表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
長い彼方から  作者: 天笠唐衣


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/34

第17話 別れ

 ――都内某中央病院。

 

 あたしはアロンに運ばれて、夜の病院に着いた。

 救急搬送口の白い灯りだけがぼんやりと滲んでいる。人の気配はほとんどなかった。


 受付の守衛に声をかける。

「高木優子です。母が運ばれたと聞いたのですが」

「高木頼子さんね?」

「はい」

「自分で電話されたみたいだけど、駆けつけたときにはもう意識がなかったようです」

 そう言われ、胸がぎゅっと締めつけられた。


 そこへ看護師が現れた。

「こちらへどうぞ」

 案内され、処置室に入る。

 母はベッドに横たわり、静かに息をしていた。意識はない。


 医師が淡々と告げる。

「転移がかなり進んでいて、臓器の機能も落ちています。……正直、厳しい状態です」

 あたしの手に自然と力がこもった。

「どれくらい……持つんでしょうか」

「はっきり言いますが、今日か明日、いつ急変してもおかしくありません」

「……わかりました。付き添います」


 看護師が個室へ案内してくれた。

 夜の病室は間接照明だけが柔らかく灯っていた。

 母の手を握る。熱い。


「何か飲む? 買ってくるよ」

 アロンが気を使って言った。

「じゃあ……水、お願い」

「わかった」


 そのとき、母の手がわずかに動いた。

 あたしが顔を近づけると、母はうっすらと笑ってこう言った。

「愛したのなら、全幅の信頼をしていいと思うわ。どんな結果になっても、受け入れられるはずよ……」

 そのまま目を閉じ、静かに眠りに落ちた。

「お母さん……?」

 返事はなかった。


 少ししてアロンが戻ってきた。

「今ね、お母さん、少しだけ意識が戻ったの。また眠っちゃったけど……『アロンを信じろ』って」

「……そうか。寝なくて大丈夫?」

「うん、大丈夫」


 数時間が過ぎても、母の状態は変わらなかった。

「……少し寝た方がいいよ。僕が見てるから」

 アロンの言葉に甘えて、ベッドにうつ伏せた。


 どれくらい経っただろう。

 アロンに肩を揺すられ、目が覚めた。

「顔色が悪くなってきた」

「……ほんとだ」


 あたしはいよいよだと悟り、母の手を握った。

「お母さん。お疲れさま。会えて良かったよ……」

 頬を伝う涙が止まらなかった。


 そのとき、モニターのアラームが鳴り、看護師が駆けつけた。

 しばらくして医師が死亡を確認する。

「午前四時二十五分、死亡を確認しました」


 あたしは泣きながら頭を下げた。

「ありがとうございました」


 看護師が言う。

「お体をきれいにしますので、しばらくお待ちください」


 何をすればいいのか分からず、スマホで調べながら葬儀屋に連絡した。

 昼に市役所へ行くことにした。

 母の家にも行かないといけない。


 昼間に空を飛び回るわけにはいかないので、車を借りた。


「なにもできなくて、ごめん」

 アロンがつぶやく。

「あたしは、あなたがいてくれるだけで十分だよ」

 

 ◇


 数日はあっという間に過ぎた。

 家族葬とはいえ、葬儀は知らないことだらけだった。

 墓は、父が眠っている墓地がわかり、一緒に埋葬してもらうことにした。

 

 墓地を後にすると、アロンが優しく言った。

「本当にお疲れさま。今日はもう、休もう?」


 あたしは昼間、手続きや片づけに追われていたが、

 夜だけは仕事に出ていた。忙しくしていないと、考えてしまうから。


「大きい出費もあったし、働かないと」

「なら、僕が日雇いでもやるよ」

「ダメ。危ないし、雇った方も罪になる」

「社長をなんとかできれば――」

「あなたが警察を追われたら、あたしまで危険になるでしょ」

 アロンは言葉を詰まらせた。


「……わかった。今日はゆっくりする」

 あたしがそう言うと、アロンはホッと笑った。


 借りていた車を返して帰宅し、二人でようやく一息ついた。


 アロンが作ってくれた夕飯は、オニオンスープとハムエッグ、そしてバゲット。

 スープを口に含む。

「美味しい……あったかい」

「それならよかった」


 あたしがソファでぼんやりしていると、アロンが食器を片づけていた。

 ふと、病院での光景が蘇る。

 胸が苦しくなる。


 アロンが隣に座り、静かに言った。

「まだ、お母さんの死を受け入れられてないんじゃない? 我慢しなくていいんだよ」


 アロンにはあたしの心が見透かされているような気がした。


「本当は、もっと話したかった。もっと甘えたかったのに……」

 その瞬間、涙があふれた。

 ――あたしはアロンの胸で声をあげて泣いた。


 アロンはそっと抱きしめ、頭と背中を撫でた。

 あたしが落ち着くまで、ずっとそうしてくれていた。


「ありがとう」

 そう言うと、アロンが優しく唇を重ねた。

 

「愛してるよ」

「あたしも」


 二人はそのままお風呂に入り、そして寄り添って眠った。

 

 ◇


 翌日、母の家へ行った。

 戸籍を見ると、相続人はあたしだけだった。母の兄弟もすでに他界している。


 押入れを整理しながら、あたしは言った。 

「母の家、売ろうと思ってるんだけど、変かな?」

 

 箪笥の引き出しを片付けていたアロンが答える。

「変じゃないよ。放置するよりずっといいと思う」

 

「だよね。住むわけでもないし」


 手を止めて、あたしはアロンに言った。

「今日は久しぶりに梨沙ママのところに行こうと思うの。母のことは伝えてあるし、落ち着いたら行くって言ってたから」

「いいと思うよ」

 アロンは微笑んだ。


 ◇


 夕方、早めに店に行った。

 まだ『準備中』の札が出ていたが、紫のバラの絵の扉を開けた。

 カラン、カラン──。


 カウンターには梨沙ママ。

「いらっしゃい」

 なんとなく、元気がなさそうだった。

「ママ、どうかしたの?」

「別になんもないわよ」

 そう言って笑う。その笑いが、どこかぎこちない。

 ママは俯き、何かを考えているようだった。口を開きかけたとき、柿崎がバックヤードから出てきた。

 

「いらっしゃい! 久しぶりだね。お母さん亡くなったって? 大変だったね」

「なんとか落ち着いたから、また来たの」

 あたしは明るく振る舞った。


「今日はジャンジャン飲もう! ね、梨沙」

「そうね。落ち込んでばかりだと余計辛いし」

 ママはウイスキーを口に運んだ。


 柿崎があたしにビールを、アロンには赤い液体を出した。

 前より量が多い。

「これ、また血?」

「うん。前回美味しそうに飲んでたから、今日は多めにね」


 アロンは俯いて震えていた。

「無理しないでいいよ。飲んで寝ちゃっても大丈夫だから」

「そうそう、近くにホテルもあるし、ソファもあるし」

 柿崎が笑う。


 梨沙ママが急に頭を押さえた。

「なんか、眠くなってきた……ちょっと裏で休むね」

「大丈夫? 疲れてるんじゃない?」

 柿崎が支えながら、ママをバックヤードへ連れて行った。


「気にせず飲んでいいよ」

 あたしが言うと、アロンは抑えきれず一気に飲み干した。


 柿崎が戻り、空いたグラスにまた血を注ぐ。

「はい、ゴンちゃん」


 アロンは吸い込むように飲んでいく。

 量が多くて、少し不安になる。

「大丈夫?」


 アロンの目が据わっていた。

「らいりょーるらよ……」

「舌回ってないし」

 あたしが笑った、その瞬間――。


 バンッ!

 扉が勢いよく開き、男が五人なだれ込んできた。

 アロンとあたしは一瞬で囲まれる。

 アロンは素早く二人を殴り倒し、奥へ跳んだ。

 だが、あたしは背後から腕を掴まれ、首にナイフを当てられた。


 リーダーらしき男が言った。

「アロンとかいうやつ。こいつはお前の女だろ」


 アロンは黙っていた。


「おとなしく捕まらねぇと、女の命はねぇぞ」

 その言葉に、アロンは抵抗をやめ、手錠をはめられた。


 (アロン……ごめん。あたしが飲めって言ったから……)


 バックヤードから柿崎が現れる。

「うまくいったな」


「誉さん……?」

 思わずつぶやいた。


「ママは? まさか……」

「梨沙なら寝てるだけだ。ソファでな」


「おら、行くぞ!」

 龍田吾郎が怒鳴った。


 アロンの横顔が一瞬見えた。

 そこには、あたしの知っている優しいアロンの面影はなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ