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ワールドクラッキング  作者: 光喜
第2章 聖域編
31/31

第16話 エルフ3

「呆けている暇はないよ。勝負は一瞬で付く」

 

 ご主人様の声で私は我に返った。


「――――ッ」


 息が詰まる。空気が重い。

 私が呆けている間に事態は取り返しの付かないところまで進んでいた。高まった緊張は些細な切欠で弾けることだろう。事ここに至っては下手な手出しは逆効果だ。

 私は歯噛みし、ご主人様を睨む。肩を竦められた。腹立たしい。


 ――カァサを倒して初めて忌み子だった自分と決別出来る。


 理屈は分かる。

 だが、それは見得に生きる男の理屈だ。残される女の気持ちを無視している。

 私が言えた事ではないと思うが……確実に勝てるカードがあるのだ。切らない理由が無い。

 イシュは後先を考えない残念なアタマの持ち主だが、勝てない相手に噛み付くようなバカではない。なかった。ご主人様はイシュの意思だというが、自分に感化された結果だとは考えられないのか。あれか。初恋もまだでは好きな人に染まってしまう心理は理解できないのか。だとしても子供が背伸びをしようとしたら止めるのが年長者の役目だろう。

 

「カァサが仕掛ける」


 愉しげな声に腹が立つ。だが、今はイシュの事だ。

 カァサが走り出す。放たれた矢のよう。イシュと重なり――何かを吹き飛ばした。きりもみしながら飛ぶそれ。何回もバウンドし、エルフの人垣に突っ込む。止まった事で正体が分かった。分かってはいたが……イシュだった。

 ……だから、言ったじゃない。


「イシュ!」


 私は巫女だ。カァサもこの場では(・・・・・)私を殺せない。カァサの盾に私は最適だ。

 走り出そうとする私を引き止める手があった。ご主人様だ。

 

「衝撃に合わせて自分から飛んでた。派手なだけでダメージは無いよ」

「どこがですか!」


 説得力の欠片もない。

 イシュは全身を痙攣させ、荒々しい息を吐いている。

 あれのどこを見れば平気だと思えるのか。

 

「ふむぅ。ぷるぷるしてますよ。産まれたての小鹿みたいですねぇ。【コンセントレーション】の副作用ですか、マスター」

「だろうね。カァサの刺突をナイフを重ねて受け止めてた。ピンポイントで。【コンセントレーション】無しで出来る芸当じゃあないよ」

「必殺の一撃を回避するたァなかなか優秀なスキルですね」

「ユニも【クラック】する?」

「発動する度に小鹿になるんじゃ食べてくれって言ってるようなもの……ハッ。マスターになら食べて貰っても構わないですよ! いえっ、むしろ食べて下さい! 香辛料自分で振りかけますから!」

「食べないし。もう食べられないさ」


 相も変わらず緩い会話。普段は頼もしいばかりだが……今は苛立ちしか覚えない。

 ああもう、時間を無駄にした。


「手を離してください。噛みますよ。本気ですから!」


 歯をむき出しにして威嚇するが、ご主人様は取り合ってくれない。


「僕らの出る幕じゃないさ。ほら」


 ご主人様に促され、イシュの方を見れば――


「…………え?」


 イシュをエルフが取り囲んで……いや? 違う。守るように……立って?

 転んだ人がいれば手を差し出す。心配したのなら声をかける。危険が迫っていれば助ける。言葉にすれば当たり前のこと。そう……当たり前の……


「イシュの言葉には嘘がない。だから心に届いたんだろう」

「イシュを嫌い続けるのは変人でもなきゃ難しいですよ」


 ご主人様達が何かを言っていたが、右から左へ抜けて行った。

 

「……イシュを……助けてはもらえませんか、カァサ様。イシュの為じゃなくて、俺の為に。俺、情けなくて。あんなに……酷い事言ったのに……家族だって……死んだら仲直りも出来ません……」


 そう言ったのはエルフの青年だった。率先してイシュを非難していた一人だ。


「……私からもお願いします。どうか」

「……イシュが我らを助けてくれたのは事実だ」


 カァサがやれやれと嘆息する。


「……忌み子を庇い立てしますか」

 

 エルフの青年が仰け反った。イシュが後ろから引っ張ったのだ。

 やはり許しては貰えないのか、そんな諦念が青年の顔に浮かぶ。

 だが、次の瞬間、その表情は凍る。


「……嘘だろう」

「……カァサ様」


 おや、とカァサが首を傾げる。青年を殺した気でいたのだろう。獲物を狩り損ねた牙剣が鈍く光っていた。

 青年の前に立ち、イシュが悲しげに言う。

 

「……カァサ。お前、もうダメなんだな。止まれないんだな」

「お前のせいでしょう。お前が人を惑わすから」


 エルフは複雑な面持ちで二人を見ていた。

 カァサは三賢人として聖域の平和に尽力してきた。イシュは忌み子として聖域に不幸を齎すとされてきた。それが今や聖域に仇を成すのはカァサで、イシュは凶行を止めに回っているのだから。


「……お、俺も一緒に戦う」


 青年が助力を申し出ると、方々から俺も、私も、と声が上がった。

 イシュはポカン、と口を開いた。

 何を言われたのか理解出来なかったに違いない。

 私だって意外の念を禁じえなかった。

 庇っただけならまだいい訳のしようがある。だが、歯向ってしまえば取り返しがつかない。

 言葉が浸透するにつれてイシュの顔が俯いていく。肩が震えていた。イシュはごしごしと目をこする。上げられた顔は涙で濡れ、ぐしゃぐしゃだったが、不思議と美しく見えた。

 イシュは満面の笑みで言う。


「……ありがとな。あ~ダメだ。シンラならもっと上手くキモチ伝えられるんだろうけど。あたし、バカだからさ。思った事しか言えない。だから、ありがとなっ!」

「…………」


 あれ……前が……滲んで。よく……見えない。

 涙を拭う。視界がクリアになり……浮かれ気分が吹き飛ぶ。カァサが怒っていた。

 

「はて、これは一体どういう事です? 揃いも揃って。ふ、ははははは! そォか、そう言う事ですか。貴様ら既に誇りを人族に売り払っていたな! 恥知らずが! 道理で忌み子に協力的なはずですよ! 忌み子を始末したら次は貴方達の番です!」


 無粋な。

 そう思ったのは私だけではなかった。

 イシュは目を吊り上げ、

 

「《旋風烈牙》」


 独楽のように回転する。

 私の顔から血の気が引く。

 ……マズい。イシュは怒りで我を忘れている。

 一瞬だが背を向ける大技だ。

 不意をつかねばカァサには当たらない。むしろ隙をつかれる可能性が高い。

 右のナイフをかいくぐり、カァサはイシュの懐へ。そのまま左のナイフもかわし、無防備なイシュにナイフを突き立てる――かに思えた。だが、そうはならなかった。

 

「…………何が起きた?」

「…………分からん」


 一瞬の攻防を目で終えたのはごく少数だろう。

 私達に分かったのは……相打ちだったという事だ。

 イシュは背中を。

 カァサは肩を薄く斬っていた。

 

「……ご主人様。今……何が起こって?」

「見ていれば分かるよ」


 イシュが右手で攻撃する。やはりステータスが違う。簡単に捌かれてしまう。

 カァサが攻めに転じる瞬間、イシュは温存していた左を混ぜる。右での攻撃が左に変わっただけ。いや、【二刀流】があるとはいえ、効き腕と比べると精度は落ちている……にも関わらずカァサは……オーバーに避ける。

 ……は?


「得体の知れないスキルをッ! ははあ、これが邪神の力ですかッ!」

「バァカ! お前の目が節穴なだけだッ!」

「……イシュ、思った以上に戦えていますね」


 淡々とユニが言った。

 あのユニが茶化さなかったのだ。彼女の驚きぶりが察せられる。

 とはいえ、私も一緒である。混ぜ返す事も出来なかった。

 嘘。嘘。嘘。嘘――

 頭の中を占めるのはそれだけ。


 ――物覚えが悪いと嘆くイシュ。


 私と同じ顔をした少女は、巧みな体捌きで攻撃をかわす。


 ――カァサに蔑まれ、泣きじゃくるイシュ。


 右のナイフを囮にして、不可視の左でカァサを急襲する。


 ――狩りに失敗して落ち込むイシュ。


 過去のイシュ。現在のイシュ。ない交ぜになる。

 不意に分からなくなる。

 知っているはず。

 絶対に知っているはずなのに。


 ――あれは誰だ?


「目を閉ざすな、シンラ。あれが今のイシュだ」


 ご主人様が厳しい目で私を見ていた。

 頬を叩くとぱちん、といい音がした。

 よし、目が覚めた。

 見よう。

 今のイシュを見よう。

 何合かのやり取りを経て確信する。

 

「……カァサは……左腕が……見えて、ない?」

「だから、イシュは《旋風烈牙》で勝負に出たんだろうね。《旋風烈牙》は右で相手に守らせておいて、左でダメージを与える技なんだけどさ、抱きしめるみたいに左腕を身体に巻き込むから、相手はどこから左が飛んでくるか分からない。ただでさえ避け辛い技なんだし、絶対に当たると思ったんだけど……あれ、左腕、見えてるね。でなきゃああも避けられない」

「はい? 言ってること矛盾してますよ」

「左の攻撃をスキルだと思い込むことで見えない物を見てるんだろうね」

「そのワリには戦い方が稚拙過ぎますが?」

「それに関しては本人が言ってた事が答えなんじゃないかな。得体の知れないスキルを奇麗に避けられたらおかしいでしょ」


 狂人の考える事なんて分かんないけどね、とご主人様は吐き捨てた。

 不思議な戦いだった。先手を取るのはカァサなのに、気付くとイシュが有利になっているのだ。カァサが自滅しているようにしか見えなかった。

 だが、そう思うのは素人の浅はかさで。

 口に出してしまうのは、人として浅はかだからなのだろう。

 イシュに加勢するぜ、と息巻いてた青年が


「三賢人も大した事ないのな。俺が加勢すれば勝てそうだぜ」

「よせ。凄まじく高度な読み合いが行われている。とても私達が手を出せるような領域ではない。せめて三賢人並の実力が無ければイシュの足を引っ張るだけだ」


 と、バッサリ切られていた。

 

「……イシュってあんなに強かったか?」

「…………いや。狩りも満足に出来なかったはずだ」

「…………信じられん。強い。強すぎる。イシュに何があった?」


 エルフから聞こえてくる驚嘆の声は……なぜか物悲しく私の耳に響いた。


「なぜ、当たらない!」

「…………」


 カァサが苛立つが、イシュは答えない。

 無駄口を叩く余裕がないのだろう。

 頭痛でもするのか。イシュは顔をしかめていた。

 【コンセントレーション】の副作用? 戦闘を継続出来ているのだから違うか。先程発動した時は疲弊して立ち上がる事も出来なかったわけだから。

 【コンセントレーション】はパッシブスキルだ。

 生命の危機に瀕した時、自動的に発動する。

 つまり、それが発動していないという事は。

 イシュに余裕があるという事なのか?

 あのイシュが? 三賢人を相手に?

 ……いや、思い込みはよくない。目を閉ざすなと言われたばかり――

 

「化けたな、イシュ。【コンセントレーション】で一手目を把握。【直感】で二手目を読む。自分に有利な盤面になるよう、カァサをコントロールしてる」


 ……あ。そう。発動……してるんだ。へぇ……


「チッ。見える事にしたな」


 ご主人様が忌々しげに舌打ちした。


「……見える事に……した?」

「カァサがイシュの左腕を左腕として見だした。呆れるくらい都合のいい狂気だ。いや、自分に都合がいいから狂気なのか」

「マズいじゃないですか!」

 

 イシュのアドバンテージは左腕が見ない、という一点に尽きる。それが無くなったら……趨勢がどちらに傾くかは明らかだ。


「そう慌てない。いったろう? 勝負は一瞬でつくって。もう勝負はついてる。イシュの勝ちでね。左腕が見えないなんてのは単なる枝葉さ。カァサはエルフを皆殺しにしてでも、副作用で弱ってるイシュにトドメを刺すべきだった。三賢人という看板が邪魔をして、それは出来ないと思ってたけど」


 ……はあ。そうですか。もう何が何やら。左腕が見えないのが枝葉なら……一体何が幹なのか。

 ご主人様が苦笑していった。


「イシュのステータスを見てごらん」


 言われた通りイシュを【鑑定】し……目を瞬かせた。

 間違えたのだと思った。

 別人を【鑑定】してしまったと。

 だが、何度見直しても名前は……イシュで。

 あり得ない。

 だって……


「……【コンセントレーション】がカンストしてる!?」

「副作用が強烈だからね。カンストさせないと使い物にならないと踏んだんだろう」

「……あの、ご主人様ぁ? その言い方だと……狙ってカンストさせたように聞こえます」

「そう言ってるんだよ」

「……は、ははは。人が悪いですね、ご主人様、マテルの秘儀を使ったという事ですか」

「【大器晩成】に粗方注ぎ込んだからスキルポイントは残って無かったよ。イシュが自分の意思で【コンセントレーション】をカンストさせたんだ。ほら、よそ見している間に今度は【二刀流】がカンストした」

「………………………………………………え? は? ええ?」


 ……嘘でしょう。本当にカンストしてるし。

 しかし、異常はそれだけでは……というか、異常しか見当たらない。まさかステータスが【偽装】されてる? でも、私の【鑑定5】なら見破れる筈だし……イシュがカァサと互角に戦えている事が、ステータスの正しさを証明している。だけど……信じられない。

 まずスキルの数がおかしい。

 【C:連撃】と【C:直感】なんて知らない。イシュは持っていなかった。毎日ステータスの確認を求められていたから間違いない。

 いや、根は同じなのか。

 異常な速度で上がり続ける熟練度。瞬きする間に数字が変わっているのだ。この調子で上がり続ければ、スキルの一つや二つ取得していてもおかしくは……ない。

 ない……けども。

 そもそも、だ。

 熟練度はそうそう上がるものではない。

 一日中特訓しても1上がればいい方だ。

 ……一体、イシュの身に何が起こっているのか。

 

+――――――――――――――――――――――――――+

《名前》イシュ

《種族》エルフ

《状態》正常

《スキルポイント》11

《ステータス》

 LV:11

 HP:39/60

 MP:35/35

 STR:17(11)

 INT:17(11)

 VIT:21(14)

 MND:24(16)

 DEX:32(21)

 AGI:33(22)

《スキル》【CR:決闘3:0/0】、【CR:ショウタイム4:0/0】、【CR:武運5:0/0】、【C:短剣6:155/175】、【UNI:大器晩成5:105/105】、【C:二刀流5:105/105】、【C:コンセントレーション5:105/105】、【C:連撃2:39/50】、【C:直感4:77/105】

+――――――――――――――――――――――――――+


 どれだけステータスを眺めていただろうか。不意にステータスが頭に入って来るようになった。皮肉な話だと思う。考えない方が理解が進む。もう考えるのに……疲れてしまったのだ。

 分かった事は……ご主人様にしてやられた、という事だ。

 内心、ご主人様の事を人でなしと罵っていたが……私が気付かなかっただけで手助けしていたらしい。【決闘】と【ショウタイム】がイシュのステータスを底上げしていた。

 後は【武運】か。

 熟練度にボーナスを得るスキルだ。

 異常な上がりを見せる熟練度のからくりが見えて来た。

 だが、【大器晩成】と合わせても、異常な上昇だと言うしかない。


「【武運】に気付いたかな?」


 ……なぜ分かるのか。

 私の頭の中を見ていたかのようなタイミングだ。

 左腕が見えないだけで、こんなに変わるなんて!? と思っていた事もバレていて。にやにや見られていたのだろうか。だとしたら……オシオキしてあげないといけませんね。


「【武運】に【大器晩成】。カァサには【指導5】を。後は僕の【カリスマ】派生の【導き手】。熟練度にボーナスを得るスキルが四つ発動している事になる」


 ……いつの間に【指導】まで。


「…………いえ、ね。【クラック】の神髄は組み合わせの妙だとは言いましたよ。ですが……これは……なんていうか……ズルいです」

「でもね、四つのスキルは後押ししただけ。キモは【コンセントレーション】だ」

「……熟練度には関係ないスキルですよ」

「なら、問おうか。人が急激な成長を遂げるのってどういう瞬間?」

「生命の危機に瀕した時……でしょうか」

「そうだね。イシュが【コンセントレーション】を習得したのもそういう状況だった。さて、【コンセントレーション】はどういうスキルだったかな?」

「……集中力が増すスキルですか。イシュが言うには一瞬が引き伸ばされ……まさか!」


 ご主人様がよく出来ました、とほほ笑む。

 死神の手に触れられる刹那、人は爆発的な成長を遂げる。【コンセントレーション】はその刹那を何倍にも引き伸ばす。そこへ熟練度にボーナスを得るスキルが加われば……

 ……んん? それってつまり……


「今も死にかけてるって事じゃないですか!」

「綱渡りだねぇ」

「笑いごとじゃありません!」

「…………はい」


 私の焦りが伝わったのか。

 イシュが攻撃を避け損なった。脇腹が抉られ、血が舞った。

 方々から悲鳴が上がる中、場違いな声が聞こえた。ご主人様だ。

 

「……凄まじい思い切りの良さだな」

「……どういう事ですか?」


 即座にご主人様に解説を求める。

 下手の考え休むに似たり、だ。良く分かった。私は分かりやすい答えが有ればそれに飛び付いてしまう。


「このままでも勝てただろうに。イシュは勝負を決めに来た。敢えて一撃食らって【窮鼠】を取った」


 【窮鼠】。HPが減少する程にステータスにボーナスを得るスキルだ。


「……本当に【窮鼠】が増えてる」


 だが、なぜ【窮鼠】を?

 【決闘】と【ショウタイム】があるのに。クラックしたスキルは伸びが早いと言うし……ああ、そうか。二つとも【短剣】系スキルじゃないから。違う系統のスキルは取得出来ない訳ではないが、やはり本職と比べると習得し辛いとされている。


「……ステータスで勝てないならスキルを伸ばせばいい。突破口が欲しければ新しいスキルを手にいればいい。どうやら今のイシュならそれが出来るらしい。手に負えない」

「……イシュに勝てる気がしないというあの言葉……本音、だったんですか……」

「負ける気も無かったけどね。ただ……これを見てると……自信なくなるなあ」


 熟練度の伸びは確かに異常かも知れない。しかし、誰にでも真似できる芸当ではない。常に死の瀬戸際に身を置くのは……少なくとも私では無理だ。

 不意に涙が一滴流れた。

 それは鱗だったのかも知れない。

 目から鱗が落ちると言うから。

 やっと気付いたのである。

 もうイシュは一人立ちしている。

 私が守ってあげる必要は……ない。

 なかなか認められなかったのは……子供じみた独占欲があったから。

 イシュにはいつまでも手のかかる妹でいて欲しい――そんな願望があったらしい。


「……イシュ。今更かも知れない。でも、言わせて――」


 本当は最初にこれを言うべきだった。


「――勝って」

「もう終わる。【窮鼠】が発動した。ステータスもカァサに並んだ」


 イシュが躍動する。その背中に翼を見た。


「《双牙――」


 二本のナイフがカァサの腕に噛みつき――


「――絶咬》!」


 ――断ち切った。


「がぁぁぁぁぁァァ!」


 腕が落ちた。

 カァサは腕を抑えて蹲る。それでも衰えない敵意をイシュに向けていた。


「……もういいだろ、カァサ」

「……何が! 何がいいものか! 貴様は自分のしている事が理解できていない! 私を殺したら一体誰が聖域を守ると言うのか! 今まで慈悲をかけてやった恩を忘れたのか! 嗚呼、長老の言に逆らってでも忌み子なぞ殺しておくべきで――」


 カァサは最後まで言う事は出来なかった。

 言えないだろう。首が落とされては。

 いつの間にかご主人様が刀を抜いていた。

 イシュの手からナイフが落ちる。


「……なんでだ、アリス」

「負け犬の遠吠えだ。聞く必要はないよ」

「でもッ! ……でもッ!」


 イシュは目に涙を浮かべ、ご主人様の胸を叩く。上手く吐き出せない言葉を、拳に乗せているように見えた。


「君は罪を背負うには幼すぎる」


 ふと、イシュが意識を失う。本当に唐突だった。

 ご主人様も予想出来なかったようだ。

 慌ててイシュを抱きとめる姿が微笑ましかった。

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