Second Select
夏休みが始まってから六日が経った。
昨日宿題を全て終えてしまった俺にとって、例の旅の日を迎えるまではゲームという名の家内作業に従事するのが残された使命だ。
ということで、今日は一日中家から一歩も出ずに、最近買ったゲームで、スライムを大量に虐殺、レベル上げを図った。
そういえば、これは余談になるが、ゲームやってる途中に日向から、『今なにやってんの?』というメールが来たので、『スライム大量虐殺』と返したら、『ウケるーww』と訳の分からない返信が来たが何がウケたのだろうか。全くの謎だ。まあ、面倒だったから無視したが。
っと、話を戻すが、そんな訳で今日は自宅範囲外を全く歩いていない俺なのだが、如何せんこの夏の暑さって奴は攻撃範囲が広すぎる。俺の部屋を疑似蒸し風呂状態にしやがり、その所為で運動してないのにも関わらず壊れた水道のように汗が止まらないのだ。
なので、正真正銘本物の風呂にゆっくり浸かって、さっき上がり、今は夜なので多少過ごしやすくなった部屋の入り口に立っている状態だ。
そこから部屋に入ってすぐの右端にある机に置いてある時計を見ると、時間はまだ八時。普段より少し早いが、一日中生死をかけた戦いを続けてきた俺の瞼は睡魔によって重力が二倍増しになっている。
これはやばい。眠すぎる。もう立ってのも辛くなってきた。
ということで、部屋の右端奥にあるベッドに向かって軽い助走をつけ、ジャンピング・ボディ・プレスを決め込んだ。
その際、メキッと変な音が鳴った気がしたが気にしないでおこう。というより、そんなことに気を使う程の余力は無い。
そして、そのうつ伏せの状態のまま一分程経ち、マジで眠りに落ちる五秒前という時に、机にマナーモードにして置いてあったケータイが震え出した。
……誰だ? ったく、タイミング悪いな。野坂か?
何か重要事の伝達のメールの可能性もあるしな……。やっぱり今見た方が良いのだろうが、どうも眠い時に就いた寝床っていうのは、冬場のストーブ前並に離れるのが惜しいのだ。さて、どうしたものか……。
なんて、考えてたら、俺のケータイは五回振動した後、続けて六回目のバイブが鳴り出した。
俺はマナーモードのメール通知はバイブは五回しか鳴らないように設定している。つまり、これは――電話ということか。
流石に電話を無視する訳にもいかねえよな。
ということで、俺はやっとのこと体を起こし、机に向かう。
――ったく、こんな悪いタイミングで一体誰だよ。野坂だったら、一方的に文句言って切ってやるか。
そんなことを考えながら、ケータイを取って開く。そしてそのまま、ディスプレイに表示されてる名前を見ると、
「! ……麦野さん?」
そこには『麦野琴実』と書かれていた。
正直驚いた。いつもナチュラルに空気が読めてるあの人が珍しくタイミング悪いということもそうだが、何より彼女から今まで電話などかかってきたことが無かったからだ。まあ、かけたことも無いのだが。
なんせ、悲しいことにお互いプライベートにまで持ち込むような話なんか無かったからな。
しかし、マジで一体何の用事だろうか? もしかして、旅行関連か?
って、考えてる場合じゃねえか。このままじゃ、切れちまう。とりあえず出るか。
ということで、発信キーを押して電話に出る。
「もしもし、麦野さん。どう――」
「幸村君……幸……村、君……」
「えっ!? 麦野さん!?」
電話に出た俺の言葉を遮って、俺の名前をひたすら麦野さんが呼んでいる。
・・・正直、一瞬本当に麦野さんか疑った。いつもの優しい、聞いてる者を笑顔にするような、そんな雰囲気が全く無かったからだ。それに……、
「麦野さん、一体――」
「…………」
やっぱり。
電話越しに聞こえてくるのは、いつも聞き慣れた可愛らしい声では無く、一人の少女の泣き声。
何だ、これは!? 一体どんな状況なんだ。麦野さんが……泣いている!? マジでなんなんだ、これ!? 冗談なのか。いや、こんなきつい冗談を麦野さんがやる訳無いか。
……そうか、分かった。ドッキリなんだな、これは。おそらく、野坂でも仕向けたんだろう。
……、
「幸村君……」
これが演技な訳が無え。
でも、なら本当に一体この状況はなんだ!? 何で麦野さんは泣いているんだ!? そして何故そんな状態で俺に電話を掛けて来たんだ!?
ともかく今は状況を整理しなくては。
「麦野さん、落ち着いてください。本当に一体どうしたんですか?」
そう聞いた俺だが、言いながら自分の声が震えてしまっていることに気付く。
その後、少しの沈黙を挟んだ後に麦野さんが俺の問いに答える。
「……お母さんが、お母さんが――」
お母、さん? なんだ。一体何があったんだ。お母さんがどうした――
「――死んじゃった」
死んだ……? 麦野さんのお母さんが、死んだ? 死んだって、あの……。もう動かないのか。
「…………」
俺は何も喋れない。
何か声をかけて元気づけてあげたいという気持ちはある。いや、ここは寧ろ声をかけてあげるべきだというのも分かっている。
なのに何故か言葉が出てこない。何か言ってあげたいのに。気持ちはあるのに。何を言えば良いのか分からない。
何やってんだ、俺。早く、何か。何か言ってあげろよ。
「あの……」
でもやっぱり言葉は出てこない。
でも、そんな俺とは対称的に泣き声は相変わらず聞こえてきて……。
ああ。何故、さっきから仲の良い、大切な人が泣いているのに。そんな人が今、俺じゃ想像も出来ない程の悲しみに襲われているはずなのに。何か言葉を掛けるくらいのこともしてあげられないんだ。
こういうところだ。少しは変わったかな、なんて近頃は思っていたのに。こういうところは全く変わっていない。そんな自分に腹が立つ。
「幸村、君、」
泣きながらも麦野さんは何度目か分からない俺の名前を呼ぶという行為を行う。だが、今までと違って言葉が続くように聞こえた。
「はい」
「すい、ません。変な、電話、かけて。じゃあ、もう、切ります」
えっ、もう切る!? ……そんなの、そんなの駄目だ! 俺はまだ何も言葉を掛けてあげてない。このままじゃ駄目なんだ。
「っ……」
でも、結局言葉は出なかった。
☆★☆★☆★☆
ふと、時計を見る。時間は……九時か。
今はベッドに横になっている。なのに眠くない。もう眠気なんてとっくに消え去っていた。
一時間前はあんなに眠かったのに。
電話が切れた後俺はしばらく色々なことを考えていた。今の自分は麦野さんの為に何が出来るか。何をしてあげるべきなのか。
でもどんなに考えても答えは出てこない。
だから結局いくら考えても、麦野さんの為に何も出来なかった、そして出来ないそんな自分に相変わらず怒りが湧いてくるだけだし、そんな状態で俺に電話を掛けてきた麦野さんの気持ちを考えて、悲しくもなった。
いくら俺が頑張ってもしてあげられることなんかたかが知れてる。そんなことはちゃんと分かってもいるのに、胸の辺りにあるこのモヤモヤ。こいつをどうにかしたいと足掻いていた。
――あー、くそ。駄目だ。もう一人で考えても駄目だ。
そんなことを思いながら俺はそこら辺に放っておいたケータイを自然と手に取り、いつの間にか電話をかけてしまっていた。
「はい、もしもし、ユッキー? どうした? お前が掛けてくるなんて珍しいな」
十秒程コールが続いた後に聞こえてきたのは、相変わらず雰囲気が明るい野坂の声だ。
「……おっ、おう、野坂。ちょっとな……」
「って、おいおい暗いな。何々、どうしたんだよ? まさか、怪我でもして旅に行けなくなっちゃったか?」
そっちの方がまだどんだけマシか。でも、否定をする気力は無い。
それに野坂の言ってることは強ち間違いでは無いしな。
「あのな、野坂……」
「おっ、おうっ」
「まず言っとくが、多分今回の旅には行けないだろう」
その後、多少の間が出来る。
どうしたんだ、あいつ。何か考えてるのか?
そして突如黙ったかと思えば今度は突如静寂を破り、笑いながら野坂が言う。
「はいはいはい。分かった、分かった。これドッキリだろ? お前から電話掛けてくるなんて珍し過ぎだし、出てみれば雰囲気暗いしな。それで挙げ句の果てに旅に行けないかもって、ドッキリしか無いでしょ、これ」
「…………」
「……なるほど。冗談じゃ無いんだな。すまん。何があった?」
俺の無言から何かを感じとったようで、おどけた感じから一転真面目な感じで話し出す野坂。
「実は……今、麦野さんから電話がかかってきてな……」
「麦野!? 麦野がどうしたっていうんだ?」
「麦野さんのお母さん、亡くなった、って……」
「えっ……」
流石の野坂も、やはり突然の悲報に驚きが隠せないようだ。まあ、そうだろうな。俺もそうだったし。
でも、俺は話を続けた。麦野さんが泣いていたこと。俺が何も言えなかったこと。そして、どうすれば良いか分からないこと。全部話した。
「そうか。それは大変だった、な……」
ああ、大変だったさ。いや、今も大変だ。
「はあ……。しょうがねえか。今回は中止だな。で、良いのか、ユッキー?」
「ああ……」
俺は良いさ。寧ろその言葉はお前にかけてやりたいよ。
お前は、俺なんかよりずっと今回の旅を楽しみにしてたってのに。
「野坂。聞いてくれてありがとな。じゃあ、もう切るわ」
そう言って耳からケータイを離し切るためにボタンを押そうとしたところで、
「ただな、ユッキー」
野坂の声が聞こえ、ケータイを耳元に戻す。
「俺はあいつじゃないから断言は出来ないが、あの普段人に弱味を見せない麦野が、泣きながらしかも夜に電話を掛けてきたんだ」
「ああ」
「つまり、今麦野は自分でも押さえきれない悲しみを背負い、そして誰かに助けを求めている」
「…………」
「それで理由は知らねえが――お前が選ばれた」
野坂は一呼吸入れ、
「だから助けを求めれた以上は、あれこれ考えすぎるな。何でも良い。出来ることで良いからあいつを助けてやれ。お前は――求人部だろ! 以上っ!」
声を荒げて言う、野坂。
ふっ。ったく、何興奮してんだか。何だよ、以上って。
……でも全くその通りだ。
「ハハッ。なるほどな」
そうだよな。考えても思い付かないなら、ともかく行動すれば良いんだ。
何で俺はそんなことにも気付かなかったんだ。昔っからうじうじ考えて、思い付かなくて失敗してきた。
そういえば、この学校を選んだこと。それが唯一かな。俺が今までで自分から選択をして行動したのは。
その行動のお陰で俺は今、友達が出来て楽しい学校生活を過ごせている。自分から行動しなきゃ、事態は一向に好転しないんだ。
二回目の選択、やってやろうじゃねえか。
「ふんっ。それにしても、ったく、何で頼りになる俺やその他の友達じゃ無く、お前なのかね。こんな頼り甲斐が無いやつ選ぶなんて、マジで理解出来ないぜ」
「……うるせえよ」
多分今の俺の顔、滅茶にやけてるだろうな。
「……ありがとうな、野坂」
「おう」
「俺は本当に良い友達を持てたぜ」
「うおっ! 臭いこと言うなや! 聞いてるこっちも恥ずかしいわ」
今、どうしても言いたかったからな。それから、
「それからな、」
「んっ!? なんだ?」
「やっぱり旅に行こうぜ!」
一つ、麦野さんに言っておきたいことがあるからな。
「ああっ」
「さて、じゃあ切るぜ」
「頑張れよ、ユッキー!」
「任せろ!」
そう言って俺は電話を切る。
さて、じゃあやってやるか。
行くぜ! 行動開始だ!