:短剣4】、【C:夜目3】
+――――――――――――――――――――――――――+
「……これは?」
「……ご存じ有りませんか?」
「……え、ええ……教えてもらえますか?」
「はい、勿論。そうでなくてはカードを出した甲斐がありませんし。これは冒険者カードと言い、冒険者ギルドが発行するカードです。ここに書かれているのは私のステータスになります。望む望まないに関わらず、全てのスキルが網羅され、隠す事は出来ません。スキルは冒険者にとって生命線と言っていいでしょう。ですから冒険者の間ではカードを見せる事は最大の信頼を表す行為なのです」
と、そこでエンバッハは苦笑した。
「ああ、お恥ずかしい話になりますが。みだりにカードを要求しないよう。私が気軽にお見せできたのは大したスキルを持っていないからです。魔法が掛かっていてカードは偽造出来ません。自分のスキルを見せたくない人もいるでしょう。表沙汰に出来ないスキルを持っている人だっています」
「……なるほど」
「いまいち合点のいっていない様子。アリスさんは冒険者ではなさそうですな」
気もそぞろな僕の反応にエンバッハは苦笑していた。
いやはや申し訳ない。
信頼を示して貰ってこんな反応しか出来ないで。
だが、礼を失していると分かっていても……【短剣4】に目が奪われていたのだ。
LV4か。
【クラック】のMPは足りるか?
無理ならまずはLV2まで取得して、明日もう一度【クラック】してLV4に……ああ、駄目か。【クラック】のMPは一度に支払う必要がある、と言ってたっけ。
高レベルのスキルを観測しても、MPが足りなければ【クラック】出来ないのか。
落とし穴があったな。
まずは消費MPを確かめよう。
【クラック】と念じて一覧を出し……あ、れ? 【短剣4】がない。
はあ、疲れてるのかな。
【ウィンドウ】で観測してないからだよ。
「アリスさん?」
「あ、すみません。珍しかったので。カードお返しします」
【クラック】は後でだな。
エンバッハの機嫌を損ねるわけにはいかない。
しかし、やはりあるのか、冒険者ギルド。
楽しみが一つ増えた。
「アリスさんのスキルをお聞かせ願えますかな?」
「僕が無事だった理由ですね。【咆哮】って分かります?」
「はい。珍しいスキルではありませんから」
「それで狼を追い払いながら来たんですよ」
「ほぅ、【威圧】で戦闘を避けましたか。余程高レベルなのですかな。いえ、詮索はよしましょう。納得致しました。他は? 何かスキルはありませんか? 今思ったのですが、スキルから貴方の身元が推測できるやも知れません。有名なところで言えば【七光り】とかですな。名家や権力者の家に生まれた子供にのみ備わるスキルです」
「残念ながら【七光り】はありません」
僕の服装を見て想像したのか。安物だが、この世界の服よりは高品質だろう。
スキルで身元が分かる、というのは目からウロコだった。
冒険者カードを見せるのが信頼の証というのも腑に落ちた。
考えて見れば使用するほどにスキルは上がるのだ。スキル構成を見ればどのような人生を歩んで来たかが分かる。
戦闘を生業にしている人なら武器系スキルが。
商人なら商売に関するスキルが高くなる。
僕のスキルの大半は……教えたらマズいだろうな。
嘘をつくのは申し訳ないが……記憶喪失というのは方便なんだし。
「あと一つ。【以心伝心】というのがあります」
「また、珍しいスキルを持っていますな。アリスさんは双子なのかも知れません」
「効果は? 分かりますか?」
「対となる相手の居場所が感じ取れたり、考えが読み取れたりするそうです。試してみたらいかがですか?」
僕は首を振る。
試すまでもない。十中八九、ペアはユニだ。
ユニは転生待ちだし、現状死にスキルである。
「それで。エンバッハさんはどうしてここに?」
「この森。レクシャムの森に異変が起きていまして」
「……異変。それはいつから」
エンバッハの目が細まる。
「……ほう。いつから、ですか。どんな、ではなく。心当たりでもございますかな?」
「僕が異変を起こした、とは言いませんよ。逆です。僕はその異変に巻き込まれたのかも知れない。そう思っただけです」
暫くしてエンバッハは柔和な笑みを見せた。
「勘ぐりすぎでしたな」
「いえ、気持は分かります。得体が知れないですよね。疑われて当然だと思います」
エンバッハは何かと理由を付けていたが、僕のスキルを根掘り葉掘り聞くのは、僕が信用出来ないからだろう。
森の奥から現れた小奇麗な格好の自称記憶喪失。
僕なら絶対に信用しないね。
疑念を抱きつつも親切に接してくれている。
最初に出会ったのがエンバッハで良かった。
「異変は一カ月前、と聞き及んでおります」
「…………一カ月前か」
僕の転移とは関係なさそうだな。
むしろ異変が起きているから、僕の転移先に選ばれたのか。
「レクシャムの森はエルフの聖域です」
「エルフ」
やはりいるのか。
「エルフは聖域に籠り、滅多に人前には出てきません。ですが、この一カ月で数名のエルフが人里で保護されました。見たことのない魔物に襲われ、命からがら逃げて来たとの事でした。本来、あり得ないことです。エルフの住みかには結界が張ってあり、不浄な者が近づけないようになっています。なればこそ聖域と呼ばれているのです。彼らもまず聖域を目指したはずなのです。しかし、彼らもまた結界に拒まれ、帰る事が出来なかったそうです」
「エンバッハさんは異変の調査に?」
「とんでもございません。私のスキルが通用するのは森の魔物まで。それは保護されたエルフも同じだったでしょう。もしエルフが聖域に戻れずさ迷っているなら、人里まで保護して差し上げようと思った次第です。まさか、人族を保護する羽目になるとは思いませんでしたが」
「なら、その異変に僕は感謝しないといけませんね」
冗談めかして言うと、エンバッハがほほ笑む。好々爺といった感じだった。
「肉が焼けたようです。アリスさんはどれを?」
「先にエンバッハさんが選んでください」
エンバッハは小瓶を取り出し、逆さにして肉に振りかける。
僕が見ているのに気付いたのか、
「香辛料です。アリスさんもいかがですか。味が一層深まりますよ」
「そんな。御馳走になるだけでも悪いのに。高いものじゃないんですか」
「一山いくらの安物ですよ」
う~ん。文明のレベルが読めないな。
剣と魔法の世界というので、中世ヨーロッパを想像していたのだ。大航海時代、香辛料は高級品だった。
「遠慮はいりません」
「あっ」
止める間もなく僕の肉に香辛料が振りかけられた。
問うようにエンバッハを見れば、素知らぬ顔で肉にかぶり付いている。肉汁が迸り、香りが弾け……はあ。考えるのが馬鹿らしくなって来たな。
胃袋が早くメシを寄こせと煩いし。
ここはお言葉に甘えておこう。
肉を口に運ぶ。熱い。だが、美味い。エンバッハがかけた香辛料も、淡白な肉の味を引き立てていた。空腹に勝る調味料は存在しないが。あっと言う間に肉を平らげた。
「美味しかったです」
「そうですか、そうですか。それは良かった。では、もう一つどうぞ」
「いいんですか?」
「この年になると食が細くなりまして。若い人が食べる姿を見ているのが楽しい。あ、気に入ったなら香辛料もいかがですかな。ささ、遠慮なさらず」
「では、遠慮なく」
香辛料を振りかけ、肉にかぶり付く。
は~~。美味い。
今度は味わって食べよう。
あ。
大事なことを聞いていない。
人里まで何日かかるのか。
「ふぉうひえふぁ」
………………え?
舌が……回らない。
口に触れようとして……気付いた。手足の感覚が無い。
身体がふらふら揺れていた。自分の身体なのに制御出来ない。疲れているから……というレベルではない。心と身体が切り離されてしまったかのようだ。やがて揺れは大きな円を描き、揺らめく炎を見ながら、なすすべも無く横倒しになった。
痛みは無かった。
……麻痺か。
「ようやく効いて来ましたか。大分、時間が掛かりましたな」
エンバッハは相変わらず柔和な笑みを浮かべている。
だが、目の前で人が倒れたのに、笑っていられることが異常だ。
そうか。
お前が。
「立場が分かっていないようですな」
「……っ」
腹部を蹴られた。
息苦しくは有ったが、痛くは無かった。
幸か不幸か麻痺で……っておい、嘘だろう。
「痛みは感じられなくてもこれなら分かるでしょう?」
エンバッハが僕の左手の指を握っていた。
「…………」
「…………」
小指があらぬ方向へ曲がった。
エンバッハは僕の瞳を見詰めながら、
――二本。
心が折れるのを指折り数える。
――三本。
……やれやれ。算数なら自分の指を使って欲しいね。
というか、指を折るのに慣れ過ぎだろう。
一体、何人を手にかけて来たのか。
反抗的な虜囚には制裁を加え、扱い易くするのだろう。
――四本。
一つ分からない事がある。
僕に痺れ薬を盛った方法である。
最初から肉に仕込んであった可能性が高い。だが、エンバッハは僕に肉を選ばせようとしていた。僕がどの肉を食べるのかエンバッハには分からなかったはずだ。
さて、そうなると、他に考えられる可能性としては――
――五本。
「……眉一つ動かしませんか」
まあね。
三下に怯えるのは僕の美学が許さない。
ジッとエンバッハの目を見詰める。
エンバッハの瞳が揺れた。
僕の身体は麻痺し、逃げ出す事も出来ない。出来る事はエンバッハの歓心を買う事だけ。だが、指を折られても一向に媚びず。哀れむ眼差しをエンバッハへと向けている。
先に目を逸らしたのはエンバッハだった。
なんとも小悪党だね。
嬲れるのは弱者だけか。
はらわたが煮えくり返る。
ああ、ユニ。やっぱり僕は善人じゃないよ。
指を折られた怒りはまるで無く。
むしろ何故、右手も折らないのか。
そんなズレた憤慨をしているのだから。
「得体の知れない少年です。エルフでもないようですし。おや、このナイフは――」
エンバッハは僕のナイフに目をつけたらしい。
焚き火にナイフをかざすと、感嘆の声がエンバッハから漏れた。
「かなりの業物です。身なりもいい。案外、本当に【七光り】を持って――」
エンバッハは最後まで言う事は出来なかった。
僕が喉元にナイフを突き付けたからだ。
油断し切っていた。背後から忍び寄り、ナイフを奪い取るのは簡単だった。
「あっ、あり得ませんッ? 麻痺していたはずッ!」
エンバッハは肩越しに、驚愕の眼差しを向けて来た。
「動くな」
「…………」
「武器を寄こせ」
「…………持っては――」
「僕は苛ついてる。いいから寄こせ」
「…………」
おずおずとナイフが差し出された。受け取ろうとして……掴めない事に気づく。
はあ。そうだった。左手の指は折れていた。
「落とせ」
落ちたナイフを蹴り飛ばす。
エンバッハがナイフの行方を目で追う。その隙に彼を地面に押し倒す。
エンバッハが僕を睨みつけて来た。ふぅ。『立場が分かっていないようですな』。ナイフの柄で眉間を打ってやる。瞳から敵意が消え、代わりに脅えが浮かんだ。
……おいおい、この程度で怯えるなよ。
「お前と一緒だよ」
「…………え?」
「さっきの問いの答え。考えられてる。先に自分が口にすれば相手は疑わない。皮肉な話だよ。自分の手で痺れ薬盛ってたんだから」
チラ、と先程開いたステータス画面を見る。
+――――――――――――――――――――――――――+
《名前》香辛料(麻痺)
+――――――――――――――――――――――――――+
「そう、痺れ薬は香辛料に入ってた。そこまで分かれば後は簡単。お前と同じ手段で麻痺を無効化すればいい。既に麻痺しているのを無効化出来るかは賭けだったけどね」
普通、他人のステータスを見る事は出来ないのだろう。エンバッハの被害者は何が起きたのか理解出来なかったに違いない。ステータスを覗ける僕だから気づく事が出来た。
エンバッハは【麻痺耐性3】を持っていた。
堂々と痺れ薬を口にしながら、麻痺しなかった理由がコレだ。
そして僕は【咆哮2】を解放し、【麻痺耐性3】を【クラック】した――という訳である。
LV3の消費MPは50。ギリギリだった。MPはすっからかんだ。
ほぼ全快していたから出来た。MPは一時間に一割回復する。
道中、ステータスを見ながら来たので間違いない。
その際、小技に気づいた。ステータス画面を出しっぱなしにしていてもMPの消費はない。あくまで【ウィンドウ】を使う時にMPが消費されるらしい。
視界の一部を占有されるので、使い勝手の悪い小技なのだが。
エンバッハの恐ろしさはスキルの使い方にある。
【麻痺耐性3】なんて地味なスキルを必殺の武器に仕立て上げたのだから。
最も、その武器で確実に仕留められるよう、巧みに誘導されていたのだが。
とある、スキルで。
「僕の質問に答えろ。嘘をついたら殺す。返事は?」
「……わ、分かりました」
「あの冒険者カードは? スキルが全て出るっていうのは嘘か?」
「……嘘ではありません。本物の冒険者カードなら。あれは……偽造して貰った偽の冒険者カードです」
さもありなん。
偽造防止技術を注ぎ込んだお札ですら偽造されるのだ。
あんな金属板一枚、偽造するのは容易いだろう。
「偽造がまかり通るなら。あの話も嘘だったって事? 信頼の証だっていう」
「……嘘ではありません。ギルドで出した場合……ですが」
やられた。僕に知識がないのをいいことに一番大事な情報を隠していたな。
冒険者ギルドでカードの真贋を確認した上で出せば、確かに信頼の証と言えるかも知れない。
「お前が森に来たのはエルフの保護ではなく……売るためだった。そうだな?」
「…………」
そうだと思ったよ。
エルフが滅多に人里に出て来ないなら、好事家に高値で売れるだろうからな。
さて、こんなトコか。
他にも聞きたい事は山ほどあるが。
肉の匂いを嗅ぎつけて魔物がやってくるかも知れない。
そうなれば自衛のためにもエンバッハを解放するしかない。
「僕を人里まで案内しろ。出来るか?」
「…………出来ます」
「誓え」
「我らが祖、喪失神リヴァリースの名にかけて」
信じられる、と思った。
だから、エンバッハの喉を掻き切った。
「がぁぁぁぁぁ!」
激しく血が噴き出した。
エンバッハを突き飛ばす。
喉を抑え、転がるエンバッハを、僕は冷めた目で見おろしていた。
「お前、救えないよ。一番レベルの高いスキルが《詐術》なんてさ。美しくない」
+――――――――――――――――――――――――――+
《名前》エンバッハ
《種族》人
《状態》出血
《スキルポイント》0
《ステータス》
LV:9
HP:35/95
MP:15/38
STR:18
INT:17
VIT:19
MND:25
DEX:19
AGI:18
《スキル》【C:詐術5:105/105】、【UC:短剣4:79/105】、【C:麻痺耐性3:66/75】、【C:夜目3:60/75】、【UNI:教祖3:70/75】
+――――――――――――――――――――――――――+
【咆哮】を受けてスキルの恐ろしさを知った。
知った気になった。
だが、何も分かっていなかった。
アーティリア。
貴方の言う通り、痛い目に合わないと実感出来なかったよ。
もう騙されるものかと構えていたのに、エンバッハの言葉はするりと僕の心に忍び込んできた。
思い返して見れば疑いもせず、肉を口にした事もおかしい。
――そう警戒しないでください。怪しい者ではありません。
あの瞬間、警戒を解かされたのだろう。
しかし、とエンバッハのステータスを見ながら思う。
「……即死しないとは思わなかったな」
これが低STRの弊害か。
状態が出血になっている。
見る見るHPが減って行く。いずれ息絶える事だろう。
「くっ、ぅぅぅ!」
エンバッハが荷物に這って行く。
伸ばされた手を……僕は足で踏む。
「ふぅ、ううぅぅっ!」
「何いってるか分からないよ」
エンバッハは仮面をかなぐり捨て、憤怒の形相を見せていた。
因果応報だろうに。
トドメを刺す気も失せる。
エンバッハの背中に体重をかけ、身動きを封じる。
「【詐術】が十八番なんだろう。自分を助けるよう、僕を騙して見たら?」
「かっ、はあぁぁ、ぅ! はひぁああぅっ!」
「助けろ、かな? うん、助けない。お前に騙された人達も同じことを言っただろうね。応えてやったことあった? ないだろ。でも、礼は言っておくよ。実験に付きあってくれてありがとう。理解出来なきゃ【詐術】も効果は発揮出来ないみたいだ」
エンバッハが動かなくなった。
「死んだふりだろ」
エンバッハが暴れ出す。老人とは思えない力だ。
HPが0になるまで油断はしない。
まともに戦えば負けるのは僕なのだ。
5……4……3…………0。
HPが0になった。
エンバッハの背中から退く。
石に躓いた。木に手をついて転倒を避ける。
死んだ。
いや、殺した。
僕が、この手で。
呼吸が浅くなる。
名状しがたい感情が吹き荒れた。
吐き気がする。
――【カリスマ1】発動。条件に合致した包括スキルを派生させます。
――【冷静沈着】が派生しました。自身の心を平静に――
「黙れ! これは僕が負う業だ!」
――アリスの意思により、発動は取り消されました。【冷静沈着】の効果は発揮されません。
自身の行為を正当化するのは簡単だ。
あのままなら僕は殺されていた。良くて奴隷だ。
正当防衛だけでなく罪人を処罰したという大義名分もある。
エンバッハの【詐術】はカンストしていた。【教祖】スキルと合わせれば、彼の半生を想像するのは難くない。今まで何十人、いや、何百人、何千人と騙して来たという事だ。
だが、そうではない。
僕がエンバッハを殺したのは、彼が気に食わなかったから。
その業を何かに――誰かに転嫁するのは許せない。
「……ふぅぅぅ」
落ち着いた。
が、今度は
「……そういえば……折れてたな……」
滅茶苦茶痛い。
エンバッハの荷物を漁る。片手で。
+――――――――――――――――――――――――――+
《名前》低級回復薬+1
+――――――――――――――――――――――――――+
やはりあったか。
エンバッハが荷物に手を伸ばした時から、もしや、と思っていた。
栓を抜き、一気にあおる。
「…………おお」
逆再生の映像を見ているようだった。
折れていた指が元通りになった。
「……くっ」
膝が落ちた。
おかしい。
気分が。
吐き気が。
何か妙な状態異常がついているのかと、自分のステータスを【ウィンドウ】で――
「…………ぐっ、えぇぇぇぇ」
……嘔吐した。
分かった……気がする。
MPが尽きかけている。
魔力切れ、というヤツか。
MPが0になったら……卒倒間違いなしだな。
「……移動しなきゃ」
エンバッハの死体がある。魔物がやってくるだろう。
重たい身体を引きずって歩き出す。
コン、と何かを蹴とばした。
ナイフだった――エンバッハの。
ふと、振り返る。
焚き火が消えようとする瞬間だった。押しのけていた闇が帰って来る。エンバッハの爪先から闇に呑まれて行く。あたかもエンバッハの存在を食らっているかのようだった。
エンバッハの死体は変わらずにそこにあるはずだ。
だが、目を凝らして見ても闇が広がるばかり。
エンバッハの存在はどこにも感じられなかった。
もう振り返らなかった。
***
「…………ハァ……ハァッ……」
実に……実に長い一日だった。
突如、神と名乗る人物が現れ。
僕が違う世界の人間であると告げた。
誘いに乗って異世界へ転移してみれば。
馬鹿から不可解な試練を課された。
魔物の出る森を警戒しながら進んだ。
狼を追い払う事に成功した。
ようやく出会った人は僕を騙していて。
生まれて初めて人を殺した。
うん、疲れもするよ。
もう……考えるのも億劫だ。
「――――――ッ」
あれ、と思った時には転倒していた。
目を瞬かせると満天の星空が広がっていた。
「………………ハッ、ハッ……ハァッ……ハァ…………」
ひんやりとした地面が気持ちいい。
ああ、まずいな。
眠気が襲って来る。
どれだけ離れられただろうか。
時間の感覚が曖昧で判断がつかない。
目の前が真っ暗になっていた。
知らず、目を閉じていたらしい。
危ない。
星に手を伸ばす。
掴む。
手の中には何もない。
だが、確かに手応えがあった。
焦って森を抜けようとしていた。
生き抜く力が無かったからだ。
だが、エンバッハと出会い、光明が見えた。
明日になれば事態は変わる。
逃げ惑う必要が無くなるのだ。
よし。
頭に掛かっていた靄が少し晴れた。
気力を振り絞り、起き上がろうとし――
「ぶっ!」
――顔面に何かが直撃した。
顔に張り付いた「それ」を剥がす。妖精が僕の手に収まっていた。愛らしい顔を涙でぐしゃぐしゃにし、「マスター、マスター」と僕の手をポカポカと叩いていた。
「ユニ?」
一瞬、夢を見ているのかも知れない、と思った。
普段見ていた通りの姿で、ユニがそこにいたからだ。
「……うぅ、ぐすっ。ますたぁぁ、無事で何よりですぅ」
……手が、べたべたする。涙か……鼻水か。
この色々と台無しにする感じ。
間違いない。
ユニだ。
……なんか、気が抜けたな。
「ごめん。心配かけた」
ユニの頭を撫でる。さらさらの髪だった。
ふへへ、とユニは相好を崩す。
「頭なでなで。夢、でした。夢、叶いました」
「……そう……言えばそうだね」
余りにも自然に手が出た。だから、気付くのに遅れた。
言われて見れば今までユニに実体は無かったのだ。
「転生、おめでとう、ユニ」
「……ありがとうございます」
ユニが満面の笑みを浮かべたので、僕も微笑みを返す。
感動の再会を祝いたいのは山々だが。「はふぅ、間近で見るマスターの笑顔、素敵過ぎますぅ」危機を脱した訳では……ん? ユニが何か言っていたような。
いいか。
十中八九くだらない事だ。
僕は立ち上がり、再び歩き出す。
ユニは僕の頭の上の陣取った。
頭上から他愛のない話が降ってくる。
僕は聞き役に回っていた。
喋る気力が無かっただけだが。
「ですからね、移動し過ぎなんですよ、マスター。何度、ワンちゃんの餌になりかけたか。私を待っててくれなきゃダメですよ」
……いや、だって……アーティリアの【心話】回復してないのに、ユニを送り込めるとは思わないでしょ。
「言い訳は許しません! ぺしぺしの刑です!」
……ごめん。あ、こら、髪を引っ張るな。
「私がここに来れた理由は、アーティリアがカファナを説得したからです。よく分からないんですけどね。昼ドラ並にドロドロしてるみたいです、神様の世界も。色々と思惑があるみたいでマスターに試練を受けさせるのはアーティリアも賛成みたいでした。消極的に、ですけどね。もう始まっちゃったんだし、仕方ねぇなァみたいな感じでした。そこを譲歩する代わりに私の同行を取り付けた、という形みたいです」
……神様の思惑ねぇ。ま、どうでもいいか。関わる気ないし。
アーティリアがカファナを抑えたなら、これ以上理不尽な展開はないだろう。それさえ分かれば天界とやらで昼ドラを繰り広げて貰っていても一向に構わない。
でも、よく僕の場所が分かったね。
「以心伝心ですっ」
ああ、スキルか。
「違いますよ、こー、魂の繋がり的な、あれで、ビビッとですね!」
いつしかすやすやと寝息が聞こえて来た。
人の頭の上で寝られても困るんだけどな。
木にもたれかかると、もう動けなかった。ずるずると崩れ落ちて、座り込んでしまう。
大分、遠くまで来たと思う。
だが、魔物に遭遇する確率を下げただけ。
未だ危険な森の中だ。
寝ている間に襲われたらひとたまりもない。
何か。
何か無いか。
もしかしたら、と閃く。
気分が悪くなるのを承知で、自分のステータスを出す。
取得可能なスキルを出し……あった。
レベルが上がったからか。窮地に陥ったからか。
いずれにせよ、今の状況に最適なスキルが取得出来るのは有り難い。
スキルポイントが勿体ないが……背に腹は代えられない。
スキルポイントは40。
取得出来るのはLV2までか。
スキルポイントが15余る。15? ああ、【クラック】を2に出来るな。
【危機感知2】取得し、僕は意識を手放した。
+――――――――――――――――――――――――――+
《名前》アリス
《種族》人
《状態》正常
《スキルポイント》0
《ステータス》
LV:1→3
HP:70→92/92
MP:72→6/115
STR:13→16
INT:21→27
VIT:17→22
MND:17→23
DEX:23→30
AGI:18→23
《スキル》【UNI:クラック2:25/50】、【UNI:ウィンドウ:0/0】、【R:カリスマ1:15/25】、【C:以心伝心3:50/75】、【C:危機感知2:25/50】【CR:麻痺耐性3:0/0】
+――――――――――――――――――――――――――+
+――――――――――――――――――――――――――+
《名前》ユニ
《種族》妖精
《状態》正常
《スキルポイント》10
《ステータス》
LV:1
HP:20/20
MP:60/60
STR:4
INT:20
VIT:4
MND:30
DEX:20
AGI:20
《スキル》【UC:火魔法3:50/75】、【C:気配探知2:25/50】、【C:以心伝心3:50/75】【C:スキル知識3:50/75】、【C:魔物知識3:50/75】、【C:魔法知識3:50/75】
+――――――――――――――――――――――――――+