第三話 仮面と、新世界のスター
……ピー、ピー、ピー。
いつものアラーム音。
いつもの、灰色の天井。
ゆっくり目を開ける。
昨夜、ECHOから強制ログアウトさせられたのは駅前の雑踏のど真ん中。
そこから、あのありえない疲労感を引きずって、なんとかアパートへ。
泥のように眠った――はずだ。
……っ。
体を起こす。
……あれ?
いつもなら鉛みたいに重い。
出社拒否感MAX、ゾンビ始業が俺の月曜の朝。
――なのに。
体が……軽い。
スッ、と起き上がれた。
肩も腰も、昨日の疲労がウソみたいに消えてる。
それどころか、むしろ今が28年間で一番、調子がいい。
スゲェ……。
その場で軽くジャンプ。
フワッ。いつもより5センチは高く跳べた気がする。
(これが、ECHOの効果か……!)
スマホを確認。
リザルト画面の俺のステータス。
《獲得Cheers:3》
《Follower:5》
(たったこれだけで、こんなに……?)
体は軽い。絶好調。
――なのに。
……ああ。
頭が重い。
脳が、焦げつくように疼いている。
(足りない)
昨夜、脳天をブチ抜かれた、あの快感。
いいねという名の肯定が、脊髄から叩き込まれた灼熱。
あれを、もう一度。
(早く……)
灰色の天井を見上げる。
(早くまたあっちに行って、見られたい……!)
---
いつものオフィス。
カタカタカタ、とキーボードの音だけが響く。
……速い。
自分の指が、いつもより速く動く。
体が軽いおかげか、午前中の書類タワー(雑務)、昼前にあっさり溶けた。
……あー、えーっと、君。
はい。
これ、追加ね。最優先で。
……わかりました。
上司から追いタワーされても、以前みたいな絶望はない。
あるのは、苛立ちだけ。
(早く帰らせろ。こんな空気の仕事より、俺は――)
給湯室で、味のしないコーヒーを淹れる。
早くあっちに行きたい。
C評価をA評価にして、あのクソAI(E.C.O.)の鼻を明かす。
その時だった。
あの……黒江くん。
ビクッ!?
背後から澄んだ声。
盛大にこぼしかけて振り返る。
し、白石さん!?
経理部の白石澪さん。
この会社で唯一、俺を君じゃなく黒江くんと呼んでくれる人。
な、なんで白石さんが……俺に……?
おはよう。……ごめん、びっくりさせちゃった?
あ、いえ! 大丈夫です! 俺なんかに何か用ですか!?
ふふっ。
少し困ったように笑う。
やばい、声デカすぎた。現実なのに。
あのね、黒江くん……なんだか今日、雰囲気違うね?
え。
なんていうか……背筋、ピンと伸びてる、っていうか……。
雰囲気!?
まさか、ステータスアップが外見に!?
血の気が引く。
そ、そんなことないです! いつも通り猫背です!
え、あ、そう……? なら良いんだけど。
はい!
昨日、駅前ですごい疲れた顔してたみたいだから、ちょっと心配で。
えっ。
昨日!? ログアウト直後!?
(見られてた……この俺が……)
あ、でも今日は元気そうだから安心した。無理しないでね。
そう言って会釈、去っていく。
……
胸の鼓動がやけにうるさい。
(白石さん。俺のこと、見てくれてた。心配、してくれてた)
……でも。違う。
震える手を見る。
俺が欲しいのは、この心配(同情)じゃない。
(俺が欲しいのは、賞賛だ……!)
---
定時ダッシュでアパートIN、PC即起動。
(情報が足りない! あのクソAI、説明不足!)
検索窓に「ECHO アプリ」→エンター。
……は?
ヒット一覧に固まる。
ECHO 攻略Wiki。
ECHO ニュース速報。
ECHO ランカー名鑑。
ECHO専門 スポーツ新聞 E-Spo。
週刊ECHO ゴシップ:ミリア様、熱愛か!?
……なんだ、これ。
ただの怪しいアプリじゃなかった。
攻略Wikiはもちろん、ニュース、スポーツ紙、ゴシップ誌まで。
世間は、俺が思ってるよりずっとECHOを知っている。
(ECHOって……こんなにメジャーだったのかよ!)
震える指で『ECHO ランカー名鑑』をクリック。
Wikiトップ、『現行ダイバートップ10特集』のデカバナー。
配信者のことは「ダイバー」と呼ぶみたいだ。
そこに、スターがいた。
光の天才 天城レイ:フォロワー1200万人/推定年収(換金額)50億円超――ECHO界の王子。
……ごじゅっ。
50億!?
手取り20万、ボーナス無しの俺と、何が違う。
同じ人間か!?
国民的アイドル 星乃ミリア:フォロワー900万人。可愛いのに光の怪物。
闇の炎上カリスマ 鴉森狂夜:フォロワー700万人。怒りと恐怖を燃料にするスタイル。
光も闇もアイドルも、全部いるのかよ……。
ゴシップじゃなくECHOニュース速報を開く。
速報:ECHOランカーのオリンピック出場、IOCが正式に「不可」――「彼らの能力は従来の人間の範疇を超えるため」。
大人気! ECHO配信者限定の格闘技リーグ「E-1グランプリ」――昨夜の視聴者数(現実)1億人突破!
……もう、別の世界だ。
オリンピックみたいな旧世界の栄光じゃない。
金も、名声も、熱狂も。
ECHO配信者たちは、俺の知らない新世界で、全部手に入れてる。
Wikiの鴉森狂夜ページの小注釈に目が止まる。
※注意:炎上系は負の感情(アンチ、低評価)も力に変換可だが、HYPEの負債が蓄積。許容量超過で理性喪失、レブナント化の危険。
……レブナント化?
昨夜倒した、あのバグ人型。
あれって……元は配信者?
炎上で……ああなる?
ゾッとする。
いいねが快感なら、低評価は毒。
恐る恐るECHOアプリを起動。マイページ。
フォロワー:5。
いいね:3。
総合評価:C。
……5人。
50億と、5人。
天と地どころの話じゃない。
(俺のステータス、ゴミかよ)
だからE.C.O.に「戦闘D評価」って言われたんだ。
……待てよ。
ECHOって、こんなにメジャー。
俺、ヒャパパって発狂してた顔――ドローンで配信されてたよな?
もし……白石さんが見たら?
(あれ? この配信者、黒江くんに似てない?)
うわああああああ!!!
頭を抱える。
無理。あんなヒャパパ顔、知り合いに見られたら社会的に死ぬ。
二度と出社できん。
(黒江直也のままじゃダメだ。空気の俺を、捨てなきゃ)
---
まずは形だ。
PCに向き直る。
ハンドルネームと、顔を隠すもの。
メモ帳にHN候補。
ミトメロ。
オレヲミロ。
……いや、これはただの要求。ダサい。
E.C.O.に「下品ですね」って言われる未来が見える。
もっと、あの快感の象徴。
あのクソAIに「データベースに該当なし」「壊れてて良い」と言わせた、俺だけの音――
ヒャパ。
……いい。これ以上ない。
ECHOのプロフィール欄をタップし、打ち込む。
HN:HYAPA
そして、顔。
コンビニの黒マスクじゃ甘い。
どうせ隠すなら、ECHOにふさわしい仮面がいる。
通販で仮面を検索。
一枚の画像で手が止まる。
……これだ。
顔の右半分だけを隠す、真っ白な無機質の仮面。
オペラ座の怪人みたいなやつ。
これなら、現実の俺(黒江直也)の半分を隠し、
狂気の半分を晒せる。
迷わずカートへ。
……待ってろよ、E.C.O.。
PCに表示された「フォロワー:5」を睨む。
次の俺は、ヒャパだ。




