第15話 異質
「ただいま」
柿崎が『クラブ ローズ』に戻ると、梨沙ママがカウンターに神妙な顔で立っていた。
「あなた、わたしに隠し事してない?」
「何も隠してないよ」
ママは髪止めを外すと、長いウェーブのかかった柔らかな髪を肩に落とした。
「私ね、見ちゃったの。モールの駐車場で、あなたと大和組の幹部が話してるところを」
「……」
「まさか、お金借りたりしたの?」
「してない」
「じゃあ、なんで……?」
「脅されてるんだ」
ママは柿崎に近寄り、肩に手を置いた。
「なんて……?」
「言うことを聞かないと、この店を潰すって」
「何を言われているの?」
柿崎は近くの椅子に腰を下ろし、俯いたまま膝に手を置いて言った。
「ごめん。昔、俺がギャンブルにハマったとき、裏の仕事を紹介してもらったんだ。君には自己破産したって言ったけど……それで借金は返したんだ」
ママも隣の椅子に腰を下ろした。
「どんな仕事したの……?」
「薬の売人だ」
ママは額に手を当て、深いため息をついた。
「もうやってないのね?」
「ああ」
「全然気づかなかったわ……」
「それで、今度は何をさせられそうになってるの?」
「運び屋だ。武器の運び屋」
ママは――こんな素人に武器なんて運ばせるものかしら? と少し訝しんだ。
それでも決心して言った。
「お店なんてまた始めればいいのよ。あなたにはもうヤクザと関わってほしくない。たとえこの店が潰れてもね」
「梨沙……」
ママは柿崎を抱きしめた。そして心のどこかで思った。
――脅されてるようには見えなかったのよね。
◇
――翌朝。
あたしはアロンを抱きしめていた。
「もう落ち込まないで」
「うん……」
アロンは昨夜眠り込んでしまい、あたしを守れなかったことを気にしていた。
「あたしが食パン焼いたから、食べよう」
最近はアロンが朝食を作ってくれていたけど、今日は何もやる気が起きないらしく、あたしが用意した。
パンをかじりながら、アロンに話しかける。
「今日は母のところに行こうと思うんだけど、ついてきてくれる?」
「もちろん」
アロンは微笑んで言った。
「何か思い出が作れるといいね」
「そうだね」
長生きしてほしい。けれど、弱々しい母を見ていると素直にそうも思えなくなる。
「電話してくるね」
そう言って二階へ上がり、母に電話をかけた。まだアロンに会話を聞かれるのは気恥ずかしい。
『……高木です』
「優子です」
『あら、優子ちゃん。今日は来る?』
「うん、行こうと思ってる」
『じゃあ、午後でいいかしら』
「わかった。何か持っていくものある?」
『なんも要らないわよ』
「じゃ、また後で」
『またね』
声を聞くと、緊張が少しほぐれる。
一階に降りると、アロンが食器を洗っていた。
「午後行くよ」
「了解」
「そうだ、鍵の交換頼むの忘れてた。電話するね」
業者にかけると、明後日来てくれることになった。
あたしはアロンの肩に腕を回してキスをした。けれど、彼はふっと身を引いた。
(なんだ……?)
顔を覗き込むと、また距離を取られる。
「なんで避けるの?」
「あんまり理由は言いたくない」
「嫌いになった?」
「んなわけない」
あたしが寄ると、観念したようにアロンは口を開いた。
「ごめん。今ちょっとだけ距離を置かせてくれない? 説明すると長くなるんだけど……体が敏感で、近くにいると辛いんだ」
「え?」
「変な意味じゃない。僕が……血の匂いに反応してしまう時があって、君を不快にさせたくない」
(血の匂いって……生理だから?)
アロンが自分を避けるなんて、嫌われたんじゃない――守ってくれてるんだと思い直してから、少し笑って言った。
「そういうことか……わかった。ごめん、知らずに寄って行っちゃって」
改めて、アロンが普通じゃないと感じた。
神妙な顔をしてアロンが言う
「そういえば、昨日の血は人間のものだった。匂いと混ざり方、あと濃度でわかったんだ」
「そうなの? 豚って言ってたけど」
「男三人分の混ざった血だよ。鮮度は悪い」
(なんでママと誉さん、嘘ついたんだろう?)
(誉さんはその場の空気を壊さないために、とっさに「豚」って言ったのかも。ママは知らなかったのか、分かっていても言い出せなかったのか──どっちにしても、理由を確かめる必要はある)
◇
――午後。母の家に向かった。
あたしはあんまりアロンとくっつかないように気をつけた。
「いらっしゃい」
母は今日、顔色が良さそうに見えた。家に入れてもらい、持ってきたお菓子を渡す。
「具合はどう?」
「まあまあよ」
そう言って母は笑った。
「お茶いれるわ」
「あたしやろうか?」
母は家のことをぽつぽつ説明してくれた。
「前に言いそびれたんだけど、お父さんは十年前に亡くなっててね……」
「知ってる」
あたしが能力のことを話すと、母は目を丸くした。
「優子は小さい頃から霊感があったわね。守護霊と話ができるなんてすごいわ。私の守護霊様は何か言ってる?」
年配の男性の守護霊に尋ねると、
『もう長くないな』
そう告げられた。自然と涙が溢れ、指で拭うと、母は察したようだった。
「お母さん、どこか行きたいところある?」
「ううん。こうやって優子が来てくれるのが一番嬉しいのよ」
「そっか……」
できる限り足を運ぼうと思った。
母はアルバムを持ってきて見せてくれた。
「これがお父さん、これが優子」
「なんであたしを預けたの?」
ずっと聞きたかったことを口にした。
「あの頃はお父さんがひどくてね……働かず酒に溺れて、暴力まで振るってた。私は働くしかなかった。優子は預けるしかなかったの」
「離婚しなかったの?」
「お父さんが離婚しなかったのよ。優子を手放してからは、少しずつ真面目になって、人が変わったみたいだった」
「教えてくれてありがとう」
胸につかえていたものが、やっと解けていく。
「僕は……お父さんの気持ちがなんとなく分かる気がする」
アロンが正座したまま言った。
「アロンくん、足崩してね」
「はい」
アロンが笑うと、母も笑った。
あまり遅くなると母が疲れると思い、また来ると約束して家をあとにした。
◇
――大和組事務所。
龍田吾郎は、父の組長に報告していた。ノートパソコンには、羽を広げるアロンや酔い潰れるアロンの姿が映っている。店内の防犯カメラ映像のようだ。
「本当になあ。初めて聞いたわこんな話。捕まえられたら金になるんだろうな」
「弱点は分かっています。あとは拘束のやり方と、捕縛用のツールが必要です」
「五段階くらい揃えとくか。ネットランチャー、特殊繊維の紐、金属製の拘束具……発注しとくわ。情報も集めておけ」
「わかりました」
「なんかワクワクするな」
龍田親子はそろってニヤリと笑った。




