第26話 観光(前編)
飛行機では爆睡していた。
アロンはなかなか寝付けなかったらしい。飛行機が苦手なんだそうだ。
「もし落ちたら地面に叩きつけられるから、自分で飛んだほうがマシだ」
そう言うアロンに、思わず笑ってしまった。
本当に長旅だった。ずっと座っていたせいか、腰が痛くなった。
イスタンブール空港での乗り継ぎのときは寒くて、アロンがずっと気を遣ってくれた。
やっと目的地のルーマニアに着いた。
空港の名前――アンリ・コアンダ。
アロンが教えてくれた。ルーマニア出身の航空技術者で、ジェットエンジンを発明した人らしい。
手続きを済ませて外に出る。
ルーマニアの冷たい空気が肺にしみた。
アロンが、そっと手を繋いでくれた。
空港近くのレンタカー店へ向かう。アロンは「マニュアルでもいい」と言ったが、あたしは迷わずオートマを選んだ。
(アロン、運転する気?)
早速、アロンの出生証明とパスポートの申請に行く。
レンタカーは一応ナビは付いていた。でも何を言ってるのかわからない。
アロンが「Dreapta」が右、「stânga」が左と教えてくれた。
右を走ると違和感で、逆走しそうで怖かったがナビのおかげでなんとかルーマニア国籍庁本部に到着。
「出生証明さえ取れれば、簡単なんだけどね」
アロンは言った。
(ちょろまかすために、ここまで来たんだろうなあ)
あたしはそう察した。
建物は重厚で古く、まるでパリの建物みたいだった。
パリの建築家が建てた建物もあるそうだ。近くにはあの有名な議事堂宮殿もある。
あたしは椅子に座ってアロンを待った。
駐日ルーマニア大使館とは違い、なかなか戻ってこない。
一時間が経ったころ、ようやくアロンが現れた。手に書類を抱え、不機嫌そうにしている。
「日本とえらい違いだ」
珍しくアロンが文句を言った。
「悪いが、もう少し付き合って。今度は戸籍・パスポート総局に行く」
次の建物はこじんまりとした黄色い建物だった。アロンは数分で戻ってきた。
「申請だけしてきた。二週間かかるって」
「二週間か……」
(またお金が……。もうすっかり出費麻痺してるけど)
「その間に、いろんなところに行こう」
アロンはあたしの手を握って言った。
あたしは少し考えてから言う。
「アロンの過去の場所に行きたい。歴史っていうのかな」
「わかった」
アロンは優しく微笑んだ。
「今日はブランの近くに泊まって、明日から別のところへ移動でもいい?」
「あたし、わからん。任せるわ」
「運転代わろうか?」
「うん、右通行慣れてないし、お願い」
アロンは頷き、運転を代わってくれた。
「大丈夫なの?」
「なんとかなるさ」
「運転うまい?」
「そっちの話か。乗ればわかるよ」
アロンはそう言って微笑んだ。
「まずはブラショフに行こう」
「料理屋さんがたくさんあるとこあるわ。お腹すいてきた」
「よし、行こう」
三時間かけてブラショフに到着。目的地近くの駐車場に車を停める。
「黒教会の近くにルーマニア料理店があるから、そこに行こう」
「わあ、楽しみ!」
二階建ての建物が並ぶヨーロッパの街並み。石畳の通り沿いには店が並び、広場の奥には教会がそびえている。
「ここはアロンとは関係ない感じ?」
「うん。観光に寄った感じ。今日はあとブラン城に寄ってみるか」
「ブラン城って……ドラキュラの城だっけ?」
「そう。僕とは直接関係ないけどね」
「本物、ここにいるのにね」
冗談めかして言うと、アロンは笑ったが、どこか寂しそうに見えた。
ルーマニア料理店に入る。
アロンの勧めで、あたしはサルマーレという料理を頼んだ。アロンはミティティとアルデイ・ウンプルツィを注文。ビールもつけた。
しばらくして料理が運ばれてくる。
「わあ、美味しそう」
まずは乾杯。
飲んでみると口当たりまろやかで、軽くて飲みやすい。
「日本のビールに似てて美味しい」
「良かった」
サルマーレは、日本のロールキャベツに似ているけれど、ほんのり酸味が効いている。サワークリームをつけるとまろやかで美味しい。
「アロンのもちょっと頂戴」
ミティティは硬めのハンバーグのようだけど、ジューシーでスパイシー。ビールによく合う。
「これも美味しい」
アルデイ・ウンプルツィはトマトベースのスープで、野菜と肉の旨みが溶け込んでいる。
「あったまる……」
「気に入ってもらえたみたいで、良かった」
アロンは優しく微笑んだ。
食べ終えると、ブラン城を目指す。三十分ほどの距離だ。
「僕は観光で来たことがあるくらい」
「そうなんだ」
ブラン城は、まさに《お城》という感じだった。内装は落ち着いていて、観光地らしい華やかさもある。
「アロンゆかりのところに行きたいな」
「ここから行けるけど、結構遠い」
「じゃあ明日でいい」
「今日は移動で疲れたでしょ。ホテルに行こう」
ブランの先にあるホテルに泊まる。小さなお城のような見た目で可愛い。意外と安かった。
ベッドに倒れると、一気に眠気が押し寄せた。
「あたし、今日タバコ吸ってなかったわ。なんかまずいのよね」
「ならやめたら?」
「うーん……考えとく」
「ここ、オプションで夕飯つけられるみたいだから、後で食べに行こう」
「うん……後で起こして」
そのまま眠りに落ちた。
深夜一時に目が覚める。アロンは隣で寝ていた。テーブルにはあたしの分の夕飯が置かれている。アロンは先に食べたようだ。
お腹が空いたので食べる。
(冷めてるけど、美味しい)
ルーマニア語を流暢に話すアロンを思い出していた。遠い国の人になってしまったような気がして、少しだけ胸が痛んだ。
あたしはまたベッドに戻り、夢の中へ落ちていった。
◇
朝起きると、朝食が準備されていた。
「これぞ旅の醍醐味。毎日ご飯が美味しいし、上げ膳据え膳だわ」
「優子、普段ほとんど作らないじゃん」
「ま、まあ、それは置いといて」
「優子の手料理、食べたいな」
「日本帰ったら作るわ」
(覚えてたらだけど)
「楽しみ」
アロンが笑った。
「あ、昨日、梨沙ママに電話するの忘れた。誉さん見たから電話しようと思ったのに」
「時差あるから昼間にしたら?」
「そうする。誉さん、どこ行ったんだろう……」
「この国じゃないことは確かだ」
「今日はどこ行くの?」
あたしはバゲットをスープに浸しながら聞いた。
「寒いかもだけど、ポエナリ城と、セシルの城があった場所。ポエナリ城は僕が幽閉されてたところで、セシルの城は今は修道院になってる」
「アロンが昔いたところか……。訪ねて大丈夫?」
「大丈夫だよ。拷問とかされたわけでもないし。セシルと出会った場所だから」
胸が少しチクリとした。
「できるだけ暖かい格好していこうか」
あたしはカイロをいくつも貼って、防寒着をしっかり着込んだ。
◇
ポエナリ城の入り口に着いた。車を停めて歩いて登る。山の頂上にあるらしい。
「階段、どれくらいあるの?」
「千段以上だったかな」
「千……」
息を切らしながら登りきると、ようやく頂上に着いた。
城の手前には、串刺しにされた人形が飾られている。
「なんか怖い……」
アロンが手を握ってくれた。
城はそれほど大きくなく、見張り塔のような規模だった。
「こんなところに幽閉されてたの?」
「塔の中に」
今は半分ほど朽ちていて、人が住むような場所ではなかった。
「アロン……可哀想」
自然に涙がこぼれていた。
アロンがそっと抱き寄せる。
「もう、大丈夫だよ」
階段を下りながら、アロンが呟いた。
「朽ちた城を見ると、自分は死ねない体なんだって、改めて思い知るよ」
車に戻ると、アロンが湖の方を指した。
「この先にセシルの城があった場所がある。今は修道院だよ」
「行ってみる」
「道がすごい曲がってるね」
アロンが笑った。
「トランスファガラシャンっていう。ヘアピンカーブで有名なんだ」
小道を進み、車を停める。建物が数軒、墓地も見える。
「中、見学できるかな」
「せっかくここまで来たんだし、寄りたい」
――大殉教者パンテリモンの修道院。
赤い絨毯が敷かれた教会の中には、キリストの絵がいくつも飾られていた。
クリスチャンでもないのに、あたしは自然と祈っていた。
アロンがじっとこちらを見ている。
「祈る姿が様になってる」
「そう?」
あたしは、この旅が無事に終わりますようにと心の中で願った。
旅はまだ続く。北の道は行き止まりなので一旦南下する。道はくねくねと曲がり、ヘアピンカーブが続いた。
「ビドラル湖っていう。今はダム湖だけど、昔はもっと小さかった」
アロンが説明してくれるけれど、あたしは顔が青ざめていた。
「気持ち悪い……。停めて……」
あたしは吐いてしまった。
「大丈夫?」
アロンが背中をさすりながら心配そうに覗き込む。
「うん……。あたしあんまり酔わない方なんだけど……まだ気持ち悪い」
見晴らしのいい場所に車を停めてもらい、休憩しながら梨沙ママに電話した。
「ママ? ご無沙汰!」
『マリア、今どこなの? ルーマニア行くって言ってたわよね』
「アロンの歴史を辿る旅してるよ」
『アロンくんと一緒なら安心ね。お土産話楽しみにしてるわ。いつ帰れそうなの?』
「あと二週間くらいかな」
『ゆっくり羽伸ばしてらっしゃいな』
「でもね、なんか体調がイマイチで。タバコ不味いし、眠いし、酔って吐くし」
『……それ、うちの妹のときと同じ症状だわ』
「えっ、なんの病気?」
『妊娠したんじゃないの?』
「えっ……」
(それは……なくはないな)
『調べてみたら? アロンくん喜びそうね。クスクス』
「そうする! ありがとうママ!」
「アロン、薬局寄ってほしい」
「薬局? ママが何か言ってた?」
「あっ、誉さんの話するの忘れてた」
アロンは苦笑して言った。
「なるべくゆっくり走るから」
「ゆっくり急いで!」
あたしは無理なお願いをしていた。
◇
一番近くの薬局に寄ってもらった。
あたしは急いで店に入ったけど、単語がわからない。
スマホで調べればいいのに、アロンに聞いてしまった。
「妊娠検査薬、あるか聞いてくれる?」
「……えっ?」
アロンは一瞬固まったが、店員に尋ねてくれた。
あたしはそれを受け取ると、トイレに駆け込む。
数分後――。
「……ビンゴ」
嬉しいのか、不安なのか、よくわからなかった。ただ胸の奥がじん、とあたたかくなった。
(アロン、どう思うだろう。喜んでくれるかな?)
「……伝えなきゃ」
あたしは大きく息を吸って、検査薬を握りしめた。
あたしは洗面台の鏡に映る自分を見た。
少しだけ、目の奥が明るくなっている気がした。




