第七話 伊達と酔狂
昨日手に入れた「嘲笑」の対価――つまり金で、俺は戦いに必要なものをポチった。
それが届いたのは、日曜の昼過ぎ。
アパートの安っぽいチャイムが鳴り、黒江の顔でビクビクしながら荷物を受け取る。
箱を開けると、ビニールに包まれた三つの輝きが現れた。
一つは、ゴツい合金製のメリケンサック。
もう一つは、黒地に赤のラインが入り、背中にド派手な虎の刺繍が施されたスカジャン。
そして、ひび割れてしまったので買い直した白い半仮面。
俺は、吸い込まれるようにスカジャンを羽織った。
鏡の前に立つ。背中で睨みを利かせる虎。強烈な自己主張。
そして、白い半仮面を装着。
そこに立っていたのは、昨日までの空気な黒江じゃない。
異界の残響がまだ脳にこびりついている。
一昨日よりもさらにクリアな視界が、鏡の中の男を「イケてる」と認定していた。
「……ああ。悪くねえ」
これだ。俺が求めていた強さの象徴は。
俺はメリケンサックをポケットにねじ込み、スカジャンの上からいつもの汚れたコートを羽織ってアパートを出た。
いつもの駅前の路地裏。
鏡をくぐる。セピア色の世界。
ブゥン、と低い羽音。
球体のE.C.O.が俺の目の前に飛んできた。
「ダイバー・ヒャパ、ログインを確認。……服装パターン、DQNに変更。理解不能です」
「うるせえ、クソAIが」
「配信を開始します。現在視聴者数:85」
俺はE.C.O.のカメラに向かって、羽織っていたコートを脱ぎ捨てた。
風に揺れる虎の刺繍。指にカチリとメリケンサックをはめる。
どうだ、完璧なコーディネートだろ。
『うわ、トラの刺繍ってwwwダサwww』
『DQNコスプレキター!』
『カエル兄貴、ガチでイタいwww』
『メリケンサックってwヤンキーかよwww』
コメント欄が、俺のセンスを一斉に否定してくる。
だが同時に、視聴者数がジワジワ上昇。
《視聴者数:85 → 150 → 230》
「あ? ダサい? テメェら、センスねえな! これが本気の戦闘服だろが!」
俺は本気で吠え返した。
こいつら、何もわかってねぇ。こんなに強そうでカッコイイ服が、他にあるかよ。
だがいい。
『www』
『本気で言ってやがるこいつ』
『クソダセェwww』
嘲笑だろうが何だろうが、今この瞬間、230人の視線が全部俺に集まってる。
いいぞ……もっと見ろ。
そこに、待望の“エサ”が湧いた。
前回より小さい。
ザコレブナントの群れだ。
「待ってたぜ、エサども!」
メリケンサックを構え、地面を蹴る。
ドッと路面が震え、視界が流線形に伸びる。
速い。
アルミバット時代とはまるで違う。
フォロワー672人分の身体強化が、俺のスカジャンを風になびかせる。
ドスッ!
先頭のレブナントの顔面に、メリケンサックがめり込む。
バキッ!
そのまま振り抜き、二匹目を殴り飛ばす。
狂夜みたいな洗練された一閃じゃない。
泥臭く、汚く、ただひたすらに殴る。
だが確実に、レブナントが霧散していく。
ノイズが砂のように散り、靴裏で弾ける。
《視聴者数:230 → 400》
『あれ?』
『なんか前より強くね?』
『動きはDQNなのに速いwww』
『カエルパンチ炸裂www』
うるせえ! カエルじゃねぇ、タイガーだ!
俺は最後のザコをアッパーで宙に飛ばし、
DQN上等とばかりにスカジャンの肩を揺らしてポーズを決めた。
「どうだ! 見たかコラ! これが俺の“本気”だ!」
コメント欄が「嘲笑」から「熱狂」へ変わっていく。
『www』
『こいつ、マジで強くなってやがる』
『いいぞもっとやれwww』
『あ、フォロワー1000行くぞ』
『1000踏んだ!』
《フォロワー:998 → 999 → 1000》
「分析。ダイバー・ヒャパのフォロワー数が規定値1000に到達。身体機能のブーストを開始します」
E.C.O.の無機質な声。
その瞬間、画面が白光に包まれ、コメントの粒が腕にまとわりつく。
バチバチと静電気みたいな快感。脳が爆ぜる。視線、歓声、鼓動――全部がひとつになる。
「見ろよ……!! これが、俺だッ!!」
背中の感覚が弾け、口から勝手に声が漏れる。
「ヒャパァァァァァァァァァァァッッ!!」
それは笑いでも叫びでもない。
快感が言葉を焼き切って、生まれた音だった。
《視聴者数:400 → 1500 → 5000》
『うおおおおお!!』
『キターーー!!』
『カエル覚醒www』
『ヒャパったwww』
《いいね:500 → 1200 → 3000》
コメントと“いいね”が爆発するのを肌で感じる。
視聴者数が、俺の絶叫に合わせて跳ね上がっていく。
痛みも恐怖ももう無い。
ただ、見られている。
そのこと自体が、全身を駆け巡る快楽だった。
世界が、スローモーションに見える。
――ズンッ。
空気が重くなった。
「警告。高レベルのレブナント反応を検知。ゴーストノイズ級です」
快楽の絶頂にいた俺の視界が、E.C.O.の警告とともに、目の前の巨影を捉える。
ザコがいた場所。
そこには、以前俺を絶望させた“ゴーストノイズ”級の巨体が、ゆらりと立っていた。
新たな力に酔いしれる俺と、目の前の強敵。
視聴者数5000。
「……いいぞ」
俺はスカジャンの袖をまくり、メリケンサックを構え直した。
指先がギチと鳴る。
「次はテメェだ!」




