第11話 夢の終わり、夢の始まり
ああ、またか。
あたしは目覚めがスキになれない。
次こそ。次に目が覚めた時こそ悪夢は終わってる。
そう願っては裏切られて来たから。
だからだろう。安堵より先に違和感を覚えたのは。
「…………何も……ない?」
身体を起こす。楽に出来た。
妙だ。
身体が軋まない。
胸元を開けて視線を落とせば、ぺたんこな胸が飛び込んで来る。思わずため息を……って、落ち込んでる場合か、あたし。大事なのは傷が一つもないという事だ。
「……え? どういうコトだ? あたしはボロボロだったハズ」
人族に捕まったのは覚えている。だが、そこからの記憶が曖昧だ。
寝ても覚めても悪夢ばかり。どこまでが現実でどこからが夢なのか。
「……全部夢、だったのか?」
髪の毛に変な感じがあった。触れると赤いモノが落ちた。血が固まったものだ。
あたしの血だろう。たぶん。
「うが~~~! なんなんだコレはッ! どーなってるんだッ!」
頭がパンクしそうだ。
悪夢が現実にあったのならこの状況は不可解過ぎる。
捕まっていた部屋ではない。窓の景色から察するに一階だ。周囲には誰もおらず逃げてくださいと言わんばかりだ。自由を奪っていた鎖も外されている。
混乱を助長させるのは傷がキレイに消えている事だ。回復薬も万能ではない。傷の一つや二つ古傷として残る。なのに……昔作った古傷も含め、一切合財消えていた。
なんかブキミだけど……良かったかもな。
アイツだって肌がキレイな方がイイだろうし。
「――――んん?」
アイツ?
誰だ?
「…………思い出せない」
いや、少し違うか。思い出すのが……怖い?
「やめたっ。考えてもムダだ、ムダ」
立ち上がり、拳を握り締める。
考えるより行動した方が早い。あたしの場合。
廊下に出ると、隣の部屋の惨状が目に入った。
……はあ? なにがあった? メチャメチャだぞ。
床の残骸が転がっている。見れば天井が抜けていた。
屋敷は静まり返っていた。あたしを監禁していた男達がいない。
――イシュ。
幾つかの部屋を通り過ぎた時、そう呼びかけられた気がした。
恐る恐る部屋を覗きこむと――寝息を立てる少年を発見した。
彼を見つけた時、安堵が身を包んだ。
「……無事だったんだな」
ん? 無事?
て、コトは……あたしは……彼を知って……?
……ダメだ……思い出せない。一番肝心な事が。この少年は――
「……誰だ?」
くそう。思い出したいのに。なんで……少年が見れない? うぅ、ダメだ。やっぱり直視出来ない。心臓がバクバクうるさいし。なんだ、コレ。ホントになんなんだ、コレ。
つい、と目を逸らすとナイフが目に入った。二本ある。一本に惹かれた。
すごい。奇麗だ。
「ナイフは手にしない方がいいですよ。マスターの【危機感知】に触れるといけませんから。ま~、今の様子を見てる限りじゃ平気だと思いますけどねえ。念のため」
「――――ッ!」
振り返ると妖精がいた。
一人だ。珍しい。
妖精は弱い種族だ。だから群れる。
「オマエ……アイツらの仲間かっ?」
「あ~、記憶が混乱してるようですね。ま、無理もないと思いますが。三途の川に片足突っ込んでましたし? 貴方、三日寝てました。なかなか熱が引かなくて。貴方の言うアイツらはマスターが片付けました。無意識では分かっているみたいですが」
「ますたあ?」
寝ている少年の事だろう。それが彼の名前なのか。
妖精はにやっ、と意地悪く笑う。
「アリス。それがマスターの名前です」
「…………アリス」
アリス、アリス、と心の中で復唱する。
なぜだか心が温かくなる。
「合格です!」
妖精がパンパン、と拍手し――あわわ、と血相を変えた。妖精はアリスのところへ飛んで行く。アリスの寝息を確認して「……ふぅ」と息を吐いた。
「合格ってなんのことだ?」
「いいですか、私が一番で、貴方は二番です。ふっふっふ。一度、お局ポジやってみたかったんですよ。イシュ! 貴方の掃除は杜撰過ぎます! 御覧なさい、こんなにも埃が残って! といいながら、窓をつい~~と……ああ。窓、なかったですね、ココ。フフフ、隙間風が身に染みるとはこのことですねぇ」
妖精はガックリと肩を落としていた。
ああ。分かった。さてはコイツ――バカだな。
「まあいいです、私はユニです」
「……イシュだ」
「貴方をハーレムに加えてあげます、ということです」
「……ハーレム? あたしを売る気か」
「ああ。ハーレムといっても、マスターのハーレムです。そう言っても?」
「は……はあ? お、お前、何言ってるんだ? あ、あたしはこんなヤツ趣味じゃないぞ」
「ツンデレ、イタダキました!」
と、妖精――ユニは叫ぶと、ふざけた様子を収めた。
あたしはたじろいでしまう。ユニのテンションの落差が激しいから? それもあるかも知れないが、母性を感じさせる苦笑を浮かべ、ユニがあたしを見ていたからだ。
「貴方の気持ちは分かったので。とりあえずナイフ下しましょう」
「…………え?」
言われてはじめて気づいた。
いつの間にかナイフを手にし、アリスを守る格好で立っていた。
二刀を構え、臨戦態勢だ。
気恥ずかしさからついナイフを回してしまう。
くるくると回し……暫くしてあれ、と思った。
今まで一度も成功出来なかった事を、ごく自然にやっているのだから。
洗礼を受けていないからだろう。あたしは異常に物覚えが悪い。何年も【短剣1】で足踏みして来た。だから、ただの手慰みかも知れないが、奇跡のような光景だった。
だが、そんな奇跡でさえ今は些事に思える。
様々な種族で忌み子の伝承がある。忌み子は身体の一部が欠損している。事故や病気で失うのは問題ない。あくまで誕生の際に欠損しているかどうかだ。
忌み子を決定付ける箇所は種族で違う。
人族は片目の欠損で。
妖精は片羽の欠損で。
そしてエルフは――片腕の欠損だ。
「そう言えば実験で幾つかクラックしたと言ってましたね。その様子だと【短剣4】と【二刀流1】ですか」
あたしはナイフを回していた。両手で。
そう、ない筈の――左手も使って。
「はああァァ!? 腕がッ、腕があるーーーーーーーぅ!!!」
屋敷に絶叫が木霊した。
ナイフを取り落とす。転がったナイフを受け止める手があった。アリスだ。
「…………おはよう、ユニ」
アリスが目をこすりながら言う。
「おはようございます、マスター」
あたしに対する態度と全然違うな、と思いながらユニを見ていた。
アリスはあたしに気付くと、おや、という顔をした。
何か言わなきゃ、と思った。だが、一体何を言えば? 彼を思い出せていないのに。
「おはよう、イシュ。君が無事でよかった」
アリスはニッコリと笑った。
その瞬間、記憶が弾けた。
――心配しないでいいよ。君を悲しませたりしない。
そうだ。思い出した。あの時のアリスも優しい瞳で――あたしを気に掛けてくれていた。
当時の感情が蘇ってくる。
嬉しかった。
鮮烈な喜びはアリスの活躍と相まって、何か別のキモチに形を変えた。それが何なのか。あたしは分からない。今なら手を伸ばせば届く。だが、正体を知る機会はお預けだ。
だって、アリスが余りにも鮮やかに笑うから。
は、はは。無事で……よかった?
コイツはッ! 人の気持ちも知らないで!
分かった。アリスの事を思い出せなかったのは――怖かったからだ。
あたしのために無茶をして、殺されてしまったかもと――
「おまえはバカかッ! 逃げろって言ったぞ! あたしは、あたしなんて! 助ける価値はなかったッ。隻腕のエルフ――忌み子! 見れば分かっただろ! 生きていたって災いをもたらすだけ! あのままっ、あのまま……死ねば……良かったんだッ。なんで……あたしなんかのためにッ。ムチャするなよッ!」
不意に真っ暗になった。抱き締められていた。アリスに。
温かい。
鼻の奥がツン、とした。
「泣いていい」
その瞬間、何かが決壊した。
そこから先はよく覚えていない。わんわん泣いて、色々言ったと思う。アリスの相槌が印象に残っている。「そう」とか「うん」とか、短い相槌だった。安直な慰めは一切言わなかった。だからこそ、安心して甘えられたのかも知れない。
数十分は経ったか。
ようやく理性が戻って来た。
アリスの手があたしの頭を優しく撫でていた。
「落ち着いた?」
「……ありがとう。助けてくれて」
照れくさくてアリスの顔が見れない。いや、照れてなくても……同じか。
「どう致しまして」
アリスが離れて行った。
「あっ」
あたしの手が中途半端に伸びる。女々しいぞ、と拳を握って誤魔化す。
涙を拭いながら言う。
「なあ、アリス。借りは返す。どうしたらいい?」
「何も」
「マスター、それはそれで気を使うかと」
「そうはいってもね。イシュを助けたのは僕の我侭だし。御礼は言って貰えたし、それで十分なんだけど…………本当に助けてもらったのは、僕の方かも知れないしさ……」
アリスは最後、自嘲気味だった。小声で聞き取れなかったが。
「何か。ないか? あたしが出来る事ならなんでもいいぞ」
「それなら笑って。女の子は笑顔が似合う」
カァ、と頬が赤くなるのを感じる。
本気で言ってる風なのが……恥ずかしさに拍車をかける。
「それだけで……いいのかっ。わ、笑うのがイヤ、なワケじゃなくてな……欲がない。そう、もっと欲張ってくれていいんだ。なんでもっ、なんでもいいんだぞ」
「それなら付け加えようかな」
「な、なな……なんだっ」
「笑って。その笑顔を。僕に見せて」
……腰が……砕けた。ズルイだろう、その笑顔。
呆けているあたしの前にユニがやって来た。
肩を叩かれた。気持ちは分かる。そう言いたげだ。
分かり合えた気がした。気がしただけだったが。
あふ、とアリスが欠伸をした途端、
「はふぅ。睡魔と闘うあどけない表情も素敵です、マスター。よだれが垂れていれば、言う事なしでした! 八十点!」
と、ユニは飛んで行ってしまった。
「……僕の無力を許して欲しい。腐りゆく相棒を助けられない。ん? そう言えばあの叫び何だったの?」
「たいした事じゃないんですけどね」
「そんな気はするけど。で?」
ユニが振り返り、にやっ、と笑った。イヤな予感がした。
「このイシュが! 取り乱しまして! 腕が生えたぐらいで!」
「ハァ!? おい待て、バカ! 騒ぐに決まってる! 腕だぞ! 生えるか! というか、生えたのか!? 腕ッ!」
「チッチッチッ。腕が生えたぐれぇで甘ぇんですよ。頭生えてきてから驚いてください」
「バカいうな! 頭なかったら死ぬ! 死んでるからなっ!」
「残ぁ念でした~。生きてましたよ!」
「ウソをつくなっ! な? アリスも言ってくれ」
「あ~~。ごめん。それ、本当なんだ。首だけで生きてた」
……ウソだろう。いや、本当なのか。
この二人は一体どんな修羅場をくぐって来たのか……
って、そこはどうでもいい!
「なんで腕が生えたんだっ」
「ああ、それはクラックって言って――」
アリスの言葉をユニが止める。キリッ、とした顔でユニが言う。
「ダメです、マスター。イシュの反応は愉快です。情報を小出しにして遊びましょう」
「ふむ。建前は?」
「クラックはマスターの切り札です。易々と他人に明かすべきではありません。ハッ。本音と建前が……逆っ!? 良く分かりましたね、マスター! 逆になってるの!」
「分かるよ。でも、そうだね。おいおい、かな」
アリスが申し訳なさそうに微笑む。
「腕は僕のスキルで治した。詳細は言えない。許してくれるかな」
思わずユニを見てしまう。するとアリスは苦笑し、あたしの耳元で囁いた。
「ごめんね。僕は構わないんだけどさ。ユニを無碍にも出来ないから」
僕の事を思っての進言だから、と。
あたしはぶんぶん、と首を縦に振る。うう、近い。近いぞ。
「イシュはこれからどうしたい?」
これからか。
考えた事も無かった。
だが、答えは決まっている。
「聖域に帰らないと。シンラが心配してる。あたしのキョウダイだ」
「分かった。送って行くよ」
「いいのか? 二人は? 何か目的があるんじゃないのか?」
アリスは微笑むと、あたしの頭をぽんぽん、と叩いた。
「ここでお別れも味気ないしね」
「…………」
別れ。
そうだ。
いなくなる。アリスは。いつか。
「お手をどうぞ。姫様」
何を思ったのだろう。アリスはおどけて腰を折った。そして手を差し出して来た。
その手を取ろうとして……えっ? 取れない。
「逆だよ」
「あ」
左手のない生活が当たり前だった。自然と右手が出てしまうのだ。
おずおずと左手を差し出す。途中でギュッと握られた。ドキッとした。
「消えたりしないよ。左手は」
左手?
左手がどうか……ああ、左手!
……あ~。気まずい。アリスとの別れを恐れ、ぼうっとしていた時。確かに手を凝視していたような気がする。気を使ってくれたアリスには悪いが……しょげたら視線が下がっていたというダケで……
ん?
思えばそれも妙な話だ。
あたしを悩ませて来た左腕――忌み子の証。
それがどうでもいいことのように思えるのだから。
「行こう。とりあえず、ご飯にしよう」
アリスの言葉に合わせ、きゅぅと鳴った。あたしの腹が。顔を赤くするあたしにアリスが苦笑する。ユニが騒がしく周囲を旋回する。アリスに叱られ、ユニは悄然となった。いい気味だと思っていると、ユニはあたしを見下ろして来た。アリスの頭上から。小柄なユニだから出来る事だ。ずるい。表情に出ていたのか、ユニは勝ち誇った顔だった。
はははは。なんだ、楽しい。
あたしはまだ夢の中にいる。
でも、この幸せな夢は。
覚めて欲しくないと思うんだ。




