第22話 取調室
火事が起きた家の名義があたしなので、警察官と話をすることになった。
アロンは名残惜しそうにこちらを見ていた。
「行ったほうがいいよ。行かないと不利になるから」
あたしはそう言って、背中を押した。
「何かあったら僕を呼んで」
アロンは心配そうにしながら、刑事と一緒に歩いていった。
あたしは橋本弁護士に電話した。
警察署の名前を告げるとすぐに向かってくれると言う。
「大丈夫ですか? ……それは大変でしたね。アロンさんには私が付きます。どうか気を落とさずに」
受話器越しの優しい声に少し救われた。
「ありがとうございます。お願いします」
一時間かかって、ようやく鎮火した。
外壁は残っていたが、中は黒く焼け落ちていた。それでも、アロンが気づくのが早かったおかげか、延焼は免れたらしい。
火元は玄関付近。あたしの証言とも一致していた。
警察官が言った。
「防犯カメラが無事のようなので、映像を確認します。高木さんも署に来てもらえますか」
頷いた瞬間、足元が少しふらついた。煙の匂いがまだ鼻に残っている。
◇
――一時間前。
警察署の取調室。
白い蛍光灯の下で、アロンは机の前に座っていた。
彼の指先がかすかに震えている。鉄製の椅子の冷たさが、心まで伝わってくるようだった。
「高木優子さんとあなたは、密輸船に連れて行かれ、監禁された。これは事実と合っていますか?」
「はい」
アロンはうつむいたまま、自分の手を見つめた。
「では、脱走の際に三人の大和組の組員を殺害した。これは事実ですか?」
「……はい」
声がかすれていた。
「ですが、命の危険がありました。あのままだと、優子も僕も――殺されていたと思います」
取調官は眉をひそめ、手元の書類をめくる。
「確かにお二人は救急病院で治療を受けていますね」
「はい」
「その組員たちとは、もともと顔見知りだったわけでは?」
アロンは静かに首を振り、これまでの経緯を話した。
優子が脅された話、自分が助けた話、優子がはめられそうになった話をした。
すべてを語るうち、胸の奥の熱が少しずつ落ち着いていく。
「なるほど……では、仲間割れという線はなさそうですね」
「それはありません。絶対に」
「では質問を変えます。あなたは日本の国籍をお持ちですか?」
「いいえ」
刑事のペンが小さく走る音がする。
「どこの国の国籍です?」
「……」
言葉が喉に詰まる。その時、ドアがノックされ、別の刑事が顔を出した。
「アロンさんの弁護士さんが来られました」
連れていかれた小さな待合室には、橋本が待っていた。
彼は立ち上がり、穏やかに頭を下げる。
「面談が通ってよかった。何を聞かれました?」
アロンは取り調べされた内容をそのまま話した。
橋本は一つ一つ確認するように頷きながら聞いていた。
「アロンさんは、ビザや在留カードはありますか?」
「ないです」
「パ、パスポートは?」
「……ないです」
「どうやって日本にきたんですか?」
「飛んできました」
「飛ん……」
橋本は一瞬、言葉を失った。
すぐに表情を整え、バッグからペットボトルを取り出して水を飲んだ。
「はーっ」
深く息をつくと、切り出した。
「一つ、どうしても言いたいことがあります。警察に《羽》は見せないでください」
橋本は続けて話した。
「私もSNS見ました。その話が出るかもしれません。パスポートや国籍の話と羽の話は、黙秘してください」
「わかりました」
「何か質問はありますか?」
「殺害の話については、正当防衛をアピールすればいいでしょうか」
「ちょっと専門的になりますが……正当防衛には四つ条件があるんです」
橋本は指を折りながら、落ち着いた口調で説明した。
「今まさに不法な攻撃を受けていること。自分や他人を守ろうとする意思があること。その場で防衛行為をする必要があること。反撃の程度が行き過ぎていないこと。今回の話なら、十分正当防衛になるはずです。ただ、誘導されないように気をつけてください」
「わかりました。ありがとうございます」
アロンは深々と頭を下げた。
「では、そろそろ取調室に戻りましょうか」
アロンを連れて取調室に向かう。橋本は刑事に話しかけた。
「取調室の録音は構いませんでしょうか?」
「いや、それは無理ですね」
刑事は嫌そうな顔をする。
「……わかりました」
橋本は何か言いたげだったが、言葉を飲み込んだ。
橋本の電話が鳴る。優子からだった。
「防犯カメラに犯人が映っているかもしれない? ――わかりました。こちらで待っています」
電話を切ると、アロンが尋ねた。
「優子ですか?」
「ええ。こっちに来るそうです」
「会ったら、僕を待つよう伝えてください」
「わかりました」
刑事とアロンは、取調室に入った。
◇
あたしは警察官に連れられて警察署に行った。アロンが取り調べを受けているという。
一緒にいた警察官が言う。
「sdカードを調べてきますので、待合室でお待ちください」
待合室に通されると、橋本がいた。
「あ、優子さん。アロンさんのことでお聞きしたいことが」
「橋本さん。色々とありがとうございます。……アロンのことですか?」
「アロンさんは、不法滞在の可能性があります。このままだと、最悪母国に強制送還に……。母国はどこかご存知ですか?」
「ルーマニアと言っていました」
「アロンさんが滞在している期間は九十日を超えていますか?」
「微妙だけど……まだ超えてないかもしれません」
「ルーマニアだと九十日以内であればビザは不要です。期間内なら問題ありません」
「そうなんですか……よかった」
「でも、パスポートがないのはまずい。母国で申請が必要です。大使館に連絡してみましょう」
「はい。お願いします」
そこへ、警察官がノートパソコンを抱えて入ってきた。
「防犯カメラに犯人が映っていました」
「本当ですか?」
アロンと刑事も戻ってくる。
刑事が小声で言った。
「正当防衛の線が濃厚です。立件はしない方向で」
「よかった……」
胸の奥が一気に緩む。涙が出そうになるのをこらえた。
パソコンの画面には、若い男が灯油らしきものを撒き、火を放って逃げる姿が映っていた。
炎が一瞬にして広がり、夜の闇に赤く揺れる。
「これだけ映っていれば、すぐ捕まるでしょう」
警察官の声に、皆が頷いた。
「では、私たちはこれで失礼します」
橋本が頭を下げ、あたしたちも深く礼をした。
外に出ると、空は白み始めていた。
橋本が気遣うようにあたしに話しかけた。
「もう朝に近いけど……住むところは大丈夫ですか?」
「先日亡くなった母が遺した家があるので、そこで生活はできます。お気遣いありがとうございます。今日はこんな時間まで本当にありがとうございました」
あたしは深々とお辞儀をした。アロンもお辞儀をした。
「いやいや、仕事だし、気にしないでください」
橋本は手を横に振って答える。
「家まで送りましょうか?」
「……助かります」
橋本の車に乗ると、母の家まで送ってもらった。
車の窓から見える街は、夜と朝の境目のような色をしていた。
母の家に着くと、鍵を開けて中に入る。
売りに出していたが、古い家だったので、売れていなかったのだ。
ここに住むことになろうとは考えてもみなかった。
家具も何もない静かな部屋。
「明日はまた忙しくなるし、寝た方がいい」
アロンが柱に寄りかかると、あたしを呼んだ。
あたしはアロンの胸に寄りかかり少し寝ることにした。
コートをかけてくれているしそこまで寒くない。
何よりアロンの心臓の音を聞いていると落ち着いてくる。
「僕は一日くらい寝なくても大丈夫だし」
「犯人……捕まるといいな……」
焼け跡の匂いがまだ髪に残っている。
それでも、アロンの胸の音に包まれると、不思議と怖くなかった。
そのまま、あたしの意識は静かに溶けていった。




