第四話 半仮面とアルミバット
会社から定時ダッシュでアパートに帰り着くと、
昨日ネット通販でポチったブツが届いていた。
薄っぺらいダンボール。
中身は——『白い半仮面』。
鏡の前に立つ。
ゆっくりと、顔の右半分を隠すように装着する。
……。
鏡に映っているのは、知らない男だ。
いや、半分は知っている。
左半分は、いつもの「空気」な黒江直也。
だが、仮面で隠された右半分は、得体が知れない。
……悪くない。
むしろ、スイッチが入る感覚だ。
クローゼットの奥から、ホコリをかぶったアルミバットを取り出す。
学生時代、護身用という名目で買ったが、一度も使わなかったやつ。
この前の配信、ブーストしていない素手の俺は、
ザコ相手に逃げ回るのが精一杯だった。
戦闘評価D。
D評価のままじゃ、あのクソAI(E.C.O.)に「気休め」と笑われるだろうが、
それでも——
素手よりはマシだ。
スマホを起動し、ECHOアプリを開く。
マイページに表示される、俺の新しい名前。
HN:『HYAPA』(ヒャパ)
転移ボタンを、強く押した。
——行こうぜ、E.C.O.。二度目の観測だ。
◇
視界がブラックアウトし、次の瞬間、俺は鏡界に立っていた。
だが、そこはいつもの駅前じゃない。
……ここ、俺の部屋か。
セピア色になった、俺のボロアパートの一室。
そうか。
転移って、押した場所に出るのか。
前回は駅前で押したから、駅前だったんだ。
E.C.O.! いるんだろ!
ウィィン、と静かな起動音。
観測ドローンがどこからともなく出現した。
観測を開始します。……ふむ。
E.C.O.のレンズが、俺の顔(仮面)にグイッと寄る。
次に、手の中のバットをスキャン。
分析:顔面隠蔽。現実での顔バレを恐れた行動ですね。合理的ですが、半分見えてます。
うるせえ! これでいいんだよ!
HNも変えたぞ! 『ヒャパ』だ!
HN:『ヒャパ』。自身の奇声を登録。……理解不能です。
クソ、この前は「壊れてて良いですね」って言ってたクセに。
武器を携帯。素材:アルミニウム。
……確かに、ブースト無しのあなたの素手では、ザコ相手でも危険ですからね。
気休めですが合理的です。
いちいちムカつくな、お前!
それより『いいね』だ!
E.C.O.に要求する。
この前稼いだ『いいね:3』、今すぐお前に捧げる!
機能を解放しろ!
了解。アンロック可能な機能リストを表示します。
視界にウィンドウが開く。
《BGM追加:消費 3》
《簡易エフェクト機能:消費 5》
《カメラワーク(強):消費 10》
……足りねえ!
3じゃ“強カメラ”は無理。
BGMだ!
戦闘(C評価)がダサくても、音で盛り上げりゃHYPEは稼げるんだろ!
《いいね:3》を消費。BGM追加をアンロックしました。
よし。残り『いいね:0』だが、
いかしたBGMでぶち上げよう。
よし、外に出るぞ!
レブナントは駅前が多いんだろ!
セピア色の自室のドアを開け、灰色の街へ駆け出す。
◇
鏡界の駅前。
ここが一番、レブナントの“溜まり場”らしい。
アルミバットを肩に担ぎ、E.C.O.に告げる。
E.C.O.! 配信開始だ!
《LIVE:ON AIR》
ウィンドウが開く。
すぐに数字が動く。
《視聴者:5》
俺の数少ないフォロワー5人が全員来てくれた。
ありがたい。
コメントが、早速ポツポツ流れる。
『お、おとといの変態だw』
変態言うな!
『仮面www』『顔半分出てるぞw』『隠す気ねぇだろw』『承認欲求の固まりだな』
グッ……!
うるせえ! 見てろよお前ら!
前方のビルの影から、カクカクと3体のレブナントが出現。
パーカー姿のバグ人型。
だが今日はハッキリ見えた。
顔は「いいねマーク」が逆さになったのっぺらぼう。
来たな! E.C.O.! BGM! 一番アガるやつ流せ!
選曲します。
静寂がひび割れ、空気が膨らむ。——が、次の瞬間。
シーン……。
……ピロピロピロ……♪
ダセェ! なんだこの音!
ファミコンの8bitみたいな、気の抜けるテクノが鏡界に鳴り響く。
なんだこれ!
あなたの累計『いいね』総数『3』では、これが限界性能です。
クソが!
コメント欄が「www」で埋まる。
『BGMダサすぎwww』『変態仮面にダサBGM、完璧かよ』
——胸骨の裏で鼓動がカチ上がる。
ダサ音でも、リズムは刃になる。
ああもう、うるせえ! オラァ!
クソダサBGMに合わせて、アルミバットをフルスイング。
ザコの頭(逆さGoodマーク)を狙う。
ヒュン——ガギン!
鈍い手応え。
骨ではない、金属と砂利の中間みたいな嫌な抵抗。
前回の素手じゃ避けるだけで精一杯だったが、
バットのリーチと硬さがレブナントを確実に削る!
(いける!)
オラオラオラァ!
足裏で路面を刻み、肩から腰へと捻りを通す。
ブン、ブン、ブン!
無心で振り回す。
ザコ・レブナントは数発でノイズになって崩壊。
『おお、倒した』『バットwww 普通に物理w』『C評価なりに考えてきたなw』
どうだ! あと二体!
残りのザコに突撃。
仮面のおかげで「顔バレ」の恐怖がない。
現実の「空気」の殻が、いつもより早く割れる。
——そうだ、俺はもう黒江直也じゃない。
『ヒャパ』だ!
動きも、ほんの少しだけマシ。
B評価くらいはあるはず!
オラァ!
ダサBGMの中、バットを振り回し、残りも殲滅。
はぁ……はぁ……どうだ!
『おおー』『まあ、うん』『ザコ相手だしな』
コメントが微妙。HYPEも伸びない。
HYPE低下中。戦闘評価:C。
バットはザコには有効ですが、ダサいです。
クソっ、前回と同じかよ! 快感が……『いいね』が欲しい!
E.C.O.に「スベってます」と分析されるのが怖くて、前みたいな要求ができない。
俺が焦った、その時——
……警告。前方より高HYPE反応。
中型レブナントを検知。
え?
駅前ロータリー。
中心から、アスファルトが「黒いコメント」をブワッと噴き出しながら盛り上がる。
それが集まり、人型へ。体長3メートル。
ザコとは違う。
そいつの体はバグったノイズではなく、
黒い『返せ』『クソ』『なんで』などの怨嗟テキストで構成されている。
なんだ……こいつ!? 密度が違う!
……ゴーストノイズ。炎上し理性を失った元配信者の成れの果て。
危険度が違います。
元配信者!? Wikiで見たやつ……!
『うわ、デカいの来た』『C評価が勝てる相手じゃねえだろw』『逃げろ変態仮面』
C評価だ! バットがあればイケる!
アルミバットを構え直し、突っ込む。
おおおおおお!!
渾身のフルスイングを、どてっ腹へ——
カァン!
甲高い金属音。
だが、ゴーストノイズはビクともしない。
なっ!?
ビクともしないどころか、
ゴーストノイズのノイズまみれの手が、
腹にめり込んだままのバットを掴んだ。
しまっ——
ミシミシ……嫌な音。
ブチッ!
アルミバットが、紙粘土みたいに握り潰され、へし折れた。
ぐ……!
腕に伝わった衝撃で、安物の半仮面にもピシッとヒビが入る。
物理的衝撃、無効。……だから言いました。気休めだと。
ヤベェ、死ぬ! クソ! 見てるんだろ!
絶望のまま、視聴者に向かって叫ぶ。
『いいね』じゃねえ! 何か——武器を! 助けろ! 俺に武器をよこせ!
『は?』『こいつ、ついに視聴者に武器要求しだしたぞwww』
……要求を検知。
しかし武器の生成条件は視聴者からの応援と願い、
あなたの状況では——
クソAIの無機質な声。
霞む視界の中、ゴーストノイズの拳が、
無防備な俺へ、ゆっくりと——
(ここまで、か……)
——落ちてくる。




