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長い彼方から  作者: 天笠唐衣


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第20話 日常

 大和組の稽古場を思わせる和室。壁の時計は静かに時を刻み、テーブルの上には吸いかけの煙草が一本、細い灰を伸ばしていた。


「……かなり分が悪いな」

 龍田正治郎はこめかみに指を当て、重い息を吐いた。

「大事な舎弟を三人も失った。傷は深い」


 その言葉に、龍田吾郎の拳がテーブルを叩いた。

 ドンッ――硝子のコップがカタリと揺れる。


「分かってんだよ!! でも、なんもできねえじゃねえか!」

 声が震えていた。

 怒りというより、悔しさと、痛み。


「新次も、ヒロも、青木も……あいつら、俺の仲間だぞ……!」


 爪が食い込むほど拳を握りしめる吾郎。その肩がわずかに震えていた。


 正治郎は煙草をくわえ直し、ふぅ、と煙を吐く。

「……今は動くときじゃねえ」


「じゃあ、どうすんだよ!」


 叫びは、雨音にかき消されながらも、部屋に突き刺さった。


 しばしの沈黙。

 正治郎は灰皿に煙草を押し付け、低い声で言った。


「考えは二つだ」


 吾郎が顔を上げる。


「一つは、手を汚さずに情報だけ売る。だが――アレはおおやけにはできねぇ」

「……化け物、だからか」

「ちげーよ。価値が下がるからだよ」


「もう一つは、金にはならねぇが復讐は果たせる。化け物を世に曝す」


 雨が、窓を叩いた。

 張りつめた空気の中で、その音だけがやけに大きい。


「吾郎。お前はどちらを望む?」


 吾郎はゆっくり、拳を膝に置いた。

 そして、震える声で言う。


「……俺は、復讐がしたい」


 正治郎は、静かに立ち上がる。

 椅子が重い音をたてた。


「そうか。なら、動くぞ」


 雨の向こうで、雷が遠く鳴った気がした。

 その瞬間、部屋の空気が、確かに変わった。


 ◇


 ――優子の退院日。


 玄関を開けると、甘い匂いとワインのコルク栓を抜いたときの軽い音が迎えた。テーブルにはケーキの箱、切られたパン、皿に盛られた温かい料理。明かりは柔らかく、いつもの部屋より少しだけ祝祭めいている。

 

(こんなにお金使わなくていいのに……)

 つい出た言葉を、あたしは自分で飲み込んだ。

 

「ありがと」

 あたしは言い直す。アロンはふっと笑った。


 椅子に座ると、アロンはグラスを掲げてにこやかに言った。

「退院おめでとう」

「ありがとう」

 少し照れくさく返した。


「食べて。料理は自分で作ったよ。ケーキは買ったけど」

 

 一口食べると、芳醇な味わいに目を見張った。

「美味しい!」

「よかった」

 アロンは微笑む。


 しばらく黙って、二人だけの時間が流れる。窓の外では車の通る音。あたしは深呼吸をしてから口を開いた。声は少し緊張している。

「入院中、刑事さんが来たよ。アロンの方にも来なかった?」


 アロンの頬が一瞬硬くなる。

「来たよ。被害届を出してくれと言われた」

「……出すと、根掘り葉掘り聞かれるのかな?」

「どうだろう? ……でも僕は殺人容疑者だし」

「やらなきゃ、こっちがやられてたよ」

 

 アロンは思い出すように遠い目をして呟いた。

「優子を守る一心で、頭に血が昇ってた」


 あたしは決心したように言った。

「やっぱり弁護士に頼もうか」

「高そうだけど、いいの?」

「仕方ない。こればっかりは」

「弁護してくれる人、見つかるといいけど……。食べ終わったら探してみようか」

 アロンは黙って頷いた。


 あたしは弁護士紹介サイトや、弁護士検索サイトなど色々当たってみたが暴力団相手に弁護してくれる弁護士はなかなか見つからなかった。

 諦めかけたその時、紹介サイト経由で弁護士から電話がかかってきた。

 

『高木さんですか? 弁護士の橋本達也と申します。よろしくお願い致します』

 

 内容を詳しく伝えるため、あたしたちは明日午後二時に弁護士事務所を訪ねることになった。

 

「見つかってよかったね」

 あたしはアロンに笑いかけた。

「夕方、久々にママんとこ行こっか」

 そう言うと、アロンは真剣な眼差しで答えた。

「梨沙ママには、感謝の気持ちを伝えたい」


 ◇


 『クラブ ローズ』の扉の前に立つと、先日のことが昨日のように蘇ってくる。

 あたしが戸惑っていると、アロンが肩を抱いて元気づけてくれた。


 カラン、カラン。

 『準備中』の札がかかっているが、お構いなしに入る。


 ママがいた。あたしを見るなり、両手を広げて抱きしめた。

「マリアー! おかえり!」


「大丈夫だった? 危ないやつとか来なかった?」

「大丈夫よ」

 ママはウインクしてチャーミングに笑った。


「……そういえば、誉さんどうなったの?」

「あー。あいつにはしてやられたわ。別れた」

 ママがあっさり言うので、あたしは驚いた。

「そうなんだ」

 それ以上、深掘りはしなかった。


 タバコに火をつけ、ママの出してくれたビールを飲む。

「生き返るー!」


 いつもの日常に戻ると、この前のことが嘘のように思えてくる。

 今日はアロンもビールだ。

 つまみはジャーマンポテト。

「おいしい」

 あたしがそう言うと、ママが笑って聞いた。

「刺身食べる?」

「食べるー」


 アロンは満足そうに、あたしたちのやりとりを頬杖をついて眺めていた。


「弁護士に頼むことにしたよ、ママ」

「あら、そう。まあ、それがいいと思うわ。……でもさ、弁護士さんにはどこまで話すの?」


 あたしはまだ、そこまで考えていなかった。

「そうよね……。全部話さないといけないのかなあ?」

「守秘義務はあるけど、信頼関係を築くにはある程度話すと思うわね」


「僕はアレ(こうもり)にはならないぞ」

「まだ言ってる……」

 あたしは呆れ気味に言った。


 アロンは思い出したように改まってママに言う。咳払いをしてから、

「先日は大変お世話になりました。おかげで優子と自分共々、命を助けていただき、大変感謝しております。お礼が遅れ、申し訳ない」

 深々と頭を下げた。


「ちょっと何よ、改まって。そんなの気にしないで。当たり前のことをしただけよ」

 梨沙ママは困ったように笑った。

「ゴンちゃんて、ほんと武士みたいなところがあるわね」


 あたしは苦笑した。


 ◇


 ――翌日、午後二時。

 橋本弁護士事務所。都内某所の雑居ビルの一階に、それはあった。

 あたしとアロンは並んで中に入る。


 扉を開けると、受付の女性が出迎えた。

「どのようなご用件でしょうか?」

「橋本さんから弁護していただけると電話をもらって……高木優子です」

「少々お待ちください」

 女性は中へ消え、すぐに顔を出した。

「こちらへどうぞ」

 そう言って応接室に案内された。


 アロンは落ち着いていたが、あたしは慣れなくて緊張していた。

 事務の女性がお茶を出してくれたとき、橋本弁護士が応接室に入ってきた。

 軽く挨拶を交わすと、橋本弁護士が椅子に座り、真剣な眼差しを向けた。

 

「どういった内容なのか、大まかで構いませんのでお聞かせいただけますか?」

「あたしと隣のアロンは、大和組の組員に拉致され、船に乗せられました」


 橋本弁護士は少し驚いた様子を見せたが、すぐに真剣な表情に戻った。

「それはどんな船ですか?」

「先日報道されていた密輸船です」

「ああ、テレビで見ました。さぞ怖かったでしょう」

「ええ。でも、アロンが救出してくれて、逃げることができました」

「それは戦闘があってのことですか?」

「はい」


 アロンが静かに口を開く。

「僕は逃げる時に三人殺しました……」


「そ、そうなんですか」

 橋本弁護士はしばし考え込む。


「正当防衛の余地があります。警察には、まだ何も言われていませんか?」

「あたしには、被害届を出してと言われただけです」


 橋本弁護士は首を傾げた。

「おかしいですね。すぐに告訴してきそうなものですが……」


「先にこちらから被害届を出しましょう。具体的に被害はどのようなものですか?」

「あたしは腿を撃たれました。アロンは左手挫傷、右肩挫傷、肋骨骨折、腹部刺創が五箇所、臀部と背中に銃槍……だったかな?」

「あってる」


 橋本弁護士は少し顔を引きつらせた。


「あと、羽も撃たれた」

「羽?」


 橋本弁護士が聞き返す。

 アロンが上着を脱ぎ、黒い大きな羽を広げた。

 その瞬間、橋本弁護士は白目を剥いて倒れた。


「先生!」

 事務の女性が駆け寄る。青ざめた顔でアロンを見た。

「ごめんなさい……」

 アロンは羽をしまい、上着を着直す。


 あたしは小さく呟いた。

「刺激が強すぎたようだわ」

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