第12話 ピンクのポンチョ
陽がすっかり高くなってから、あたしは目を覚ました。
アロンがご飯を作ってくれていた。
「おはよう」
「おはよう。よく眠れた?」
「なかなか寝付けなかったけど、いつの間にか寝ちゃってた」
「眠れたなら良かった」
アロンは優しく微笑んだ。
トイレから戻ると、テーブルには和食がきれいに並んでいた。
白いご飯、湯気の立つ味噌汁、海苔、しゃけの塩焼き。
「いただきます!」
箸を動かしながら言う。
「すっかり主夫だね、アロン」
「レシピ見ながらだけど、けっこう勉強になるんだ。味はどう?」
「んまいよ! あたしより上手」
笑うあたしに、アロンは胸を張った。
「シェフになろうかな」
「なれるなれる」
味噌汁を飲み干し、
「ごちそうさま!」
と声をあげる。
タバコをふかしていると、片付けを終えたアロンが言った。
「母親に電話するんだよね? 僕がいない方がいいなら、席を外すよ」
「うん……」
逃げちゃいけないことはわかってる。でも……。
迷うあたしを、アロンがそっと抱き寄せ、頭と背中を撫でてくれた。
――トクン、トクン。
アロンの心臓の音に、次第に気持ちが落ち着いていく。
意を決して言った。
「もう、時間は限られてるんだもんね」
「そうだね」
「二階で電話してくる」
「頑張って」
パタパタと階段を上がり、ソファに腰を下ろす。
スマホを手に取り、登録された番号をじっと見つめる。
震える指で発信ボタンを押した。
コール音が長く続き、やっと受話器が上がる。
『……はい』
掠れた声。昨日、店で会ったあの女性の声だった。
「……昨日の占い師の……優子と言います」
自分の名前を口にするだけで、心臓が大きく跳ねる。
『ああ、あなたね。昨日はありがとう。あれから何かわかったかしら?』
母の声は、まだあたしを《娘》とは思っていない。
「あの……少し、会ってお話しできないかと……」
言えたのは、それだけだった。
『ええ、もちろん。……でもごめんなさいね、あまり遠出はできないの』
弱々しい息づかいが、受話器越しにも伝わってくる。
胸の奥に、言葉にならない想いが渦巻いた。
《娘です》が喉まで出かかったのに、声にはならない。
「もしよければ、こちらから伺ってもいいでしょうか。……娘さんのことが、わかるかもしれません……」
『そうですか! もしそうなら嬉しいです。今日の三時ごろ来れるかしら?』
住所を告げられ、短いやり取りで電話は切れた。
手のひらは汗でじっとり濡れ、画面は涙でにじんでぼやけた。
一階へ降りると、アロンが心配そうに見つめていた。
「今日、会うことになった」
「……良かった」
アロンは微笑み、あたしを抱きしめた。
その腕の中で、こわばっていた体が少しずつほぐれていく。
「一緒に行くよ。僕も会いたい」
互いに見つめ合い、微笑んだ。
◇
――三時。都内某住宅街の一角。
白い二階建てのこじんまりした家の前にあたしとアロンは立っていた。途中購入した手土産を持って。
ピンポーン。
インターホンの呼び鈴を鳴らした。
「今開けますね」
と女性の声。
ドアが開く。
昨日お店に来た女性……母だ。今日はラフなシャツにパンツスタイルだ。
やっぱりまだ実感はない。見知らぬ女性の家に訪問した気分。
「お邪魔します」
あたしとアロンは、家に上がった。
玄関の靴箱の上や棚などにドライフラワーや手作りのアクセサリーなどたくさん飾ってあった。
居間に通された。昔作りの家だ。柱には古い時計が掛かっていて、食器棚には年代物のウイスキーなど置いてあった。
あたしは手土産を出して渡した。
「お口に合うかわかりませんが……」
「まあ。私がお客さんの方なのに、なんか申し訳ないわ」
そういうと、彼女はゆっくり立ち上がり、奥から箱を出してきて、袋に詰めてあたしに渡した。袋いっぱいのミカンだ。
「知り合いが愛媛の人でね、甘いのをたくさんいただいからお裾分けするわ」
「ありがとうございます」
あたしはなかなか本題に入れないでいた。
アロンが彼女にこう言った。
「娘さんの特長とか、名前とか、わかることはありますか?」
「娘の名前は……優子って言うの。たしかあなたも同じ名前? でしたよね」
「そうです」
「わかること……。若い頃貧しくて育てられず、施設に預けたんです。本当に申し訳ないことをしました」
彼女は、ハンカチで目元を押さえた。
「その時にわたしが編んだピンクのボンボンがついたポンチョを着せていました」
あたしは紙袋から、年季が入って色褪せたピンクのポンチョを彼女に見せた。ボンボンが一つだけついている。
「え……あ。まさか――」
彼女はそれを見ると全てを悟ったように見えた。自分で編んだのだから忘れるはずはなかった。
お互い見つめ合う――
あたしの目は涙で溢れた。
母は、あたしを抱きしめた。
「ごめん……ごめんね。気づかず……ほんとに今までごめんなさい」
母は、嗚咽していた。
あたしは、涙でぐしょぐしょだった。
あたしは何も喋れなかった。恨み言も――。文句も――。
「苦労させちゃったね――」
あたしは母が悔悟のことばを吐くたびに涙が溢れた。
許せない時もあったのに、こうして抱き合っていると長年滞っていたわだかまりが溶けていくようだった。
「お母さん――」
「な、なあに?」
「一度でいいから呼んでみたかったの」
「そう……本当に嬉しい」
やっとあたしが母から離れると、隣のアロンも泣いていた。
「……良かった」
アロンは泣きながら微笑んだ。
母は、今は中央病院に通いつつ放射線治療をしているそうだ。悪くなったら自宅か入院か決めるらしい。
「今は末期でも治るみたいだよ」
とあたしが言った。
「優子ちゃんと会えたし、頑張らないといけないね」
と母は言った。
母はアロンを見て尋ねた。
「このイケメンさんは、彼氏? 旦那さん? いい人見つけたねえ」
母は笑った。
「ま、まあ……」
あたしは下を向いて照れた。
「そろそろ帰ろうか。アロン」
長居すると疲れると思い、あたしはそう言った。
「またくるね」
あたしは、母の肩に手を乗せて挨拶した。
(聞きたいことはまだたくさんある……)
帰り道、アロンと手を繋いだ。
「アロンが話すきっかけくれたから話せたよ。ありがとう」
「いやいや。何もしてないよ」
お互い微笑みながら見つめ合う。
(この人と出会えて良かったな……)
アロンが照れている。
「あ。思考を読んだ? もしかして」
アロンが首を振る。
「感情はね……入ってくるんだよ。思考は読めないけど」
「やだー。もう」
二人で笑いながら家路についた。




