第30話 運命の人
『クラブ ローズ』
お店の入り口の扉には、紫の薔薇の大きな絵が描かれている。札はまだ「準備中」のままだった。
カラン、カラン。ドアベルを鳴らし、あたしとアロンは店に入った。
「いらっしゃーい」
梨沙ママが笑顔で迎えてくれる。
「ただいまー!」
あたしは手を振って挨拶した。
アロンはお土産の袋をカウンターに置く。
「なあに? お土産? こんなにいっぱい!」
「余ったらお客さんに配って」
「ありがとう」
ママは微笑みながら、それをカウンターの奥にしまった。
「そういえば、どうなったの? ノンアルにする?」
ママがイタズラっぽく笑う。
「うん……ノンアルで。電話しようと思ってたんだけど色々あって……」
言ってから、ちょっと恥ずかしくなった。
「そっか。おめでとう。お祝いしなきゃね」
「ありがとうございます」
アロンが丁寧に返す。
「アロンくんはビール?」
「僕もノンアルで」
「お土産話、いっぱい聞かせてよ」
ママは枝豆と冷奴を出しながら言った。
あたしは観光したこと、食べ物のこと、セシルと会ったこと、
そして――守護霊が見えなくなったことを話した。
「マジでー?」
ママが目を丸くする。
「占いは辞めちゃうの?」
「うん。たぶん。一般的なのはもう自信ないし」
するとアロンが口を開いた。
「僕が働きます」
「アロンくん、働けるようになったの?」
「就労ビザ、もらえました」
「ならホスト復帰する?」
ママが真剣な顔になる。
「まだ、色々考え中です」
「そっかあ……売れっ子になりそうなのに」
ママは少し残念そうに笑った。
あたしは思い出したように言った。
「そういえば、成田空港で誉さん見たんだ」
ママの笑顔がふっと消える。
「トイレの入り口でばったり。何も言わずに行っちゃったけど……」
「元気そうだった?」
ママがあたしの目を見て尋ねる。
「まあ、普通だったかな。龍田吾郎と一緒だったのかも……よくわかんない」
「気になるなら、電話してみるのもいいかも」
アロンが静かに言った。
ママは俯いて言った。
「アロンくんにあんな酷いことをしたのにそんな風に言ってもらえるなんて……」
「アロンはそんなに心が狭い人じゃないから。王子様だし」
「終わったことです」
アロンは優しく微笑んだ。
「今度、電話してみるわ」
ママも穏やかに笑い返した。
「そういえば病院行ったの? 産婦人科」
「うん。行ったよ! 心臓、ちゃんと動いてた」
「そっかー。ママとパパかぁ。あたしはおばちゃんになるのね。どんな美男美女が生まれるのか楽しみね」
「わかんないよ。あたしに似るかも」
「優子に似たら可愛いじゃん」
アロンがそう言うと、ママは「ご馳走様」と言って笑った。
ママが「準備中」の札を外すと、すぐに二組の客が入ってきた。
店内が賑やかになったので、あたしたちは席を立つ。
「また来るね」
「また来ます」
「またね。お土産ありがとうね」
店を出ると、夜風が少し冷たかった。
アロンがモジモジしながら言う。
「……優子の手料理が食べたい」
初めてアロンのほうからお願いされた気がして、胸が温かくなった。
「なら、スーパー行こっか」
あたしはアロンの手を取った。
「何食べたい?」
「和食がいいな」
「魚? それとも肉?」
「肉料理」
「鳥の唐揚げ、豚の生姜焼き、肉じゃが、ハンバーグ、カレー、麻婆豆腐、餃子……」
「《肉じゃが》がいい」
「いいね。他は適当に作るよ」
スーパーでは、和食系の食材をかごに入れながら献立を考える。
アロンは、買い物中の子どもに写真を頼まれたらしく、中腰で撮っていた。
その姿に、思わずクスクス笑ってしまう。アロンは少し照れていた。
買い物を終えて帰宅。
アロンも台所に立ってくれる。
「アロンって王子様なのに、なんで料理上手いの?」
「ずっと自炊してたから慣れてるだけだよ」
「なるほど。一番料理が美味しかった国は?」
アロンはじゃがいもの皮を剥きながら考える。
「ハズレが少なかったのはフランスかな。イタリアもギリシャもうまいね。もちろん日本も。中国は美味しいけど当たり外れがある」
「ギリシャ料理って美味しいんだ?」
「《ムサカ》っていう料理が美味しかった。今度作ろうか?」
「食べたい!」
「作るよ」
アロンが微笑む。
夕飯は、豚バラ肉の肉じゃが、だし巻き卵、ほうれん草とにんじんのごま和え、かぶと豆腐の味噌汁。
「いただきます」
「ちょっと時間かかっちゃったね」
「その分、愛情こもってる」
「アロンの言葉、なんかくすぐったい」
「そのまま言ってるだけだよ。――味噌汁、美味しい」
「肉じゃがも食べて」
アロンが一口食べる。
「コクがあって美味しい」
「水使ってないから。酒を多めにしてるの」
「だし巻き卵も、出汁たっぷりで美味しいよ。優子は料理上手だね」
「褒めすぎ」
でも、嬉しくて顔が緩んだ。
「いつも食べるの早いのに、今日はゆっくりだね」
「勿体ないから、時間かけてる」
「また作るよ」
「本当?」
アロンが笑う。その笑顔につられて、あたしも笑った。
二人で食器を洗った後、ソファでアロンとくつろぐ。あたしはアロンの上に寝そべっている。
アロンはあたしのお腹に手を当てている。
「この手、なに?」
「早く大きくならないかなって」
あたしは笑った。
「でも、なんとなく膨らんできた気もする」
「んー、わかんない」
あたしはアロンの手を掴む。
「ほら、このへん。下の方」
(しまった。スイッチ入れちゃった)
アロンがあたしの顎をそっと上げて、キスをした。
「確かめてみよう」
◇
あたしはベッドでアロンの腕の中にいた。
「明日、以前オファーもらった警備会社に電話してみようと思ってるんだけど、いい?」
「コマーシャルか……いいよ。そういうのって事務所とか入らなくていいのかな?」
「ちょっと書類持ってくる」
アロンが笑う。
あたしは裸のままウロウロして、紙を探した。
「あった、これ」
ベッドに戻って書類を見せる。
「あたしが起業してアロンのマネージメントするってのはどう?」
「それ、ナイスアイデアだよ」
アロンが笑う。
書類を眺めるが詳しいことは書いてなかった。
「契約のことしか書いてないね」
アロンも書類を見ている。
「今さらだけど、アロンて日本語の文章読めるの?」
「読めるし、書けるよ。会ったばかりの頃、メモ置いたよ」
「あ……」
思い出した。あの時の、綺麗な字。
「なんでそんなに日本語上手いの?」
「優子の《なんで》が始まった」
アロンは笑った。
「昔、しばらく長崎にいたんだ。まだ日本が外国人を受け入れてなかった頃」
「もしかして《出島》?」
「うん。オランダ経由で来たよ。明治の頃にも少し。日本には、何かある気がしたんだ。――やっぱり正解だった」
あたしはアロンの胸に頭を預けた。
途方もない時間を旅して、あたしを探してくれたんだ――何百年も。
「なんでそんなにあたしを探したの?」
「僕はいつも、この世に取り残されてた。
定住しても、みんないなくなる。僕だけ時間が進まないんだ……。
セシルは『必ず生まれ変わる』と言っていた。
それに、僕が共に歩きたいと思える人は、他にいなかった」
「優子は、僕の運命の人だ」
自然に涙がこぼれた。
「納得できないなら、何度でも説明するよ」
その声が優しすぎて、胸の奥が温かくなった。
「……納得した」
「今日はもう寝ようか」
アロンが囁く。
あたしは頷いた。
――あたしの中に揺るぎのない何かが、確かに芽生えた。




