第32話 墓参り
春の強い風が吹く昼下がり。
あたしとアロンは、霊園にいた。父と母が眠っている。
花と線香を供え、静かに手を合わせる。
(愛する人の子供がお腹にいます。見守ってください)
アロンも手を合わせている。
しばらく動かない。
(何を話しかけてるんだろう?)
「長いね」
あたしは笑う。
「お願いをしてた」
「何を?」
「優子と同じ人間になれるように」
アロンは真剣な表情をしていた。
あたしはまた聞きたくなった。
「確率的にはどうなの? 人間と……吸血鬼が生まれる確率」
「わからない。けど、優子と出会えたってことは運命が動いてる気はする」
「もし、吸血鬼が産まれたら、アロンはなんも変わらないんだよね?」
「そうだね。呪われたままだ……」
「人間の子だったら、アロンはどうなるの?」
「それもわからない……」
アロンは少しだけ目を伏せた。
「人間になれるのか、灰になって消えてしまうのか……」
「ヤーノシュさん、呪いが解けたら死なないって言ってたよね……? でも、死なないのが呪いなら……え、じゃあ、解けたら死ぬの? そんなの嫌だ」
「たぶんだけど、祖父が言った意味は、《死ぬこと=優子と別れること》を呪いだと考えたんだと思う」
「お爺ちゃん、信じようかな。でも、もしアロン死んだら……あたしも死ぬ」
「それはダメだよ。僕たちの大事な子が孤児になってしまうよ」
あたしは何も言えなくなった。
アロンはあたしを抱きしめた。
「万が一、灰になったとしても。頑張って生き返るから」
そう言ってアロンは笑った。
「笑えない……」
アロンは困った顔をした後、あたしにキスをした。
「キスで誤魔化さないでよー」
アロンが笑うとあたしもつられて笑ってしまう。
「ママのとこ、行ってもいい?」
「いいよ」
◇
――夕方。
『クラブ ローズ』
カラン、カラン──。
扉を開けると、梨沙ママがカウンターから顔を上げた。
「久しぶり! CM見たわよ!」
あたしは笑った。
「やっぱり見られたか」
「ご無沙汰してます」
アロンがお辞儀をする。
「アルコール飲めないから、ちょっと足が遠のいちゃってごめんね」
「いいのよ。あら、だいぶお腹目立ってきたじゃない。ふふ、触ってもいい?」
「どうぞ。でも高いよ?」
「やだ、いくらなの?」
ママは笑いながらあたしのお腹を撫でた。
「あやかっとかないとねぇ」
触った後、カウンターでママはあたしとアロンにノンアルビールを注いでくれた。
電話で、柿崎と復縁したとは聞いていた。だが、事情があって《別れていることにしておきたい》と言うことだった。
「ママ復縁したんだよね? でもなんで公にできないの?」
ママは声を落としながら言った。
「誉ね、警察に情報を流してるの。裏のやつらの動きを」
「そうなんだ。それって危なくないの?」
「危ないと思う。スパイのようなもんだし」
「よくママが許したね」
「《ヤマが終わるまで》って話だし、人の役に立つならいいかなあって。……心配だけどね」
ママは、どこか嬉しそうな顔をしていた。
「でも、変わったね……誉さん」
あたしがそう言うと、アロンがすかさず言った。
「愛が勝ったんだな」
あたしとママは顔を見合わせて笑った。
「サラッとこういうこと言うし」
「ね」
アロンは、『悪いか?』と言いたげな顔をした。
あたしはママに気になったことを聞いた。
「《ヤマ》って、いつぐらいになりそうなの?」
「警察の動き次第だけど、秋口あたりかな」
「あと五ヶ月くらいか」
「そうね。まあ、このことは内密でね」
「もちろんよ」
ママが刺身を出しながら、話を切り出した。
「仕事の方はどう? アロンくんの」
「それがね。あのCMが放送されてから、オファーがすごくて……百件くらい」
「すごっ!」
「それが、変なところからも来るの。研究所とか、大学病院とか」
「あーね。でも、人体実験されそうで嫌ね」
「そうそう。でも、アロンは『人のためになるなら……』って行きたがるの」
「口真似しなくてもいいじゃん」
ママはケラケラ笑っている。
「まあ、できるだけ稼ぎたいってのもあるし」
アロンは親指でグラスの水滴をなぞりながら言った。
「真面目だもんね、アロンくん」
ママはグラスを傾けながら言った。
あたしがスケジュール表を見せながら言う。
「来週、政治討論会のコメンテーターで生出演するのよ」
「へー! 面白そう! ……でも肩書きって何になるの?」
「羽もSNSでバレてたし、隠すものないからそのままよ」
あたしはお刺身を食べながら言った。
「そのまま?」
ママはタバコに火をつけながら聞いた。
「『吸血鬼・元貴族』 かっこいい? 中トロ美味しい」
ママは吹き出して咳き込んだ。
「僕も刺身食べようかな……ほんとだ。美味しい」
ママはずっと笑っていた。
「ママ、おかわり」
「ああ、ごめん。他のも出すね」
ママは涙を拭いていた。
「笑いすぎー、ね、アロン」
「そうだね。僕は真剣にコメントするぞ」
「おかしすぎ」
ママは笑いながら、刺身と焼き鳥を出してくれた。
「準備中の札、下げなくていいの?」
「楽しいから、もう少しいいわよ」
「そっか。ありがとう」
あたしとアロンは、ペロリと食べ終えた。
「美味しかった、焼き鳥」
「ご飯ものたべる?」
「んー、呑めないし、そろそろ帰るかな。ママもお店開けて」
「わかったわ。また来てね」
「うん、楽しかった。また来るよ」
手を振ってさよならして、店を後にした。
「……誉さん、大丈夫かな?」
あたしがつぶやくと、アロンが手を繋いでくれた。
「ママのあの様子なら、無茶はしないと思うよ。大事な人がいるんだから」
「なら、大丈夫かな」
アロンが優しく笑った。
空はまだ夕焼けが残っていた。
だいぶ日が伸びているのに気づく。
アロンは食べ足りなかったらしく、スーパーに寄ることになった。
「優子って、体重大丈夫?」
「なによ急に。最近ちょっと増えたかも……」
「一緒に控えるか。このまま帰ろう」
「いいよ、スーパー行こ。アイス食べたいし」
「カロリー低いものがいいよ」
「なんか最近口うるさくなってきた、アロン」
「だって、もう一人の体じゃないんだよ?」
「わかった……ヨーグルトにしとく」
(あとでこっそり買っちゃおっと)
「今、悪いこと考えたでしょ?」
「やだ、読まないでよー」
スーパーに着く頃にはすっかり夜になっていた。
買い物をして家に帰ると、アロンが急に聞いて来た。
「子供が産まれると忙しくなるし、一度旅行行かない?」
「旅行かー。まあ、行くなら今よね。どこ行くの?」
アロンは少し含み笑いをした。
「優子はどこ行きたい?」
「それって国内? それとも海外?」
「どっちでもいいよ。給料たんまり入ったし、どこでも。優子が行きたいところで」
あたしはしばらく考えて、花の都パリに行ってみたかったので伝えた。
「行ってみたかったところは……パリかな」
「じゃあ、明日行こうか」
「明日!? 早くない?」
「優子の体調がいい時に行っときたいから」
「まあ、いいけど。やりかけの仕事もないし……」
「僕が予約するよ」
あたしは苦笑した。
(相変わらず、思い立ったらの人だな)
◇
――パリの夜、セーヌ川沿い。ライトアップされたエッフェル塔の前。
観光客のざわめきの中、あたしとアロンは立ち止まる。
春の風があたしの髪を揺らす。
「綺麗ね……」とあたしは呟く。
アロンは少しだけ間を置いて、静かに言う。
「優子」
「なに?」
「君と出会って、僕はようやく《生きている》ということを知った。
永遠の時間をさまよっていた僕に、君が《今》をくれた」
あたしは目を瞬く。
アロンは片膝をつく。その手には小さな指輪の箱――ライトに反射して銀色が輝いた。
「これからも、君と生きていきたい。
――僕と結婚してくれますか?」
一瞬、周囲の音が遠のく。
ライトアップが強くなり、塔全体が金色に輝く。
あたしは涙ぐんだ。
「……はい」
その瞬間、人だかりができて、拍手と歓声が起こる。
スマートフォンのフラッシュが次々に焚かれた。
「アロン、すごい人……!」
あたしは戸惑って笑う。
アロンは、少しだけあたしの手を握り直した。
静かに、目だけがあたしを見ている。
「大丈夫。僕がいるよ」
その一言で、胸の奥がふっと落ち着いた。
「困ったな」
アロンは小さく息をつき、今度はいたずらっぽく笑った。
「じゃあ――移動しようか」
アロンはあたしの手を取る。
風が巻き上がる。アロンは大きな黒い羽を広げた。
「おおーっ!」
どよめきが広がる。
次の瞬間、ふたりの姿は夜空へと舞い上がった。
眼下に広がるパリの灯り。
エッフェル塔が小さくなっていく中、アロンに話しかけた。
「ねえ、アロン」
「うん?」
「これ、絶対ニュースになるね」
「たぶんね」
二人は笑った。
アロンはあたしを抱いて、凱旋門の上に降り立った。
真下には、車のライトが円を描くように流れている。
あたしは思わず彼の腕をつかんだ。
「高いね……落ちたらどうするの」
「僕がいるよ」
アロンは穏やかに笑う。その声は風より静かだった。
アロンはあたしの手を包むように握った。
「さっきのは、世界に向けて言った言葉だよ」
「え……?」
「ここからは、優子にだけの言葉だ」
ゆっくりと指輪を取り出す。
「ずっと考えてた。
この先どうなるかはわからない。
君が人間で、僕がそうじゃない以上、いつか別れが来るかもしれない」
言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。
「でも、それでも――君と生きたい。
だから、もう一度言う。僕と生きてほしい」
あたしは涙をこぼしながらうなずいた。
「……うん。生きる。あなたと」
アロンは、丁寧に指輪をはめてくれた。
夜空の下で、ただふたりだけの誓いが完成した。
胸が熱くなった。
嬉しくて、怖かった。
だって、この瞬間が永遠に続けばいいと思うほど、
その《永遠》が儚いものに感じたから。
ふたりの間を、パリの風がすり抜けていった。
夜空の下で、あたしは囁く。
「永遠なんて信じてなかったけど――今なら信じられる」
あたしは彼の胸に顔をうずめた。
「生まれてくる子にも、伝えようね」
「うん」
その時、凱旋門の灯が一瞬だけ強く輝いた。
まるで祝福するかのように――
ふたりの未来は、まだ夜の中にある。
けれど、その夜はもう、怖くなかった。




