第10話 母と娘
目を覚ましてダイニングへ行くと、アロンがごはんを作ってくれていた。
もう昼だ。昼食か。テーブルの上にはクロワッサンとハムエッグ、それにコーンスープが並んでいた。
アロンはソファの前のテーブルでノートパソコンを開いている。
クロワッサンを咥えたまま、あたしは彼の肩に手を置いた。
「何見てるの?」
「おはよう。例のヤクザのことを調べてる。『大和組』の組長の息子がいるみたいだ」
「『大和組』……聞いたことないなあ」
椅子に座り直して食事に集中した。
「この家、防犯を強化したほうがいいかも」
アロンが部屋を見回しながら言う。
この家は、昔まだ事務職をしていた頃、家賃を払うよりマシだと安い中古を買ったものだ。その後、とあるきっかけで占い師に転職し、収入も増えた。
「例えば、強化ガラスとか防犯カメラとか、鍵を増やしたり……? ご馳走さま」
食器を洗いながら食洗機を買おうかな、なんて考えていると、後ろからアロンが抱きついてきた。
「大規模改修じゃなくても、防犯は強化できる。今日見に行こう」
そう言って、キスしてきた。
――ほんと、受け入れた途端これなんだから。嬉しいけどさ。
「あー、袖が濡れちゃったよ」
「ごめん」
◇
秋葉原へ防犯グッズを買いに行った。
探せば探すほど色々ある。設置するもの、持ち歩くもの、身につけるもの……。
「面白いね」
ヤクザの復讐は怖いはずなのに、アロンが一緒だと買い物は楽しい。
防犯カメラ、補助錠、窓ロック、センサーライト、防犯フィルム、護身用フラッシュライトや警棒。重いものは郵送を頼んだ。
さらにアロンの勧めで、防刃ウェアも。カーディガンタイプで見た目は普通の服だ。
「防犯グッズの購入に助成金が出るらしいの」
「ほう」
「まあ、少しだけどね」
アロンが真剣な顔になる。
「大和組の奴らは一度抑えたけど、また来るはずだ。万が一僕がいない時のためにも、少しでも時間を稼げるようにしよう」
「わかってる。ありがとう」
微笑むと、アロンはまたキスしようとした。あたしは慌てて止める。人前では恥ずかしい。――ここは日本だ。
「今は梨沙ママのところには行かない方がいい?」
「今のところは尾行されてはいないけど……」
「後で電話してみるわ」
「迷惑はかけたくないから、そのほうがいいね」
「今日、仕事してもいい?」
「いいよ。僕が見てる」
アロンは優しく笑った。
◇
――都内の愛丸病院。
二〇一号室。龍田吾郎が面会に来ていた。プレートには《高橋尚輝》とある。
尚輝は肩に包帯を巻いていた。
「マジですまなかった。甘く考え過ぎた」
吾郎が何度も謝っていた。
「もういいっすよ。すぐ退院できるし」
尚輝は苦笑した。
「それより、あの化け物どうします? 捕まえて売りますか?」
「俺も考えてたんだけど、かなり用意周到にしないと勝てない。剣も銃も通じないからな。だが、捕まえられたらかなりの金になる。世界中の研究者が飛びつくだろう」
「俺も考えときます」
「おう、頼む。親父が少し慎重になっててな。俺としては、月末の船に乗せられないかと考えている」
――不定期で、表向き貨物船の密輸船がやってくるのだ。目的地は固定されている訳ではないが、今月の船はマカオ行きとなっていた。
「間に合いそうですかね。あと三週間しかない……。それまでには体、治しときます」
「今はゆっくりしとけ。幸い、ヒロは頭縫っただけだし、新次はピンピンしてる。勇が鼻が折れて顔にガーゼつけとるが」
尚輝が笑いながら、
「せっかくのイケメンが台無しだな」
と言った。吾郎もつられて笑う。しかしすぐに、吾郎は眉間に皺を寄せて何かを考えているようだった。
◇
荷物を抱えて家に戻る。
ドサッ。置いてみると、かなりの量だった。
「設置するのも時間かかりそう……。アロンがやってる間に仕事してきてもいい?」
「それはダメ。明日やろう」
あたしは両腕を彼の肩に回してキスをした。だんだんキスどころではなくなってきたが、アロンが笑って言った。
「仕事行かないの?」
「行くよ」
あたしは仕事の支度をして、二人で出掛けた。
最近は仕事場を探すのがめんどくさくなってきたので、同じところで店構えしてしまっている。パスタ店の軒先だ。以前、占いをした時に感謝された縁で、甘えさせてもらっている。
ここは、周りが雑居ビルに囲まれ、アロンが隠れられそうなところが多い。
あたしは店の設置を済ませると、タバコに火をつけた。
「ふぅー」
ビルの屋上の方角をよく目を凝らしてみると、何か飛んでいた。アロンだ。
あたしは、クスッと笑った。
しばらくして、お客が椅子に座った。年配の女性だ。薄い紫のワンピースを着ており、表情は暗い。
「お願いします」
「お悩みは?」
「娘と生き別れてしまって、何でもいいから、情報が欲しくて。私、時間がないんです」
「時間?」
「末期の癌なんです」
「そ、そうですか……。見てみます」
あたしは水晶に手のひらをかざして目を瞑る。
この人の守護霊は、年配の男性だ。白髪頭で髭を生やしている。
(娘さんはどこにいるのかしら?)
『すぐ近くにいる』
「娘さんは、すぐ近くにいるみたいです」
「本当!? 探偵に頼んでみたら、不動産会社に勤めていたことまではわかったんだけど、そこから足取りがつかめませんでした……。どこなのかわかりませんか?」
(具体的に?)
急かすように尋ねると、守護霊がため息をつき、一呼吸置いてからこう言った。
『目の前にいる。あなたが娘だ』
(……え? いま……なんて……?)
頭の奥でその言葉が何度も反響する。
娘? あたしが?
『そうだ。ずっと探していたんだ。あなたの父親はもう亡くなっている』
胸がぎゅっと締めつけられる。
心臓の鼓動がやけに大きく響いて、呼吸が浅くなる。
目の前の女性の顔がぼやけていく。
(この人が……? 本当に? 目の前にいる、この人が……母?)
わかっているのに、現実を受け入れられない気持ちがある。
認めてしまったら、これまでの孤独も悲しみも全て無かったことになるんだろうか。
思考が追いつかない。
「あっ……えっと……」
胸の奥から感情が一気にあふれてきて、言葉が出ない。
「ごめんなさい……今はちょっと占えないです」
あたしは頭を抱えてそう言った。
彼女は、自分の話のせいなのかと勘違いしたらしい。
「また、続きを聞きたいので、電話番号のメモを置いときますね」
「はい……」
気づくと涙が頬を伝っていた。
(アロン……)
呼ぶと、上半身裸のアロンが現れる。服を着ながら心配そうに声をかけた。
「大丈夫?」
「だいじょばない」
「帰る?」
「うん」
あたしがぼんやり立っている間に、アロンが片付けを済ませた。
「さっきの人、あたしの母だった」
「……そうか。肉親に会えたんだな」
アロンは本当の意味でひとりぼっちだ。そのことに思い至り、胸が痛む。
「末期の癌で、余命は長くなさそう」
アロンがテーブルのメモを渡してくれた。
「落ち着いたら、明日電話してみたら?」
「何て切り出せばいいんだろう」
「親なら、素直に話せば理解してくれると思う」
「……そうしてみる」
アロンはおでこに優しくキスした。
「帰ろう」
少し考えてから、あたしは言った。
「やっぱり、梨沙ママんとこ、行く」




