第4話 幼なじみという、名前のついた距離
千尋の学校では、
「幼なじみ」という言葉が、やけに軽く使われる。
それは安心で、
当たり前で、
疑われない距離の名前だからだ。
⸻
放課後、美術室。
千尋はキャンバスを片付けながら、
スマホの画面を何度も確認していた。
通知は、ない。
(……忙しいのかな)
そう思おうとする。
けれど、
昨日まで自然だった連絡の間隔が、
今日は少しだけ遠く感じた。
「千尋」
後ろから声がする。
振り返ると、
同じ制服の男子が立っていた。
朝倉 恒一。
小学生のころからの幼なじみ。
「帰る?」
「うん」
それ以上の会話はない。
それでも並んで歩ける距離。
それが、
この関係の強さだった。
⸻
駅へ向かう途中。
「最近さ」
朝倉が、何気ない声で言う。
「放課後、用事多くない?」
千尋は、少しだけ迷ってから答えた。
「まあ、ね」
「男?」
即断すぎる質問。
千尋は思わず笑った。
「違うよ」
それは、
嘘じゃない。
でも、
本当とも言い切れない。
朝倉は、それ以上聞かなかった。
聞かないことで、
距離を保っている。
それができるのが、
幼なじみだった。
⸻
駅前。
自販機の前。
千尋は、
いつもの場所に立っていた。
いるかどうか分からないのに、
足は自然とここへ向かってしまう。
(来なかったら、それでいい)
そう思いながら、
それでも視線は周囲を探していた。
「……いた」
相川悠太は、
少し離れたところに立っていた。
その姿を見た瞬間、
胸の奥が、ふっと軽くなる。
「相川くん」
声をかけると、
彼はすぐにこちらを見た。
その目が、
隣に立つ朝倉を捉えた瞬間。
空気が、変わった。
千尋は気づかなかった。
ただ、
朝倉が自然に隣にいることも、
相川くんが一歩距離を取ったことも。
⸻
(……誰だ)
悠太は、
一瞬で分かった。
あの距離。
説明のいらない立ち位置。
(幼なじみ)
理由はない。
でも、確信があった。
千尋が、
無意識で許している距離。
それが、
ひどく気に入らなかった。
「……用事、終わったなら帰るぞ」
思ったよりも強い声が出た。
千尋が、少し驚いた顔をする。
「え、もう?」
「寒い」
理由になっていない理由。
でも、
朝倉は察したように一歩下がった。
「じゃ、またな」
穏やかな声。
その目が、
一瞬だけ悠太を見る。
探るような、
確かめるような視線。
悠太は、
何も言わなかった。
⸻
帰り道。
千尋が、歩きながら言う。
「さっきの人、幼なじみ」
「……見りゃ分かる」
少し、棘が混じった声。
「ずっと一緒でさ」
千尋は、悪気なく続ける。
「楽なんだよね」
その一言が、
胸の奥に刺さった。
楽。
それは、
自分がまだ辿り着いていない場所の言葉だった。
(……敵わねぇ)
そう思った瞬間、
なぜか腹が立った。
「……ああいう距離」
低く、言う。
「俺は、嫌いだ」
千尋が、足を止める。
「え?」
「分かりきってる関係」
「最初から、そこにある距離」
「……俺は、無理だ」
千尋は、
しばらく何も言わなかった。
そして、
ゆっくり口を開く。
「相川くん」
「うん」
「それって」
一拍。
「私が、そこに入っちゃだめって意味?」
その問いに、
悠太は答えられなかった。
違う、とも
そうだ、とも言えない。
ただ、
胸の奥がざわついていた。
⸻
別れ際。
千尋は、少しだけ距離を取って手を振った。
「じゃあ、また」
その距離が、
妙に遠く感じた。
悠太は、
その背中を見送りながら思う。
(……まだ)
(選ぶとか、言える立場じゃねぇ)
それでも。
幼なじみという名前の距離に、
初めてはっきりとした嫌悪を覚えた。
それはもう、
ただの女嫌いじゃなかった。




