第23話 怪力
あたしは足の寒さで目が覚めた。
寝床を探す元気もなく、ここでアロンの胸を借りて寝ていたのだ。
上を向くと、アロンが口を開けて寝ていた。
あたしが動いたせいか、アロンが目を覚ます。
「おはよう。眠れた?」
「おはよ。思ったより寝れた」
あたしが笑うと、アロンはあたしの額にキスをした。
慌てて起き上がると、腰が痛い。
「いたた……」
「大丈夫?」
「うん。アロンは?」
「僕は平気」
あたしと出会う前に、アロンが公園で寝泊まりしていたって話を思い出した。
立ち上がると、アロンが聞いてきた。
「今日はどこ行くの? いろいろ手続きがあるんだよね?」
「うん。消防署で罹災証明書の申請して、火災保険会社に連絡。あと、電気・ガス・水道の停止連絡もしなきゃ」
アロンは顎に手を当てて、少し考えるとこう言った。
「それは大変だ。レンタカー借りたほうが楽かもしれないね」
「そうね。眠くなったらアロンの膝借りて寝る」
「いつでもどうぞ」
アロンは笑った。
◇
あたしは幸い居眠り運転せず、一通りやりたかったことは済ませた。
「母の家……いや、今はあたしの家か。なんもないから、布団とテーブルくらいは買いたい。あと電子レンジと、トイレットペーパーとかいろいろ」
「近くで買えるものなら僕が行ってくるよ」
「そっか。ありがとう」
「クシュン!」
派手なくしゃみが出た。
(寒気するな……風邪引いたかな)
アロンがあたしの額に手を当てる。
「少し熱あるかもしれない。暖かいとこで寝たほうがよかったね。ごめん」
「あたしが疲れ切ってただけよ」
家電量販店に着くと、アロンはあたしを車に残して、布団と電子レンジを買ってきた。
手際よく車に積み込む姿に、(ほんと頼りになるな)と思った。
それから、家に戻るとあたしはだるさでそのまま布団で寝ることにした。熱を測ると三十九度一分。
アロンが布団を広げてくれている。
「スマホに買って欲しいものリストを送っといたわ」
「わかった。なるべく早く戻るよ」
「そんなに慌てなくていいよ……」
あたしは熱と睡眠不足で朦朧としていた。
アロンが額にキスをする。
(風邪うつるわ……いや? アロンは風邪ひかないのか)
◇
アロンはスーパーでカートを押しながら買い物をしていた。
会計を済ませ、両手いっぱいに袋を持って出口へ向かう。
その瞬間、白い車が目の前を横切った。高齢者が運転する車だ。
ふらついた車体は、スーパーの入り口めがけて突っ込もうとしている。
目の前には、店に入ろうとする家族連れ。
アロンはとっさに荷物を捨て、車の前に飛び出した。
両足を踏ん張り、バンパーを両手で押さえる。
車体が前半分、持ち上がった。
空転する前輪。唸るエンジン。
それでも運転手はアクセルを踏み続けている。
アロンは仕方なく車を横倒しにした。
「ごめんね」
ようやく、ドライバーは足を離した。
周りの人は誰一人この光景を怪しむ人はいなかった。
アロンは落ちた荷物を拾い、急いで家に戻った。
◇
あたしがうとうとしていると、アロンが帰ってきた。
両手に両手いっぱいに荷物を抱えている。
「ありがとう。助かる」
「水分取らないとだから、飲み物たくさん買ってきたよ」
「うん。飲む」
あたしが座って飲んでいると、アロンがスーパーを出る時の出来事を話してくれた。
「それは……いいことしたと思うわ。大惨事になるとこだったね」
「でしょ」
アロンは照れて笑った。
あたしはまた癖が出てアロンに聞きたくなった。
「アロンって風邪ひくことあるの?」
「ないよ。多分、細菌とかウイルスは体に入ったらすぐ殺しちゃうと思う」
「なるほど」
「優子の熱、冷ますつもりで一緒に寝ようか?」
アロンが優しく言ってくれたのでつい甘えたくなったが、こう答えた。
「いや、いいよ」
「僕に感情の嘘はつけないよ」
アロンが優しく唇を重ね、そのまま布団に入ってきた。
腕枕をされて、あたしは照れてごまかした。
「ずっと風呂入ってないから臭いよ」
「んなことない。僕、臭う?」
「……大丈夫」
「じゃあシャワー浴びてくる!」
あたしは苦笑した。
(別にいいのに……)
この家はまだ電気も水道もガスも止めてなかった。
(ここにきて助かったな……)
しばらくしてアロンが戻る。
「あたしもシャワー浴びようかな」
「そのままでいいよ。熱上がるよ?」
「自分が嫌だから浴びてくる」
髪と体を洗うと、さっぱりした。
ドライヤーがなかったので、アロンがタオルで髪を拭いてくれた。
「さっき言ってた、スーパーの出来事って、防犯カメラに映ってるのかしら」
「どうだろう? まあ悪いことしたわけじゃないし」
「まあね」
あたしは笑った。さっきより少し体が軽くなった気がした。
アロンが額に手を当てる。
「まだ熱高いよ。寝よう。……薬買ってこようか?」
「薬はいいよ。寝れば治ると思う」
「わかった」
布団に入ってアロンの腕に抱かれて寝る。
(いい匂い……)
安心感に包まれ、意識がゆっくり遠のいていった。
◇
朝起きると、熱は下がっていた。
「おはよう」
アロンが額に手を当てる。
「下がってる。良かった」
アロンのホッとした顔を見ると、あたしは急に愛おしくなってキスをした。
求めるようなキス。アロンも応える。
「どうしたの?」
あたしは答えずに微笑んだ。
アロンはあたしの額に掛かった髪を指で避けながら、あたしの目を見つめる。
アロンは熱いキスをする。
そして二人は愛し合った。
――まどろんでいると、スマホが鳴った。
梨沙ママからだった。
『マリア、テレビ見た?』
「それが……一昨日火事になって今別のところに住んでて、テレビ見てないの」
『火事!?』「放火されちゃったのよ」
『大和組のやつ?』
「見たことない顔だったから、まだわからない」
『そっか。あたしで役に立てることがあれば言ってね』
「ありがとう。で、テレビに何が?」
『昨日の夕方、スーパー行ったでしょ? あの映像がニュースで流れてたの』
「あちゃ……」
『走ってる車を止めて横倒しにしてるとこ。あれはインパクトあったわね。弁護士さんに相談しといたほうがいいかも』
「うん。そうする。ありがとう、ママ」
『あたしはいつでもあなたの味方よ。またね』
ママの言葉が嬉しかった。
アロンは気まずそうに言う。
「優子の言ってたとおりだったね。ごめん」
「ううん。むしろ誇りに思う。アロンのそういうところ、好きだし」
「優子……」
アロンがキスして言った。
「愛してるよ」
「……あたしも」
お互い抱き合った。
そしてあたしは、現実に引き戻すように言った。
「橋本さんに電話してみる」
電話をかける。
「高木ですが、橋本さんですか?」
「どうも。お世話になってます。いやー、テレビ見ましたか?」
「見てないんですが、知り合いから聞きました」
「これから騒がしくなるかもしれませんね。あと、《羽》の動画削除の件ですが……削除できませんでした」
「そうですか……」
「誹謗中傷にも名誉毀損にも当たらないとの判断です。放火犯の件はまだ身元不明ですが、警察は動いています。それともう一件、お話ししたいことが。来られますか?」
「はい。これから伺います」
電話を切ると、アロンが言った。
「優子、お腹空いてない?」
「軽く食べてから行こうか」
橋本さんに少し遅れると伝え、カフェに寄った。
注文を待ちながらSNSを見ると、アロンの動画が拡散していた。
『この人、人殺しの羽の人じゃない?――でも、恋人守ったんでしょ?――かっこいい――人間じゃないよね――正体何?』
しかも特定班が場所まで突き止めていた。
「このままだと、不法滞在のままじゃ一緒にいられなくなるかも……。ちゃんと申請しないと」
「そうだね。優子と一緒にいられるなら、なんでもするよ」
アロンの言葉に胸が熱くなった。
注文したカフェオレとハムクロワッサン。アロンはエスプレッソとクラブハウスサンド。
アロンはすぐ食べ終え、あたしはスマホで情報を見ながらゆっくり食べた。
「市役所が情報知りたがってる。表彰したいらしい」
「なんか大ごとになってきたね」
アロンは他人事のように言った。
会計をしていると、店員がアロンをチラチラ見ていた。
店を出て電車に乗っても、視線を感じる。
◇
橋本法律事務所に着くと、少し待たされた。
コンコン。応接室のドアのノックする音。
少し疲れた様子の橋本が現れた。
「お忙しいところありがとうございます」
テーブルに封筒を置いて言う。
「動画削除の件の資料です。放火犯については警察が捜査中です」
「わかりました」
あたしは封筒をバッグにしまった。
「スーパーの防犯カメラ映像、見ましたか?」
橋本はアロンの顔をうかがった。
「SNSで」
あたしが答えた。
「その件で、警備会社からCM出演の依頼が来ています。仕事のオファーですね」
「マジですか……」
あたしは驚いた。
「パスポートの件ですが、ルーマニア大使館によると、出生証明がないと発行できないとのことです。現地での登録が必要で……我々の範囲外です。これが報告書と請求書になります」
「ありがとうございます」
あたしは書類を受け取った。
金額を見て、(やっぱり高いな)と思いつつ頭を下げた。
「放火犯の件は分かり次第ご連絡します」
「お願いします。本当にお世話になりました」
事務所を出て、あたしはつぶやいた。
「ルーマニアか……」
アロンが笑う。
「連れて行こうか? 抱っこして」
「馬鹿……」
あたしは苦笑した。
アロンの生まれた時代と、あたしの前世に思いを馳せた。




