第4話 シンラ1
――シンラ!
「――イシュ!」
叫びながら立ち上がる。手をついたテーブルがガタガタ音を鳴らす。幼い頃、二人で作ったテーブルで足の長さがまちまちなのだ。暫くして静寂が帰って来た。
私を呼ぶ声は――聞こえなかった。
首を振りながら椅子に腰を下ろす。
眠れない日が続いていた。うとうとしていたらしい。
「ふふふ。疲れていますね、私も。イシュがいるはずないのに」
ここはイシュと一緒に作った隠れ家だ。
最初は子供の他愛のない遊びだった。
しかし、改築を重ねているうちに簡素だが家と呼べるまでに整った。
「こんな風に役に立つ日が来るとは思いませんでしたけどね」
椅子にもたれかかりながら、これまでの事を思い出す。
――三カ月前。
異変は目に見える形で始まった。見知らぬ魔物が聖域に現れたのだ。
魔物は変異体と呼称され、森の魔物より手強いと言う。以後、散発的に変異体が現れるようになったが、幸か不幸か家が外れにある為、我が家は変異体の騒動とは無縁だった。
討伐に当たったのは三賢人を筆頭とした戦士たち。
変異体による被害者は出なかったが……森へ逃げた何名かが戻ってこなかった。
なかなか帰って来ない事に業を煮やし、有志による森の捜索が行われ――人除けの結界の暴走が確認された。森へ行こうとしていたのに、気付くと聖域へ戻って来ているのだ。
侵入を拒む筈の結界が人を閉じ込めるための檻へと変貌していた。
変異体の登場と時を同じくしてである。
何らかの因果関係があるのは明らかだったが……原因を突き止める事は出来なかった。この時は。
捜索は一週間で打ち切られた。
――二カ月前。
聖域から人が失踪する事件が起こり始めた。
森へ出かけ、帰って来ないのだ。
果実を取りに。魔物を狩りに。或いは気分転換に。
森へ出向いた理由は様々。
だが、彼らには共通点があった。
変異体の襲撃に酷く怯えていたことである。
これを基に一つの仮説が立てられた。
仮説を裏付けたのは過去、聖域に辿り着いた人族の共通点である。彼らは聖域を目指していたわけではなく、単純に森で迷った結果辿り着いたと証言していたのだ。
つまり、結界は人の思いに反応し、願いを叶えないよう働く。
出たいと願えば出られず。
出たくないと願えば出される。
――そして一カ月前。
イシュが姿を消した。
忌み子では無いエルフの捜索も打ち切っているのだ。
イシュの捜索を願い出たところで受け入れられる筈がなかった。
……だが、言わずにはいられなかった。
「ようやく忌み子の自覚が出来たのだろう、ですって? ああ、思い出すだけでも腹が立ちます」
清々した顔をする長老達に呆れて物が言えなかった。
最低限の仲間意識はあると思っていたのだ。
手を汚すのが嫌だっただけ。早く死ねと思っていたらしい。
イシュには味方がいない。そう思っていたが……考えが甘かった。
イシュには敵しかいない――これが正解だったようだ。
以来、私は無駄だと知りつつ毎日森へ出かけては……戻されるという事を繰り返していた。
――十日前。
聖域が陥落した。
私は一部始終を影ながら見ていた。日課となった聖域からの脱出。その日に限って迷いに迷い……戻って来れたのは夜だった。すると聖域を囲む人族の群れを発見したのだ。
後程、彼らは《ダリオ》という盗賊ギルドだと判明する。
《ダリオ》は聖域を夜襲した。
【危機感知】を持つエルフは襲撃を察知していたようだが、全域に警告が回るには時間が足らなかったようである。
結局、奇襲を許した。
私は何度も長老達に具申した。
歩哨を立てるべきであると。
人族がエルフの奴隷を欲しているのは有名だ。
だが、意見は却下された。
人族が聖域に辿り付けたとしても一人か二人。その程度の人数は恐るるに足りず、という事らしい。
聖域が狂い始めている以上、今までの常識は通用しない。
その事を理解しようとしないエルフが多すぎた。
長命であるが故に……長老達の頭は固い。彼らの手足となる三賢人もその気質に毒されている。若いエルフになれば比較的柔軟だが……発言力に欠けた。
惨劇は長すぎる安寧に胡坐をかいた結果と言えた。
当初、《ダリオ》とエルフの戦いは五分五分で展開した。
奇襲は受けたが盛り返す事が出来たのだ。
今となってしまえば負け惜しみだが……《ダリオ》の人族は然程強くなかった。
だが、狡猾だった。
実力で勝てないと分かると人質を取ったのだ。
逆に《ダリオ》を人質に取ると、むしろ殺せと囃し立てて来る。
人質を無視して戦うエルフも多かった。どうせここで敗れれば全員虜囚となるのだ。しかし、そういった骨のあるエルフは、次々に戦闘不能に追い込まれて行った。
珍しい武器を使う一人の人族によって。
刀と呼ばれる武器だ。
珍しいのには幾つか理由がある。
最も大きな要因はデメリットだろう。
【両手剣】に属しているにも関わらず、アーツを使用する事が出来ないのだ。
厳密に言えば使えるが実用に堪えない、だが。
刀は非常に繊細な武器であり、未熟な者が振るえば数度の打ち込みで刀身が曲がる――そう言われているほどである。故に【両手剣】の力任せなアーツを放てば、敵よりも先に刀身を傷つけてしまうのだ。
三賢人を倒したのも彼の刀だった。
タイミングが悪かった。
三賢人は本調子ではなかったのだ。
変異体の討伐で疲弊していた。
隠れて【鑑定】してみたところ、刀使いのステータスは三賢人に一歩及んでいなかった。まあ、三賢人が本調子でもいい勝負の出来る手練なのは確かだが。
三人揃っての敗北は免れただろう。
刀使いは先生と呼ばれていた。
用心棒らしい。
聖域の陥落を見届けた私はこの隠れ家に逃げて来た。
以来、果物と水を取りに行く以外は、隠れ家でジッとしている。一度だけ聖域の様子を見に行ったが、《ダリオ》はエルフの美女をはべらせ、飲めや歌えの宴会を開いていた。
「英雄が現れて私を救ってくれないかしら」
言ってから苦笑する。
イシュの言いそうなことだ。
かなり夢見がちなのだ、イシュは。
窮地を颯爽と救われた日にはコロリと参ってしまうだろう。尽くすタイプでもあるので、悪い男に引っ掛かったら泥沼にはまってしまいそうで……ふふ、笑えませんね。
ふと、苦笑を浮かべ……私は首を傾げた。
「声が聞けたのが良かったのかしら? 不安で胸が潰れそうだったのに……なんだか……楽……」
もう一度声が聞きたい。
それが幻聴であっても――
「お~~~~い! いるか、シンラ!」
……声が、した。都合のいい耳だ。
私は苦い思いを噛み潰しながら返事をする。
「いますよ~」
「声ちっちゃいなぁ、もぉ。上がって行くからな!」
「はいはい……って。は~~~。ナニやってるのかしら。幻聴と会話するようじゃ――」
音が聞こえた。トントン、と。梯子を登る音である。隠れ家は樹上にあるのだ。
吹き飛ばす勢いで扉が開かれた。陽光を背にイシュが立っていた。
…………やれやれ。都合のいい耳と目ですコト。幻聴の次は幻覚ですか。
「よかった、無事だったんだな、シンラ!」
呆然としていると……イシュに抱きしめられた。
…………温かい。というか、痛い。
瞬きする。何度も何度も。
……イシュは……消えなかった。
「…………えぇ、無事ですケド……イシュ……なの?」
問いかけながら、イシュはこんなに力強かったかしら? とどうでもいい事を考えていた。
「なんだよ、シンラ。あたしのカオ忘れたのか」
イシュがふくれっ面になる。
「……いえ……だって…………」
言葉が出てこない。
正直に言おう。イシュの生存を絶望視していた。森の魔物は弱いとはいえ、イシュが勝てる相手ではない。仮に森を抜けられたとしてもそこは人族の版図である。更なる地獄が待っている。
もう二度と、笑顔は見れないものだと。
なのに……満面の……笑みで。
「反応薄いなァ。あっ、そうだ。ふっふっふ。見て驚け! じゃ~~~ん!」
イシュは離れると……両手を大きく広げた。
……………………両手、を?
「ねぇ。貴方、本当にイシュ?」
「……ホントに忘れたとか言うなよ」
「だって……貴方。腕、なかったじゃない」
「ああ。なんか、生えて来た」
「…………はっ、生え……?」
その答えを聞いた瞬間、私はイシュを抱き締めていた。
「イシュ! 本物なのね! 良かった!」
イシュが困ったように笑う。
「……ごめんな。心配かけて……さ。でも、急に。なんで信じてくれたんだ?」
「だって! この底抜けの馬鹿っぽさ! イシュ以外にありえないもの!」
腕が生えて来たとか。トカゲか。
「…………おまえさー。あたしのコト心配してなかっただろ」
「馬鹿ね、イシュ。心配してたわよ。こうして……幻覚を見るぐらいに」
私が悲しげな表情を浮かべると、イシュが慌て出した。
「いる! いるぞ、あたし!」
「冗談ですよ。相変わらず騙されやすいですね。ステータス見えてますし、いるのは分かってます。それに……しても…………見ない間に……ずいぶんと……レベ、ルが…………………………………………はぁ~~~?」
目をゴシゴシ擦る。ステータスは……変わらなかった。
「レベル……11ぃ!? 【短剣4】に【二刀流1】!? どぉいうコトなの、このレベルとスキルはっ」
【コンセントレーション】はまだ分かる。【短剣】系スキルだ。それを言うなら【二刀流】もそうだが……そうではなく。挙げた二つは見た事のないレアリティなのだ。
CR?
なんだ、それ。
「レベルはがんばった。スキルはアリスから借りた」
……がんばっ……なんて、馬鹿馬鹿しい答え。
二重の意味で。
返答自体がアホっぽいという事と、そう簡単にレベルが上がれば苦労しない。
「いえいえ。おかしい。おかしいですから。はあ。いいですか、二、三日に1レベル上がってますよ。計算すると」
「おぉ、だいたい毎日上がったぞ」
「……イシュ、親指を折ってください。これが一。次は人差し指。これで二です。次に――」
「バカにするなっ。数ぐらい数えられる!」
「ああ、そうだったんですか。余計なお世話でしたね。てっきり数え方を忘れてしまったのだとばかり」
「あたしのことバカだと思ってるだろ」
「違うんですか?」
「そーだケド。てゆーか、あー? おーおー! わるい。シンラ、フツウだった。おかしいコトいってるのあたしの方だよな。あー、あたしも毒されたなあ」
イシュがしきりに頷く。
「なんですか、物わかりのいい。気持ち悪いですね」
「久しぶりなのに……容赦ないなあ、おまえ。シンラの毒舌も懐かしいなあ、って思ってたけどさ。ぜんぜん。イラッと来る」
あ。へそ曲げましたね、これは。
イジりすぎてしまいましたか。
だが、こうしたやり取りも懐かしい……そうイシュも思ったのか、苦笑を浮かべた。
「あ、そーだ。シンラ、あたしのステータスどうなってる? ユニークスキルあるらしいんだけどさー」
「…………」
……言い辛い。
だが、イシュの言い方からすると、ステータスを見れる人がいるようだ。
誤魔化してもすぐにバレるか。
「落ち込まないでくださいよ。【大器晩成】です」
「どんなスキルなんだ」
「なにぶんユニークスキルですからね。正確なトコは私にも分かりません。昔、このスキルを持っている人がいたそうですが……イシュと同じように成長が遅かったそうです」
「はぁぁぁ? ダメじゃん、シンラ」
「私が駄目みたいにいわないでください。極めることで真価を発揮するのだと思いますが……」
「あ、それでいいのか。アリスに言って取ってもらう」
「いーい、イシュ? スキルは狙って取れません」
「出来るぞ、アリスなら」
「……そう言えば誰ですか、アリスって」
「ああ。あたしを助けてくれて、腕も生やしてくれた人族の男だ」
イシュをまじまじと見る。可哀想な人を見る目で。
だが、すぐにいけない、と気持ちを改める。
……恐らく……酷い目にあったのだろう。心身ともに深い傷を負い……幻想に逃げ場を求めてしまったのだ。だが、それをどうして私が責める事が出来よう。
アリスというのもイシュが生み出した想像上の英雄なのだろう。
忌み子のイシュを助けただけではなく。
コンプレックスだった左腕を与え。
あまつさえスキルを貸し出してくれたという。
……夢見がちだとは思っていたが……幾らなんでも設定を盛りすぎだろう。特にスキルの貸し出しというのは新しい。イシュの頭でよく考えたものである。
考えて見ればイシュの明るさは度を越していた。
以前も明るかったが……根底には鬱屈した思いがあった。
それが奇麗さっぱり払拭されていた。
「……イシュ。辛かったんですね。私に甘えてくれてもいいんですよ」
「………………どうした、シンラ? 悪いもの食べたのか?」
こめかみが引きつる。
……なんで私が逆に心配されなきゃいけないんですか。
ああ、優しく接してあげなければ。
少しずつ現実へ目を向けさせてあげるのだ。
「イシュ! 平気?」
外から知らない声がした。男の声だ。イシュが血相を変えた。
もしや、危ない相手か。と、思ったのも束の間……
「わ、わるい。アリスのトコ行って来る。えっと、な。さっき、家帰ったら。知らない男がいて。あっ、アリスが助けてくれたんだけどな。でも。あ、アリスが心配しちゃって……」
……のろけ? のろけですか?
飛び出して行くイシュを見送り……沸々とナニカが湧き上がってくる。
ぺったんこに春が? 私よりも早く?
ああ、いけない。決め付けるのは早い。まだ、相手を見ていない。
イシュの事だから……ダメ男に引っ掛かった可能性も。
ええ、きっとそうに違いありません。
というか……本当にいたんですか、アリス。
イシュはまだ十一歳である。
考えが足りなくて騙しやすい――まあ、そこがイシュの可愛いトコですが――いたいけな少女を誑かすクズの顔を拝んでやろうと窓から顔を出し――
「あら、やだ。かっこいい」
感嘆の声が漏れた。
……困った、好みだ。
イシュが女のカオをするはずだ。
あれがアリスか。
イシュが犬みたいにアリスに駆けて行く。尻尾を振っているのが幻視出来る。
対してアリスは……非常に淡白な感じだ。
なんだ、イシュの片思いか。
少し……ホッとした。
……と、気を許したらいけない。
「まだ、ダメ男という可能性が消えてませんから」
アリスを【鑑定】する。
「…………」
本日何度目になるか分からないおめめゴシゴシである。
「なんなの、これはっ!」
ステータスが馬鹿みたいに高い。レベル12? レベル22の間違いではなく?
ステータスの伸びは個人差があるが……天才の一言で片づけていいものか。
スキルも多い。これはよくある事。だが……軒並みレベルが高い。これは珍しい。
長命なエルフならまだしも人族が? あの若さで?
いやいや、違和感しか覚えない。
幾つかのスキルのレアリティがCRだ。コレに何か秘密があるというのか。
或いは……【偽装】?
それにしては……スキルを隠してない。
「だったらブラフ?」
今、私が困惑しているように。
でも、それは相手がステータスを見れる事が前提か。
なら、スキルは本物?
【カリスマ】。先代の三賢人が持っていた。優秀なパックスキル。ただし、レベルを上げるのが非常に難しい。英雄的な行動を行う事で熟練度が上がるからだ。
それがレベル2か。
でも、不思議ではないのか。英雄の階に足をかけていても。
ユニークスキルを二つも持っているのだから。
【クラック】に【ウィンドウ】?
聞いた事もない。
世界中を探せばこんな英雄が一人や二人は……いる……いないですね。ええ。
いずれにせよ、都合よく現れる確率は……ないだろう。
英雄を望んでおきながらアレだが……ハッキリ言ってすごく胡散臭い。
輪をかけて印象を悪くしているのが……まあ、その事は後で問い質せばいいだろう。
「……いけない」
イシュの姿を眺めていたら涙が浮かんで来た。
張り詰めていた糸が切れてしまいそうだ。
しかし、イシュの姉として恥ずかしい所は見せられない。
アリスとやらには言いたい事が山ほどあるが。
イシュを助けてくれたのは確かなようだし。
「歓待してあげないといけませんね」
私は茶会の準備を始め――首を傾げた。
「痺れ薬はどこだったかしら?」




