第九話『DQNナックルと、15万の現実』
「ヒャパァァァァァァァァァァッッ!!」
セピア色の空気に、俺の絶叫がこだまする。
反響が何度も壁に当たり、波紋になって戻ってくる。
あのゴーストノイズをぶっ飛ばした右腕。
そこにはまだ《DQNタイガーナックル》がギラついたまま装着されている。
スタッズの金がチリッと火花を吐き、虎の面が薄く呼吸するみたいに脈打つ。
砕けたメリケンサックの残骸をスタッズとして取り込み、ゴツゴツとした輪郭がとても雄々しい、俺だけの《エコーアームズ》。
消えてない。
ついに手に入れたぞ。
『カエル兄貴wwwマジでやりやがったwww』
『DQNナックルwww名前がダサすぎるwww』
『でも威力エグすぎだろ……』
『あのゴーストノイズ級を一撃とか、もはやルーキーじゃねえw』
『スカジャンとナックルのDQNコンボ最高だわwww』
コメント欄が、嘲笑と、ほんの少しの賞賛で爆発している。
ピークで8000を超えた視聴者たちが、まだ俺の一挙手一投足を見ている。
視線が電荷になって肌にまとわりつき、汗の一滴すらスポットライトで切り取られる。
ブゥン、と観測ドローンE.C.O.が目の前に浮かんだ。
「戦闘終了。対象レブナント、ゴーストノイズ級の完全消滅を確認。……正直、驚いています。猿が火を使ったレベルの衝撃です」
「うるせえ! 見たかクソAI! これが俺の実力だ!」
「いいえ。視聴者の“願い”と“嘲笑”の力です。あなたの実力ではありません」
こいつ、マジで一言多いな。
「リザルト報告を開始します」
ピロリン、と目の前にウィンドウが展開される。
《LIVEリザルト》
・討伐レブナント:ゴーストノイズ級 ×1
・最大視聴者数:8158
・獲得いいね:4157
・新規フォロワー:+2951
「…………は?」
桁、間違ってないか?
鴉森狂夜にボコられて増えたのが600ちょい。
それが今、一気に……。
俺は恐る恐る、自分のステータス画面を開く。
《ダイバー:HYAPA》
《フォロワー:3623》
「さ、さんぜん……!?」
前回までの672人から、一気に3000人超え。
wikiで読んだ。フォロワー1000人で「人外一歩手前」。
3000人って……俺、どうなっちまうんだ?
だが、そんな思考はすぐに別の熱にかき消された。
コメント欄がまだ、俺の名前を呼んでいる。
『3000人突破おめwww』
『カエル兄貴、ついにシャドウバン層、卒業か?』
『いや、このダサさじゃ無理だろwww』
ああ、ダメだ。
見てる。見られている。
前回の「672人」の視線とは比べ物にならない、濃密な「3623人+視聴者8000人」の視線。
押し寄せる波が胸骨を叩き、心臓が拍手みたいに跳ね返す。
嘲笑でもいい。バカにされてもいい。
俺という存在が、今、確かにここに「在る」と認識されている。
脳が焼ける。脳が沸騰する。
これが「見られる」ということ。
これが「生きる」ということだ。
俺はDQNナックルを天に突き上げ、歓喜の声を張り上げた。
「見てる? 聞いてる? じゃあァァ……俺、生きてるぅぅッッ!!!」
スローモーショントラックが勝手に走り、拳を包む光が尾を引く。
魂の叫びがこだました。
どうでもいい。
快感がすべてを塗りつぶす。
俺はもう、あの灰色のオフィスの片隅で消えていく「空気」じゃない!
「……観測対象の興奮を確認。理解不能ですが、視聴者ウケは良好です」
E.C.O.が淡々と分析する。
「通知:累計『いいね』数が規定値に到達。E.C.O.の機能アップデートを実行します」
「おお!? どゆことだ!」
「これまでのご愛顧に感謝し、クソダサ8bitBGM機能を廃止。新たに以下の機能が解放されました」
ピコン。
《機能解放:劇的スローモーション機能(自動演出)》
《機能解放:配信画質(4K)》
「スローモーション!? 4K!?」
マジかよ!
俺のDQNムーブが、映画みたいにスローになったり、超高画質になったりするのか!?
「ヒャパパ! 最高じゃねえか!」
「……まぁ、DQNのドアップが4Kになっても、需要ないですけど」
「うるせえ!」
毒舌は相変わらずだが、俺を「観測」するカメラの性能が上がった。
それはつまり、俺が「より良く見られる」ようになったということだ。
最高だ。何もかもが最高だ。
「警告。観測対象のバイタル低下。現実世界への強制ログアウトを推奨します」
E.C.O.の無機質な声で、俺は我に返った。
言われてみれば、DQNナックルを突き上げた腕がプルプル震えている。
ゴーストノイズとの戦闘、そしてこの脳汁ドバドバの興奮。
身体が、もう限界だった。
「……ああ、クソ。もう終わりかよ」
『乙カエル兄貴』
『次回、4KのDQN期待してるぞwww』
『DQNナックル、手入れしとけよwww』
名残惜しいコメント欄を背に、俺は霞む目でE.C.O.のウィンドウを操作し、「ログアウト」ボタンをタップした。
視界が暗転する――。
◆
視界が現実の色に戻る。
ズン、と一気に身体が重くなった。
鏡界での万能感が消え、フォロワー3000人の強化をもってしても、ゴーストノイズ戦の疲労が全身にのしかかる。
「……はぁ、はぁ……」
息が荒い。
前に鴉森狂夜にボコられた時のように、みっともなく突っ伏してはいないが、立っているのがやっとだ。
「……ここ、は」
見上げると、ビルの隙間に切り取られた、薄暗い現実の夜空。
あのゴーストノイズと戦った場所で立ったままログアウトしたから、そのまま現実の同じ座標に立って戻ってきたらしい。
「つ、疲れた……」
全身が鉛みたいだ。膝がガクガク笑ってる。
俺は思わず、近くの壁に手をついた。
顔には、買い直した半仮面が装着されたままだ。
「……そっか。これ、こっち……現実の服だった」
ECHOの装備じゃない。俺が現実の金で買った、俺の服。そりゃ、消えたりしねえか。
疲労困憊のまま、まず半仮面を外してポケットにねじ込む。
俺は壁を伝うようによろよろと立ち上がり、人目を気にしてスカジャンの襟を立て、路地裏の闇に紛れるようにアパートへの道を急いだ。
帰宅後、ポケットから仮面を出して机に置き、スカジャンを脱ぎ捨ててスウェットに着替える。
右腕を見る。さすがに《DQNタイガーナックル》は消えていた。
不安になってスマホを起動。ECHOアプリを開く。
インベントリに、黒いナックルのアイコンが追加されている。
「……ああ、こっちに入るのか」
《エコーアームズ》は、ログアウト時に自動で収納されるらしい。
よかった。俺の最強武器、健在だ。
そのまま、震える指でマイページをタップ。
《フォロワー:3623》
夢じゃなかった。
そして、ずっと見ないフリをしていたタブを、意を決してタップする。
「収益」
そこに表示された数字に、俺は呼吸を忘れた。
「…………じゅ、」
ゼロが、多い。
《換金可能額: ¥ 150,280 》
「じゅ、15万!?!?」
声が裏返った。
ベッドから転げ落ち、スマホを何度も確認する。
15万。
ほぼ俺の手取り月給だ。
たった数回の配信で。
嘲笑され、バカにされ、ダサいと笑われただけで。
スカジャンとメリケンサックを買った金なんて、一瞬でペイできてる。
これが……ECHO。
これが「見られる」ということの対価。
「……俺の、月給より、多い……!」
狂夜にボコられた時とは違う、もっと生々しい実感が、俺の喉をカラカラにした。
◆
翌朝。月曜日。灰色の現実が、また始まる。
「……ピー、ピー、ピー」
いつものアラーム音で目が覚める。
だが、何かが決定的に違った。
「……うるさ」
いつもなら鳴り続けてようやく気づくアラーム音が、一発目の電子音で鼓膜を刺した。
体を起こす。……軽い。
前回の配信後も少し軽くなったが、レベルが違う。
フォロワー3000人超え。人外一歩手前。
その意味を、俺の身体が理解し始めていた。
アパートの薄い壁の向こう。
隣の部屋のジジイの咳払い。
廊下を歩く大家の足音。
外を走る車のタイヤが、アスファルトを削る音。
全部、クリアに聞こえすぎる。
「……ヤバいな、これ」
五感が、鋭くなりすぎている。
会社に行けば、また俺は「空気」だ。
なのに、この身体は「ここにいる」と叫んでいる。
よろよろとスーツに着替え、アパートを出る。
満員電車。
いつもなら、人にぶつかれても気づかない俺が、今日は人の視線を敏感に感じ取ってしまう。
ダメだ、黒江直也。
お前は「空気」だ。
オフィスに着く。
「……おはよう、ございます」
いつものように、誰にも聞こえない挨拶。
だが、今日は聞こえすぎた。
「……またギリギリかよ、あの人」
「あの人……誰だっけ?」
「さあ? 総務の……いや、営業だっけ?」
「まあ、どうでもいいか」
ヒソヒソ声が、全部耳に飛び込んでくる。
そうだ。名前すら覚えられていない。
知ってたけど、フォロワー3000人パワーで鮮明に聞こえてくると、さすがにキツい。
俺は「空気」スキルを発動し、気配を殺してデスクに向かう。
「あ、すみませーん」
総務のオバサンに呼び止められた。
「悪いけど、そこのサーバー室から予備のコピー用紙、全部持ってきちゃって」
「あ、はい……」
サーバー室の隅には、ダンボールが山積みになっている。20箱くらいか。
いつもなら台車で4往復する量だ。
俺は一番上の箱に手をかける。
「……あれ?」
軽い。羽みたいだ。
無意識に、ダンボールを両腕に4箱、重ねて持っていた。
「よっ、と」
「……え?」
オバサンが固まってる。
「え、キミ、それ……全部持ってきたの?」
「あ」
ヤバい。
いつもなら1箱でヒーヒー言ってる俺が、4箱軽々持ってる。
「あ、いや、これは、その……」
「……あの、すみません」
背後から、凛とした声。
振り向くと、経理部の白石澪さんが、不思議そうな顔で俺を見ていた。
この会社で唯一、俺を「黒江さん」と認識してくれる、唯一の人。
「白石さん……おはよう、ございます」
「おはようございます。……あの」
白石さんが、俺の顔をジッと見つめる。
ダメだ、見られるな。現実はダメだ。
「何か……雰囲気、変わりました?」
「えっ」
「うまく言えませんけど……鍛えてるんですか?」
「い、いえ! そんな! ジムとか!」
しどろもどろ。
フォロワー3000人パワーが、現実の「空気」スキルを上回ってる!
「そ、それじゃ、俺、仕事あるんで!」
ダンボールを4箱重ねたまま、カニ歩きでその場を離れた。
クソッ!
あっち――鏡界ではあんなに堂々としていられるのに!
こっち――現実では、白石さんにまともに顔も見られない!
自席で死んだように仕事をこなしていると、昼休み、スマホが震えた。
どうせECHOの通知だろ。
こっそり画面を開くと、運営からのDMだった。
「通知:フォロワー3000人突破を確認。ダイバー・ヒャパは、ECHO運営が定める『選別基準』に到達しました」
「……選別?」
「つきましては、『ウィークリー・ルーキーランキング』への参加資格ミッションの招待状を送付します。受領しますか?」
俺は、トイレの個室に駆け込み、DQNナックルのアイコンを眺めた。
15万の現実と、フォロワー3000人の力。
もう、「空気」のままじゃ終われない。
俺は、「受領する」のボタンを強くタップした。




