第14話 エルフ1
丘の上でユニが突っ伏していた。
ピクリとも動かない。人差し指が土で汚れていた。地面に文字が残されていた。
――マスター。
目を瞑り、虚脱感を堪える。
……なあ、ユニ。僕はお前が分からないんだ。遺言のつもりかも知れないけど、どう見たってダイイングメッセージだから、それ。取り合えずメッセージを本当の事にしてあげればいいのかな。絶対に違うんだろうな、と思いつつ、この考えが正しいと決め付ける。
イラついたから。
ユニを踏もうと足を上げた時である。
「ユニ!」
イシュが駆け寄り、ユニを抱きかかえ、「平気か」と揺すり出した。
ふと、孤児院の子供を思い出す。人形遊びの好きな男の子がいたのだ。人形同士を戦わせて遊んでいた。何故、思い出したかと言えば、彼の人形は大抵頭が無かったからだ。
……ユニの首、取れないよな。
思わず不安に駆られるが……自業自得だし、放っておく事にする。
暫くして……ユニはパチっと目を開け、ぺい、とイシュの手を払った。
呆気に取られるイシュを尻目に、ユニは「ますたぁぁぁ!」と飛び立つ。
当然、叩き落す。
ユニは潰れた体勢から、ぐぐぐ、と顔だけを上げる。
「なっ、何をするんですか、マスター! 感動的な再会シーンですよ!」
ユニが無事なのは【以心伝心】で分かっていた。
労いの言葉を考えていたのだが……茶番を見た瞬間に吹き飛んだ。
世界広しといえどこうも上手く僕をイラつかせられるのはユニだけだろう。
……いや、褒められた事ではないんだけどね。
「ユニ……無事だったのか」
戸惑うイシュにユニは指を突き付ける。
「イシュのおかげでプランが台無しです! ラブロマンスな展開がコメディに……ハッ。傷一つ、ない。まさか、これは……コメディ補正!? ハンマーで殴ってもコメディだから死なないというアレ。そう考えれば……イシュ、貴女は私の命の恩人です。ラブロマンスであれば私は命を落としていたかも知れません。んん? でも、コメディだからマスターに叩かれたワケで……やっぱりイシュ! 謝ってください! 私に!」
「え? あ、あたしが……悪いのか?」
「素直に謝れない子は嫌いです。マスターは」
「そ、そうか。ごめんな、ユニ」
「ユニぃ。僕の名前を使わない」
なんでもユニの計画では感極まった僕がキスをする予定だったらしい。それを潰してくれたイシュに恨み骨髄だったが……僕の頭の上に乗っけてやると機嫌を直した。
流石、ちょろインを目指すだけある。そう思わせるチョロさであった。
というか。
なぜ、あの茶番で僕がキスする事になるのだろう。
ユニの頭はお花畑なのか。
そう言うと「褒めたって何も出ませんよ、マスター!」と嬉しそうだった。イシュが「あたしだってお花畑なんだからな!」と対抗して来た時は目の前が真っ暗になった。
広場に戻るとシンラが待っていた。
「ねぇ、シンラの頭はお花畑?」
「はァ?」
ドスの効いた声。
うん、美人が凄むと恐ろしいね。
シンラの肩を叩き、
「期待通りの反応をありがとう。普通、バカにされたって思うよね。数の暴力で僕がおかしいのかな、って思い始めててさ。世界が違えば意味合いも変わるのかなーと」
「…………はぁ」
首を傾げるシンラだったが、にへらと笑っている二人を見て、何かを察したのかため息を吐いた。ユニが担っていた相棒の立ち位置を、着実にシンラが奪いつつある。
「そっちはどうだった?」
「狩りました。粗方。多少逃しましたが時間の問題です。聖域からは出れませんから」
「それは心配してなかったかな」
僕がそういうとシンラは苦い顔になった。
「正直、風向きはいいとは言えません。人族への嫌悪は一朝一夕で拭いされるものではありませんし。ジャイルズが防波堤になっているので、ご主人様に牙を剥く事はないと思いますけど」
「ジャイルズか。元三賢人なんだろう。少し意外だったな」
「彼も三賢人だった頃は典型的なエルフだったそうですよ。聖域を守る心構えとして長老から徹底的に人族への嫌悪を叩き込まれたそうですから」
「人をまとめるには外敵を作るのが一番だからねぇ」
「実際、人族が危険だと言うのは嘘ではありませんし」
「まぁね。三賢人は聖域を守る砦みたいだし。情に流されたら危険を招きかねない」
エルフのやり口は効果的だが短絡的だ。
種族が対立すれば待つのは血を血で洗う争いだ。歴史が証明している。聖域が外界と隔絶されていたため問題が表面化しなかったに過ぎない。
結界も永遠に持つとは限らないのだ。
あのカファナが張った結界らしいし、ある日ひょっこり切れてもおかしくない。
とはいえ、それはカファナが初対面でユニを人質に取るような、信頼のできない人物だと僕が知っているからで。
開明的な思想のシンラでさえ、【信仰心】のスキルを持っているのだ。
グロウフェントの住人にとって神とは絶対的な存在なのだろう。
「ジャイルズが考えを改めた切っ掛けはなんだったのかな」
「ご主人様に感銘を受けたという事もあるようですが、三賢人を辞してから子供を指導する役に就き、思うところがあったようです」
「そう言えば彼、【指導】持ってたっけ」
「ええ、優秀な教師だったみたいですよ。伝聞ですが。私達は彼の指導を受けていませんから」
【指導】は訓練の効率を上げるパッシブスキルである。【指導】持ちに相手をして貰うと、熟練度の上りが早くなるのだ。スキルレベルが5ともなると倍速で上がる。自身を鍛えるのには役に立たないが、地味に便利なスキルである。
シンラ達が訓練を受けていなかったのは、【洗礼】を受けてからでないと駄目だと言われたかららしい。訓練は洗礼を受けた子供に行われるものであると主張したのだ。
何を言っているのか、という感じだが。
【洗礼】を受ければ【鑑定】でスキルが見れるようになる。スキルを明確化させた方が訓練の効率もあがる。後は身体が出来上がるタイミングが洗礼と一致しただけ。
まあ、難癖をつけたかっただけなのだろう。
それは兎も角として。
ある日、ジャイルズは洗礼について疑問を抱いたという。
正確には【洗礼】を齎したマテルに対して、である。
マテルは神だと言われている。
しかし、自分は人族だと語っていた、ともいわれている。
エルフはマテルが神だと信じているが……もしマテルが人族だったのだとしたら。
人族の手助けで今のエルフがある事になる。
その時、彼が抱いた疑念は小さなものだった。だが、考えを見直す切っ掛けには十分だった。なぜ人族を憎むのか己に問い質せば、根拠は長老の言葉しかなかったからだ。
「詳しいね、シンラ」
「本人が語っていましたから」
「ふぅん。ジャイルズも同じことを考えたのか」
「……同じこと……ですか?」
「ガチガチの思想を持ってたジャイルズが変われたのなら、同じ切っ掛けを与えてやれば他のエルフも変われるかなって思ったんだけど。ジャイルズにしか理解出来ない切っ掛けだったみたいだね」
「そうですか?」
「フェム。いたろ」
「ええ」
「彼女は人族に嫌悪してる様子は無かった」
「まだ幼いですから」
「うん、まっさらなんだろうね。彼女だけじゃない。誰だって最初はそうだ。さて、そんな彼ら、彼女らをジャイルズは鍛える。聖域は平和みたいだし、身体を鍛える理由を見出せない子供もいるだろう。遊びたい盛りだ。サボることだってあるかも知れない。だが、ジャイルズは悩む必要は無かった。日に日に子供たちは訓練に熱を入れるようになって行ったんだから。疑問に思ったジャイルズがなぜかと問う。目をギラギラさせた子供達はこう答えた。早く人族を倒せるようになりたい、と。まぁ、想像でしかないけどさ。でも、近い事はあったんじゃないかな」
「…………恐ろしいですね」
「この怖さはジャイルズしか理解出来ないだろうねぇ」
そんな話をしながらジャイルズを見れば、彼は人族への認識を改めるようエルフに説いていた。年齢が読めないので何とも言えないが、多くはジャイルズの教え子なのだろう。慕われているのが分かった。先生、妄言吐いてるけど、頭大丈夫かなあ、というように。
「ずっとあの調子?」
「……はい」
「……そう」
こうなる事は分かっていたのだが。変わってくれる事を期待してたのか。
「ん?」
ふらり、と幽鬼のような足取りで、ジャイルズに近づく青年がいた。
「嘆かわしい。元とはいえ、それが三賢人の言うことですか」
「…………カァサ」
シンラが険しい顔で言った。
そうか、アレがカァサか。
拘束したとはいえ三賢人は脅威だ。満足に食事を与えられていなかったのだろう。かなりやつれていた。
「……無事だったのか、カァサ」
「――ッ。私が人族に害されるとでも?」
人族に負けたから捕まっていたんだろうに。
無駄にプライドが高そうだ。
「ジャイルズ。あの人族を殺しなさい」
「……何を言っているんだ。我らを救ってくれた恩人だぞ」
「それが? 人族でしょう」
「……我ら、エルフは……恩知らずではない筈だ」
「恩? 恩なんてどこにあります。元をただせば人族がしでかした事ですよ。命を持って償わせるべきでしょう」
「彼は襲撃に加担していない」
「誰がそれを証明できます? いいですか、これは温情なんですよ、ジャイルズ。あの人族を殺せば先の発言は聞かなかった事にしてあげます」
「カァサ!」
「怒鳴りたいのはこちらですよ。いつまで三賢人のつもりでいるんですか」
僕の事を話しているのに、カァサは僕を見ようとしない。無視をしているのではなく、眼中に入っていないようだ。
「どうしても殺せないというのですね」
「……ああ」
「残念ですよ」
心底、沈痛そうにカァサが言った。
だから、誰しも見逃してしまった。
「…………え?」
悪い夢を見ている、そんな面持ちでジャイルズは目を落とす。ジャイルズの腹にナイフが生えていた。ナイフを伝う血がカァサの手を赤く染めて行く。
「……カァァァサ!」
ジャイルズがカァサに掴みかかろうとするが――カァサの方が早かった。
カァサはジャイルズの首にナイフを突き立てる。二度、三度。ナイフが光っていた。恐らくは【短剣8】――《クリミナルエッジ》。一定時間、クリティカルのダメージを増加させるアーツだ。無慈悲に命を刈り取る最中も、徹頭徹尾カァサに殺意は無かった。
カァサにとってこれは殺人ではないのだろう。
堕落した仲間へ与える慈悲なのだ。
……反吐が出る。
「…………愚か……な……すま、ない……」
ジャイルズの瞳から意思の光が消えて行く。
最後の力を振り絞り、ジャイルズは僕に詫びる。
……謝らないでくれ。僕の方こそすまない。止められなかった。
握りしめた僕の拳をシンラが両手で包みこむ。シンラが首を小さく横に振る。
……ああ、分かっているさ。僕のせいじゃないってことぐらいは。
「…………」
「…………」
カァサにエルフが詰め寄っていた。理由を問いただす声が大半で、カァサを詰る声は少なかった。如何に三賢人が影響力が持っているかが分かる。
カァサは泰然と立っていた。何故、問い詰められているのか分からない、というように。
「聖域の敵を排除するのが三賢人の役目でしょう?」
それはあまりにも場違いな笑みで。
エルフに感じる歪みを――体現した存在がそこに、いた。




