第3話 救われたのは
剣が引かれた。甲高い音が鳴る。
「あァ? てめぇ、何モンだ?」
《黒尽くめ》が問う。アリスは答えない。二人の眼差しが交差し火花を――散らさない。アリスの目の焦点が微妙に《黒尽くめ》からズレている。
「お前も《ダリオ》か」
げんなりした顔でアリスが言った。
「も? お前ぇもか」
ああ、勝負は見えたな。
アリスのあの遠い目。ステータスを見る時の目だ。ステータスを調べ終え、アリスの態度が変わらない。つまり、アリスにとって取るに足りない相手というコト。
ホッとしたら……力が抜けた。
アリスは膝立ちになって、あたしの上体を起こす。
「回復薬。飲める? ああ……ひどい、な」
あたしの傷を見て、アリスが顔をしかめた。
胸がきゅぅと痛くなり……ふと、分からなくなる。
戦いは避けられないと思った。アリスと共に行く為には。でも、やる必要のあるコトだったのか。アリスに悲しい思いをさせてまで?
「…………ごめん」
「仕方がないさ。相手が悪かった」
「……ちがっ……うぅ、あたしが……あたしの、ワガママで……」
アリスが困ったように首を傾げた。
……そうだよな。イキナリこんなコト言われたって。
あたしが落ち込んでいると……不意にアリスが真顔になった。
「イシュ。君は――いや、お前は。お前のやりたいようにやれ。遠慮するな。なに、僕のほうが迷惑かけるに決まってる」
互いに遠慮してたらやりたい事も出来なくなる。だから、僕はこの世界に来たんだしね――と。
言わんとする事を飲み込み……あたしは苦笑いを浮かべた。
ははは、アリスらしいや。励ましの言葉すらキョウレツだ。
もうあたしに遠慮しない。アリスはそう言っているのだ。
「……あたし。行くからな。アリスと一緒に」
「だから、言ったんだよ」
「おい、てめぇ、無視してんじゃねぇ――」
「少し黙れ」
何かが放たれた。アリスから。
殺気か。【威圧】か。
顔色を失う《黒尽くめ》を一瞥し、アリスはあたしの方に向き直る。
「ほら、飲める?」
回復薬を飲むと傷が塞がって行く。だが、幾つかの出血は止まらなかった。《出血》しているのだろう。状態異常は回復薬では治らない。回復薬には止血剤が含まれている事もあるが、入っていなかったのだろう。
出血には二種類ある。
ただの出血と状態異常としての《出血》だ。
斬撃属性の攻撃を食らった場合、状態異常の《出血》となる場合がある。
一番重症だった腹部の出血は止まっている。
……うん、もう平気だな。
見上げると……アリスは大剣を手に何か考え込んでいた。
吸血鬼。脳筋。
そんな単語が口から漏れていた。
「なあ、外で戦わないか」
「行くわきゃねぇだろッ」
アリスの提案を《黒尽くめ》は拒否する。
まあ、それはそうだろう。
アリスの大剣は身長ほどもある。障害物の多い室内は《黒尽くめ》が有利だ。
……有利というより。相性の話だな。あくまで。
「困るんだよね。ゴミ掃除で散らかしたら本末転倒だ」
薄く笑いながらアリスが言う。
「…………ゴミ、だァ?」
「自覚がなかったのか? お前だよ」
「……てッ……てンめェ!」
……ああ、ユニ、これか。
――マスターはもっと酷いですから! 悪気も無く強敵を煽りますから。
でも……悪気も無く……という部分は違う。明らかにアリスは挑発している。
あたしが傷ついたからか。だから……怒って?
だとしたら……どうしよう。うれしい。わ、分かってるケドな。自分のミスでこうなったって。ダメだ。カオがにやつく。こんなトコ、ユニに見られたら――
「あれっ? ユニは?」
思い出すタイミングが酷いが……まあ、ユニだしいいだろう。
「外で見張り。という、名目――の自己満足かな?」
「……どういうコトだ?」
「だからさ、イシュも外に出ててくれない?」
困ったように笑うアリスを見てピンと来た。
「イ~ヤ~だッ」
「見ていて気持ちのいいものじゃないと思うんだけどね」
「そォゆうことじゃないだろッ。ユニだって言うぞ。同じコト」
「だから自己満足。そういったろ?」
「あっ! アリス! 後ろだ!」
《黒尽くめ》がアリスの背後に迫っていた。
アリスが《黒尽くめ》を見た。が、既に刃は繰り出されている。避けられる距離ではない。だが、防御ぐらいは出来るハズだ。しかし、あたしの願いは裏切られる。
アリスは避けなかった。剣をそのまま食らった。
「ハッ! ナメすぎ――」
「【両手剣5】――《波濤返し》」
《黒尽くめ》の嘲笑をアリスが遮る。
アリスの大剣が強い光を帯びていた。《黒尽くめ》が驚愕の表情を浮かべる。
まるで竜巻だった。大剣を持ち上げ――振り下ろす。それだけの行為が暴風を伴う。血相を変える《黒尽くめ》。アリスの大剣の軌道は最初から変わらなかった。なればこそ、この結果は奇異と言えた。大剣に押し潰された《黒尽くめ》がいた。避けようとしていたのにも関わらず、である。吸い込まれた――とでも言うのか。
「カハッ」
《黒尽くめ》が目を剥き、剣を取り落す。全身の骨も折れているだろう。
「……………………………………………………はあ?」
……え?
なんだ、コレ。
一撃?
ウソぉ。
もう終わり?
い、いや、疑って無かったけどな。
アリスが勝つってことは。
でも、まさか……一撃とか……え~~~~?
……ははは、そうか。よそ見も誘いか……なんだよ。あたしのせいでアリスがピンチになったと思って……すごく、怖かったのに。あ~~そぉ……ムダな心配だったってコトか……ま、まあ、あたしが勝手に心配してただけだし。それはいいんだケド……
……こー、さ。
乗り越える壁! みたいなカンジ?
あったと思う、《黒尽くめ》には。
それが……なあ……
……ん? あ、吐血した。アリスもいい加減、大剣どかしてやれ。なんか……ほっといても死にそうだぞ。アリスからすればそれでもいいのかも知れないが。
………………ゴミ掃除って言ってたの。本気だったんだなあ。
だってアリスぜんぜん本気出してない。
このグチを聞けば分かる。
「……痛ぅ。なに、このアーツ。やたらタイミングシビアだし。来ると分かってたら避けるって」
最近のアリスのぶ~むはアーツだそうだ。
アリスはアーツを使って来なかった。
試し撃ちはしたらしいが、実戦で使った事は無かった。
使えない【短剣】のアーツより、効果的なスキルがあったからだ。【クラック】だ。
それが【両手剣】を手に入れて事情が変わった。
【両手剣】のアーツは実用性が高い。
嬉々としてフォレストウルフにアーツを繰り出すアリスの記憶は新しい。
一通りアーツを試していた。だが、一つだけ試せなかった。
それが《波濤返し》。
受けたダメージが大きいほど威力を増すカウンターのアーツ。
フォレストウルフ程度の攻撃では効果が実感出来なかったらしい。
そんなところへ現れた《黒尽くめ》は……格好の実験台だったのだろう。
「お前もアーツ使ってれば楽になれたのに。あ~~。MPか」
アリスは片手で大剣を持ち上げる。切っ先が《黒尽くめ》の脳天に向けられる。
「あ、アリス、待ってくれ! そいつに聞きたいことがある」
「…………分かった」
アリスは何かを言いたそうにしていた。だが、結局は言葉を飲み込んだ。
《黒尽くめ》の隣にしゃがみ込み、あたしは言う。
「聖域はどうなってる!?」
「くたばれ」
唾を吐きかけられた。血が混じった唾を拭い、あたしはもう一度訊ねる。
だが、結果は同じ。訊ねる毎に唾に混じる血の量が増えて行く。
「無駄だよ、イシュ。彼は決して口を割らない。エルフには」
「……エルフ、には?」
《黒尽くめ》はリーダーと顔見知り。それなら《黒尽くめ》の種族も?
吸血鬼の特徴として鋭い牙がある。だが、口の中を見る機会はまずない。多少、血色が悪い事を除けば、吸血鬼の外見は人族と変わらない。
だが、ぜえぜえ喘いでいる今なら。
……あった。牙が……あった。なら……あたしが、何を聞いても……
「イシュ。聞きたいのは聖域の事でいいの? シンラの事は?」
ハッとアリスを見る。アリスは人族だ。
「……聖域。まずは聖域だ」
エルフの人族嫌いは筋金入りだ。この二人がいた事自体がおかしい。聖域の外れとはいえ、人が来ないわけではないのだ。なのに二人は悠々と寛いでいた。
まるでここが安全だって知っているみたいに。
最初、シンラはあたしを探しに聖域を飛び出して行ったのかと思った。
だが、聖域で何かが起こっているのなら、シンラもそれに巻き込まれている可能性が高い。シンラはあたしに負けず劣らず弱い。単身聖域を飛び出すようなバカでは……ない、と思う。思いたい。
「分かった」
そう言うとアリスは《黒尽くめ》に向きなおる。
「僕はお前の敵じゃない。信じてくれ」
「…………ここまでやって……おいてよォ……虫のいい話じゃねぇか」
……あたしはバカか。最も尋問に適さない人物。それがアリスだ。今この場では。
「不幸な行き違いがあったんだね。他の《ダリオ》がいるとは思わなかった」
「……確認する素振りも……無かったじゃねぇか」
「目障りな羽虫がいたらとりあえず潰しておく。お前だってそうするつもりだったんだろ」
「…………チッ。ゴミだの、羽虫だの。それで言うと思うか」
「お前、何か勘違いしてないか。敵意は無かったとは言った。でも、お前の生死なんてどうでもいいんだよ。お前が虫じゃないっていうのなら意味が分かるな」
「…………いいのかよ……知りたい事は」
「その時は他の《ダリオ》捕まえて聞くだけさ」
「…………」
「ああ、いるんだ。僕としてはその反応だけで十分」
「……くッ。《ダリオ》を裏切る気か」
「おいおい、《ダリオ》は盗賊ギルドだろ。綺麗事言うなよ」
「…………」
《黒尽くめ》が押し黙る。
反論出来るハズがないか。理由なく仲間を殺した男だ。
「さて、ここまで来ると後は手間暇の問題。僕はお前でなくてもいい。でも、お前はそうじゃないよな。もう一度言おうか、僕はお前の敵じゃない。信じろ」
「…………それ。お前の獲物だったのか」
あたしを見ながら《黒尽くめ》が言う。
獲物を掠め取られそうになったから怒っているのか?
その問いに対し、アリスは肩を竦めた。
「ご想像にお任せするよ」
「……そォかよ。くそったれ。だが……同じ《ダリオ》っつーんなら……」
《黒尽くめ》の態度が軟化している。確かにアリスが敵でないのなら、《黒尽くめ》は助かるかも知れない。だが……なんだか……おかしい。まるで……《黒尽くめ》が。彼自身がアリスの言葉を信じたがっているかのような――あたしはハッとアリスを見た。
まさか。
「分かったなら答えてくれ。今、聖域はどうなってる?」
「………………《ダリオ》が占拠した」
「だろうねぇ」
「…………そんな」
薄々察してはいたが……やはりショックだ。
「お前らの人数は?」
「さーなァ。百、くらいか。倍はいたんだが」
「イシュ、聖域の人数は?」
「…………」
「イシュ?」
「……あ、あァ。三百? 四百は……」
「ふぅん。半数が非戦闘員として。それでも同数か。正直よく占拠出来たね」
「ハッ。エルフのスキルはすげぇって聞いたけどよ。そーでもなかったぜ」
待てよ。聞き捨てならないな。
「いただろ、三賢人が。強弓のテレス。貫槍のオンヴォ。牙剣のカアサ」
「おォ。いたいた。名乗りを上げるバカ。確かそんな名前だったか。ウチの用心棒に斬られてたが。ハハッ――グッ、ゥゥゥ。笑わせんじゃねぇよ、痛てぇじゃねぇか」
「…………ウソだ。あ、あたしは信じないぞっ」
三賢人。
エルフで最も武勇に優れる三名の尊称だ。
特に今代の三名は歴代最強と呼ばれている。武器スキルは8か9だったハズだ。
アリスは強い。誰にも負けない。そう信じている……が、上には上がいる。
それが三賢人。
レベルでもスキルでもアリスの遥か上にいる。もしもアリスが破れる事があるとしたら、その相手は三賢人かも知れない。そう思っていたのだ。それが……負けた?
「――イシュ? シンラのことは? いいの?」
あたしが呆けている間に聴取は終わっていたようである。
驚愕が抜けきらず、あたしはぼんやりとしていた。
だから、先に《黒尽くめ》が答えてしまった。
「あァ。双子の片割れなら……セリオが捕まえてるぜ」
「……セリオ? 誰?」
「………………アリスが倒した……あっ!」
しまった!
《黒尽くめ》の顔色が変わる。それを見てアリスは「ああ」と苦笑いをした。短いやり取りで状況を把握したらしい。呆れるくらい、アリスの頭の回転は早い。
「残念。魔法は切れたみたいだ」
アリスが剣を振り被る。
「おい! セリオを倒した!? どォゆーコトなんだッ!」
「悪いね。冥土の土産は売り切れだ。少し前に大盤振る舞いしてさ」
「そ、その剣はッ! おいおいおいおいィ! マジにセリオはッ!」
「知り合いなんだろ。なら、彼に聞いてくれ」
あたしが顔を背けるのと同時。
鈍い音が聞こえて来た。
音は二度鳴った。
***
やれやれ、酷い惨状だな。
テーブルは砕け、カップはひっくり返り、床には亀裂が。台風でも通ったのか。
やったのは僕なんだけどね。他に手は無かったのかと思う。
腕力で勝てるなら引きずり出したのだが……残念ながら吸血鬼は脳筋な種族らしい。
レベルは僕と一緒。ステータスは軒並み僕より下。なのにSTRだけ負けていた。
吸血鬼が脳筋なだけで僕のSTRは決して低くない。
とはいえ、だ。
少し考えさせられた。
【両手剣】は止めた方がいいかも知れない。
長所を生かせているとは言い難い。
チュートリアルでアーティリアが語っていた通り、僕のステータスは平均的な人族の倍近くある。STRでさえ平均より上で、DEXとINTに至っては約三倍である。比較対象は屋敷にいた《ダリオ》の面々だ。
DEXを生かすなら【短剣】、【槍】、【片手剣】あたりか。まぁ少なくとも【両手剣】という選択肢はない。
色々な武器に触れる事は悪い事ではないが。
使ってみる事で分かる事もあるから。
ま、今後の課題か。
説明もそこそこに放り出されたから。
何をするにしても手探りになってしまう。
「イシュ、出よう。血の匂いが酷い」
「…………」
イシュが無言で頷く。
やはり刺激が強かったのかな、と思っていると、
「なんで使った」
家を出るなりイシュがいった。咎めるような言い方だ。
「アリスはそれ、嫌っていただろ」
「まあ、気付くか」
僕は苦笑する。事情を知る僕が見ていても吸血鬼の掌の返し方は奇妙だった。
イシュには僕が異世界から来た、という刺激の強い部分は伏せて、旅の一通りを語って聞かせていた。エンバッハと出会い、僕が何を思い、どう行動したかも。
だから、僕が【詐術】を嫌っている事も知っている。
「嫌いなのは人の心を弄ぼうとする輩で。道具に罪は無いよ」
「あたしのためか?」
イシュは思い詰めた瞳だ。
ウソは許さない。そう言っている。
嘘か。
果たして何をもって嘘とみなすのか。今の僕なら嘘だって真実に――
肩を竦める。先走っているな。
「そう。埒があかないと思った」
正直、イシュが聖域を気に掛けるというのは意外だった。聖域にはいい思い出がないはずだから。もし同族愛に目覚めたから、という理由だったら放っていたかも知れない。
シンラのため。
そう考えている事が分かったから【詐術】のクラックに踏み切った。
「もう【詐術】は使わないでくれ」
「それは構わないけど」
思いの外使い辛いスキルだった。
【詐術】に出来るのは言葉に説得力を持たせる事だけ。相手に受け入れる土壌が無ければ芽は出ない。何が何でも言いくるめられる、というわけではないのだ。
物凄く弁の立つ政治家がいたとして。
涙ながらの演説は心を震わす。
だが、経歴を見れば真っ黒。
そんな人を信じられるか、という話だ。
吸血鬼を騙せたのは運が良かった。
――お前も《ダリオ》か。
僕はこの言葉を、屋敷に引き続きまた《ダリオ》か。そういう意味合いで言った。
しかし、彼は僕も《ダリオ》だと誤認した。
だから、【詐術5】で最初のボタンを掛け違えていただけ、と語ってやるだけでよかった。
「二度と【詐術】は使わない。この言葉も嘘かも知れない。それでも信じるかい?」
「言葉なんてどうだっていい。あたしが信じるのはアリスの心だ」
真っ直ぐに僕を見てイシュは言い切った。
……その時の僕の心情を……何と言えばいいか。情けないやら。気恥ずかしいやら。
顔を手で覆う。指の隙間からため息が漏れる。
試す体で。
言葉を欲して。
……格好悪いなあ。
と、落ち込む僕の腹部に衝撃。
イシュにタックルを食らった……うん? 違うのか。ああ、抱きしめようと。なかなか手が回ってこないから……微笑ましいなあ、と見ているとようやく腕が回された。
「助かった。でも、アリスがツラそうにするのはイヤだ」
上目づかいにイシュが言う。小動物みたいでかわいい。
ああ、もうやられた――苦笑するしかない。
ありがとう、とイシュを抱きしめ返す。
僕の胸の中でイシュがきょとん、としていた。気に食わないスキルを使ってまで助けて貰ったのに、なんでお礼を言われているのだろう、と。
暫くして、どうでも良くなったのか、イシュの顔が綻ぶ。
イシュの頭を撫でる。
――イシュ。
助けられたのはお前かも知れない。
でも、救われたのは僕なんだ。




