第六話 給料日より、早い
夜の駅前。
人影のないロータリーの隅で、黒江直也はゆっくりと目を開けた。
視界が現実の色に戻る。
……ログアウト、されたらしい。
アスファルトの冷たさが頬に刺さる。
鳩尾に残る痛みが、現実へのリマインダーだった。
……生きてる。
鴉森狂夜の大剣の衝撃。
その余韻が、まだ体の芯に残っている。
ふらつく足でアパートまで帰り着き、靴を脱ぐ間もなくベッドに倒れた。
まぶたの裏で、狂夜の赤い髪が燃え続けている。
(……次は、負けない)
そう呟いた瞬間、眠気に飲まれた。
◇
翌朝。
アパートの天井の黒いシミが、やけに濃く見える。
う、ああああっ!!!
跳ね起きる黒江。
汗でTシャツが張りつき、昨日の映像が脳内で再生される。
赤髪。大剣。そして自分の口から出た——
ヒャ……パ……。
やめろぉぉぉぉぉぉ!!!
布団に顔を埋めて転げ回る。
羞恥と屈辱で体が燃える。
カレンダーを見る。土曜日。
会社は休み。
助かった。今日は誰にも会わない。
……と思ったら、机の上のスマホが震えた。
ECHOアプリの通知が止まらない。
フォロワー数が、バグのように跳ね上がっていく。
《フォロワー:5 → 500 → 672》
……は?
画面を開くと、コメント欄が嵐。
『カエル兄貴www』
『フォロワー5の限界突破!』
『狂夜様の弟子入りおめw』
やめろやめろやめろぉ!!
頭を抱える黒江。羞恥で顔が沸騰する。
けれどその瞬間、胸の奥がドクンと跳ねた。
笑われてるのに、快感があった。
体の芯がじんわり熱い。
昨日よりも、視界がくっきりしている。
音が遠くまで届く。
……なんだ、これ。
立ち上がる。足が軽い。
鏡を見る。目の焦点が妙に鋭い。
ECHOのWikiで読んだ言葉が、脳裏をよぎる。
フォロワー1000で、肉体は人外一歩手前。
……嘘だろ。
拳を握る。
空気が鳴る。
力が、前より入る。
心臓の鼓動と一緒に、フォロワー数が跳ねている気がした。
スマホの通知欄に鴉森狂夜のアイコンが光った。
『鴉森狂夜 フォロワー700万』
黒江は、ためらいながらもフォローをタップした。
(……社会人として礼は言っとくか)
DM欄を開く。指がわずかに震える。
おはようございます。
昨日は危ないところを助けていただき、ありがとうございました。
ご迷惑をおかけしました。
(ヒャパ)
送信。
一秒後、「既読」。
……は、早っ。
そしてもう一秒後——
『ゴミが』
……ですよねー。
スマホを伏せる。
なのに、胸の鼓動は止まらない。
鴉森狂夜に見られたという事実が、麻薬のように甘い。
ECHOの通知が再び鳴った。
リザルト画面が現れる。
《ノイズ討伐リワード:10,000円》
《合計獲得金額:25,000円》
……マジか。
換金ボタンを押す。
数秒後、銀行アプリの残高が跳ねた。
その瞬間、頭がジンッと痺れた。
心拍が早くなる。
脳の奥が光る。
……給料より、早い。
……給料より、多い。
笑いが漏れた。
昨日の恥が、金に変わった。
承認が現金になる。
それは、背徳的な快感だった。
◇
コンビニのATM。
残高の数字が、冷たい機械音とともに増える。
……悪くねぇ。
そのまま駅前のファミレスへ。
休日の昼、家族連れに混じって一人席。
ハンバーグステーキを注文。
鉄板の上でジュウジュウと音がする。
フォークを持つ手が、また震えた。
……うまっ。
味覚が濃い。
香りが深い。
昨日より、世界が立体的に見える。
これが、異界の後遺症か。
……いや、違う。
フォロワーの力だ。
スマホを取り出し、ECHOのWikiを開く。
中級レブナント討伐には、フォロワー1000以上が最低ライン。
……なるほどな。
今の俺、672。
目標は、決まった。
1000フォロワー。
……そこまで行けば、見える景色も変わる。
コーヒーを飲み干し、静かに笑った。
◇
夜。
ネットショップを開く。
壊れた半仮面の買い直し。
次に、動きやすい服。
黒地に赤のラインのスカジャン。
背中には虎の刺繍。
鏡界で映えるための装備。
最後に、合金製のメリケンサック。
合法の範囲ギリギリ。
商品画像を見ただけで、鼓動が上がる。
やっば……カッコよ。これ絶対バズるやつだろ。
指先が勝手にクリックしていた。
購入ボタンを押す。
画面に「注文完了」の文字が浮かぶ。
……あっ、これ届くまで仕事できねぇ。
黒江は一人でニヤけながらベッドに倒れ込んだ。
天井を見上げる。
瞼の裏に、狂夜の笑みが浮かぶ。
次は……1000フォロワーだ。
その瞬間、スマホの通知が鳴る。
《フォロワー:673》
一人増えた。
それだけで、心臓が熱くなる。
……見てるんだろ。いいぞ……。
目が、ほんの一瞬、光を帯びた。




