第2話 アーツ
エルフは不必要に森に手を加えない。
自然を隣人だと思っているからだ。
獣道と見紛う細い道の先に我が家が見えた。
――懐かしい。
聖域の外れにぽつんと建つ。イヤでも自分の境遇を思い出す。
だから、あたしは家がスキじゃなかった。
でも、アリスと出会い世界が一変した。アリスが言うには世界が広がった。聖域は狭い。だから息苦しい。なら出て行けばいい。そう思うと聖域はちっぽけに見えた。
全部アリスのおかげ……あれ? アリスがいないぞ。
自然と足取りが早くなっていたらしい。振り返ればアリスと距離が出来ていた。
アリスは微笑んで頷いた。
「ごめん! 先行く!」
「積もる話もあるだろ。僕らはゆっくり行く」
「茶菓子の用意を忘れないように!」
あたしは駆け出す。
ははは、早い、早い。
見知った場所だからこそ成長が実感出来る。とはいえ、やっと人並みなんだけどな。
アリスは飛ぶように駆ける。それこそ羽が生えてるみたいに。
「シンラッ! 帰ったぞ!」
あたしは満面の笑みで扉を開ける。
するとそこには驚きの表情を浮かべる――
「……うおぅ、ビビったわ」
「おい、アンセル、これか」
「……あ、はい。片割れで間違いねェっす」
「そうか。待ちくたびれたぜ」
――男達がいた。
……………………は?
見るからに下っ端の男と、上から下まで黒尽くめの男だった。
二人は我が物顔で寛いでいた。テーブルに足を伸ばしている。家中荒らされていて、無事なのは男達の周囲だけだった。
「ぷはァ、あァ、うめぇ」
《黒尽くめ》がカップを置く。
……あれ、見覚えのあるカップだ……どこで見たんだっけ………………ああ、そうか、あたしのか……
「アンセルぅ。固まってんぞ」
「知らない男が家にいたら驚きますぜ」
「んー、そーゆーのと違げぇ。なんつーの、俺達のこと知ってる、みてぇな」
「へ? 俺達のことを知って? そういわれて見れば――」
「会ったコトはねぇぞ。あァ、うまくいえねェな」
男達が何か言っている。だが、頭に入って来ない。
「……シンラはどうした」
辛うじてあたしはそれだけ言った。
「シンラ?」
「双子の片割れじゃねぇですか」
「あん、知らねぇのか。冷たいねぇ。二人きりの家族だろよォ。教えてやれ、アンセル」
《黒尽くめ》が言う。
せせら笑うような言い方は――リーダーを思い出す。
「や、兄貴。待ってくだせぇ。このエルフ、俺達が捕まえたヤツかも。見覚えがあるんでさァ」
「あァ!? おい、アンセル。嘘はいけねぇなァ」
「はッ、はひィ」
《黒尽くめ》の怒りは《下っ端》に向けられたものだ。
……なのに……なんで……身体がこわばるんだ。あたしの。
「セリオんトコがしくじったっつーのかよ」
「……せ、セリオ?」
「おまえんトコのリーダーだ。名前も知らねぇのか、あァ?」
「……す、すいやせん。リーダー、リーダーって呼んでたんで。名前までは。へ、へへ」
「あァまァ、そうだな。アイツもお前らなんかに名前呼ばれたかねぇか。すまんすまん」
「あ、兄貴には感謝してます。兄貴に拾って貰えなきゃ森で野垂れ死んでました。お、俺が兄貴に嘘をつくハズないじゃねぇッすか」
「セリオはよォ。エルフを激しく憎んでた。ネチネチと陰険になァ。そのセリオがエルフを逃がすのはあり得ねぇんだ。セリオが死んでるとかじゃなきゃよ」
「……な、なるほどぅ」
「…………」
話の中心はあたしのハズなのに、二人はあたしを無視していた。
だから……なのか? 現実感が無いんだ。
「嫌な妄想が膨らんで来るんだわ。アイツ、天才だぜ。アイツがくたばったんなら汚ねぇ手使われたに違いねぇんだ。血筋もいいしよ。未来の幹部サマだ。死んだとか嘘でもよォ。言われるとよォ。な、分かるだろ」
「……あ、はい。分かり、やす」
「あ。でも、嘘をついたら殺すぜ。お前から」
「…………え、ええ?」
「で、どうなんだ、アンセル?」
「す、すいやせんッ。嘘ついてました! へ、へへ。考えてみりゃ双子ですもんね。似てて当たり前って言うか」
「誤魔化してねーだろーな」
「う、ううう嘘じゃありやせん。あ、あの腕。見てくだせぇ。二本あります。忌み子は一人だけって聞いてます」
「あ~~。そーいや。捕まえたの忌み子の方だっけ。双子の片割れ捕まえよーとして迷子になったっつってたもんなァ。忌み子で満足しとけ。欲かくからだ」
「そ、それは言わないでくだせぇ」
《下っ端》が近づいて来る。下品な笑みを浮かべて。
……は、はは。なんでなんだ。
悪夢は覚めたハズ。
なのに、どうして。
日常へ続くはずの扉が。
悪夢に通じていたんだ?
「へへへ、身体検査しような」
「チッ。節操ねぇなァ。これだから人族は」
「あ、兄貴ぃ。違いますよ。俺は兄貴のために」
《下っ端》に腕を掴まれた。ぞわぞわ、と背筋が凍る。
屋敷。大勢の男達。鎖。じゃら。鎖。鎖。じゃらじゃら――
「ふ、ふひっ。危ないのはどけとこうな」
《下っ端》があたしのナイフを取り上げる。
「あっ」
おい。
待てよ。
それは。
――手を伸ばす。
アリスから。
貰った。
大切な――
「あたしの宝物だッ!」
ナイフが淡く光る。
アーツ発動の光だ。
【短剣1】――《痛牙》。
「ぬゥがッ、いぃぃ痛てぇぇェェ!」
――激しい痛みを与える。
ただ、それだけ。
「うあああああああああああァァ!」
刺す。斬る。刺す。
――誰かが叫んでいる。
刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。
――うん? なんだ、あたしか。
「……がァッ、い、痛てぇよォ、血が、出てッ、あァ……死ぬ、死ぬゥ!」
「…………ハッ……ハッ……ハァ……」
無我夢中だった。《下っ端》が悶えていた。隙だらけだ。無残な有様。だが、致命傷は一つもない。狙いが甘かったのだろう。とどめをさす気にはなれなかったが。
「なァにやってんだか」
呆れた声が響く。
あたしはハッと振り返る。
「おォ、おっかね。エルフは温厚とか言うけどよォ。ウソだろ」
扉を塞ぐように《黒尽くめ》が立っていた。
あたしが扉に目をやると、《黒尽くめ》がニヤと笑う。
「逃がさねぇよ。よかったなァ、俺で。セリオなら嬲られてたぜ。すぐ楽にしてやるよ」
「…………」
不意に疑問が湧き上がる。
おかしくないか。ここはあたしの家だぞ。逃げるのは……あたしなのか?
「あッ、兄貴ィ! た、たす……けてッ……」
「手間のかかる野郎だ」
そう言って《黒尽くめ》は剣を振り下ろす。《下っ端》に。
「…………あ、ニキ……な……で?」
「あァ。お前、用済み。ガキ、帰って来たし」
《下っ端》が事切れた。助けを求める彼の指先。床が少し抉れていた。あたしが付けた傷である。ナイフを取り落したのだ。床の傷を血が埋めた。血の海は広がって行く。
大切な何かが汚されている気がした。
すごく、不快だ。
ああ、ようやく、だな。
ようやく――怒りを覚えられた。
「なんだァ、その目は。やる気か? 調子ノんじゃねぇぞ。ザコやったぐらいで。てめぇが俺に勝てると思ってんのか。アァ!?」
《黒尽くめ》の声がザラつく。それは鎖の擦れる音のようで。
イヤでもあの時を……思い出させられる。
あたしの弱い心が、「あれだけ酷い目にあったのだ。ここで屈しても仕方がない」――そう囁きかけてくる。
でも……それは、ダメだ。
鎖に縛られたままじゃ……鎖はここで断ち切らなきゃ。
そう決心すると見え方が変わった。
《黒尽くめ》が格好の敵に思えた。
彼は……リーダーに似てるから。
「わるいケドな。やる気だよっ」
「おいおい、マジで言ってんのかよォ」
《黒尽くめ》が剣を振る。これ見よがしに。
威嚇のつもりか。
フン、それぐらいで怯えるかよ。
あたしは二刀を構える。
《黒尽くめ》が舌打ちする。
「チッ。話違うじゃねぇかッ。いい獲物だと思ったのによッ」
「あたしが獲物かどうか! 確かめてみろよッ!」
先手必勝。
《黒尽くめ》の懐に飛び込む。
ナイフを《黒尽くめ》の喉目掛けて繰り出す。かわされた。それはそうだ。見え見えの大振りだしな。狙いは次に繋げる事だ。空振りを回転へと変え――
「《旋風烈牙》!」
――バックハンドの一撃を《黒尽くめ》に叩き込む。
アリス直伝の連撃だ。
「グぅゥゥォッ!」
悲鳴。
よし!
逸る気持ちを抑え、ナイフの位置を確認する。
ちぃッ、肩か。でも、次だ――
「クソがァァァッ!」
《黒尽くめ》が吠えた。
剣が光った。
アーツだっ。
まずい。
避け――なっ!?
身体が……重い?
せめて防がな――
「うわァァァ!」
あたしは勢いよく吹き飛ぶ。天地が何度も逆転した。
《黒尽くめ》が放ったのは、【片手剣1】――《スラッシュ》。
【片手剣】の基本となるアーツ。強烈な斬撃を放つ。威力は大した事は無いが、MP消費が少なく火力の底上げに役立つ。クセが無く使い勝手がいい――だっけ、か。
……くぅ、どこがだよ、ユニ! すごい威力だったぞ!
まだ手が痺れている。
咄嗟にナイフをクロスさせて受け止めたが……威力を完全には殺せなかった。防御が間に合ってコレだ。もし無防備なトコにアーツを食らったら……
「おらァ! 避けられるモンなら避けてみなァ!」
また、アーツか。今度は突き。《スペルスタブ》。
……ダメージが抜けてないのか。身体が思うように動かない。
ダメだっ!
当たる!
その瞬間、不思議なコトが起きた。
「――――――――――――――――――――ァ」
……え?
驚いた事に……時が止まっていた。音が消えている。
いやいや。ない。ないって。時が止まるなんて……ん? すこしつづ……動いてる、のか? 迫り来る剣の切っ先が観察出来る。一瞬が引き伸ばされたかのようである。
…………はあ? なんだ、これ。いや、すごいんだが……なんかイミあるのか?
加速するのは知覚ばかり。早く動けるわけではない。つまり結果は変えられない。不可避の脅威を延々と見せつけられるだけ。ジリジリとした焦燥感はキブンが悪い。
いや、待てよ。
本当に打開策は無いのか?
そういえば……あの、重み。不自然だった。《黒尽くめ》のスキルか?
……もしかして……あれ【威圧】じゃないか?
だったら――
「うゥ――――――――――」
叫ぶ。声は聞こえない。
ふっ、と身体が軽くなった。のしかかる重圧が消えていた。
大声を出すと気分が高揚する。勿論、スキル程の効果は望めない。しかし、《黒尽くめ》の【威圧】に抵抗するにはコレで十分だったらしい。
「――――――――――オぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
声が……音が。戻って来た。
引き伸ばされた一瞬が終わった。
「――――――っ」
突如。本当に突然。激しい疲労感が。頭もガンガンする。
無理やり身体を前へ。
剣がこめかみをかすめる。引き千切られた髪が宙を舞う。
「オゥオゥ! よく出来ました、ってかァ! 本当に避けてんじゃねぇぞォ!」
《黒尽くめ》が剣を横薙ぎにする。
なぜか……身体が全く動かない。剣をモロに食らう。脇腹を斬られた。舞い散る血。それを眺めながら……あたしは倒れた。
「…………ハァァァァ……ハァァァッ、ハッ、ハァァァ……」
……おかしいぞ。
……なんだ、これ。
頭に霧がかかったかのよう。何度も深呼吸して……ようやく霧が晴れて来た。
……さっきの……スキルか。一瞬を引き伸ばす。知らないスキルである。
恐らく習得したのだろう。生死が絡む状況は人を成長させる。ウォーベアから含め、何度も死線を潜って来た。スキルが目覚めたのも不思議ではない……が。
……よろこべないな。
よりにもよって副作用のあるスキルか。
見上げる。《黒尽くめ》は苛立たしげに髪をガシガシとかいていた。
「うっぷん晴らしに来たのによォ! 溜めてどォすんだって話だぜ!」
「……おまえ、サイテーだな。狩人だって獲物に殺される覚悟あるぞ」
あたしは震える足に鞭打って立ち上がる。
吠えてはみたが実力の差は歴然としていた。
再開された戦いは……もう、戦いとは呼べなかった。
あたしの攻撃が当たるようになった。いい事に思えるかも知れない。逆だ。避けるまでもないというコト。防ぐのは急所だけ。後は当たるに任せている。
根本的なステータスが違う。
更にあたしは先程のスキルの副作用で手足に力が入らない。
だが、あたしは攻め続ける。
それはたぶん……子供が駄々をこねている。
そんな風に《黒尽くめ》の目に映ったのだろう。
「ははッ、はははッ! やっと楽しくなってきたぜ! ったく! ムダなことしなきゃ楽に殺してやったのによォ。セリオの気持ちが少しだけ分かったぜ。いいか、《スラッシュ》いくぞ、《スラッシュ》」
アーツに殺気はこもっていなかった。遊ばれている。
たかをくくっているのか。あたしにはもう何もできないと。体力の限界が来ているのは明白。加えて【短剣】のアーツは使えない事で有名だ。
――アーツ。
武器スキルで使える技のコトだ。
武器スキル毎に十種ある。
スキルレベルが上がると使えるアーツが一つ増える。
発動にはMPを消費し、一度発動させたアーツは一定時間使えなくなる。
【片手剣】のアーツに図抜けた強さは無い。
だが、様々な場面に対応出来る懐の広さがある。
対して【短剣】のアーツはどうか。
状態異常を引き起こすアーツが多い。
毒、出血、麻痺など。決して弱くは無い。むしろ使う人が使えば凶悪なアーツだ。
なのになぜ使えないと言われているのか。
それは肝心の状態異常の成功率に問題がある。
武器スキルのレベルで成功率が変わってくるのだ。
アーツを頼みにするのは大抵駆け出し。
しかし、武器スキルが低いうちは状態異常はまず入らない。
使えないと流布しているのはコレが原因だ。
だが――
「……ぐ。て、ンめぇ」
《黒尽くめ》がよろめき、顔を手で覆う。指の隙間から血走った目が見えた。
《病気》に罹ったのだ。
【短剣3】――《病牙》。
一時的にステータス低下を引き起こす《病気》を武器にエンチャントする。
「……好きに撃たせるからだ、バーカ」
成功率は低い?
そんな事は知っている。
でも、二刀で攻撃すれば確率は倍……だいたい倍だ。
とはいえ、焼け石に水だが。
せめて【短剣6】――《眠牙》が使えていれば。まだ足掻きようがあったが。残念ながら【短剣4】で出来るのはここまで。
《病気》を入れてから本番のハズだった。
だが、思っていた以上に状態異常は入らず。
名も知らないスキルの暴発が勝負を決した。
「……うざッてぇんだよォォォォ!」
ただの突き。アーツでもない。だが、避けられなかった。
もう身体が動かないから。
腹部に剣が刺さっていた。血がだらだらと流れだす。
「…………くはっ」
膝が落ちた。前のめりにあたしは倒れる。
《黒尽くめ》が鬼の形相であたしを見下ろしていた。
「――――――――ス」
……なあ、アリス。教えてくれ。
あたしは間違っていたのか? 逃げるべきだったのか?
命を大事にするのなら逃げた方がいいのは当然だ。だってそうだろう。《黒尽くめ》はどう考えたって格上だ。無謀もいいトコだ。自殺だって言われても否定できないし。
でも、あそこで逃げたら……あたしは二度と戦えない……戦えなくなる。そんな予感があった。
アリスは……あたしと根っこの部分が似てるから。
きっと賢い選択は出来ない。
気に食わなければ喧嘩を売り。或いは買い。無謀だと知っていても逃げたりはしない。
だから、足手纏いを連れている余裕はない。
「――――――――リス」
ああ、そうか。あたしは。
死にたかったんじゃない。
生きたいから。
アリスと生きていきたいから。
戦う事を選んだんだ。
…………そっか。じゃー、仕方がないな。
でも……最後に……
「遊ぶのはヤメだッ。殺すッ!」
《黒尽くめ》が剣を振り下ろす。
あたしは思わず目を瞑ってしまう。
「…………?」
一向に恐れていた衝撃は襲って来ない。
恐る恐る目を開けると……大剣があたしの頭上にあった。
それが《黒尽くめ》の剣を受け止めていた。
「イシュ、平気?」
彼は優しくそう言った。
瞼の裏に思い描いていたその人だ。
だから、心で呼びかけていたように、彼の名を口にすれば良かった。
「――――――――アリス!」
【C:コンセントレーション】
【短剣】系スキル。生命の危機に瀕した時のみ発動するパッシブスキル。極限まで集中力を高める。その効果は時間が止まったと錯覚する程。スキル発動中は実感が無いが、脳に多大な負荷がかかっており、スキル解除と共に副作用が襲って来る。場合によっては事態を悪化させる使いどころの難しいスキル。レベルが上がる毎に副作用が軽減される。




