第二話『辛口AI、起動』
(ああ、これだ。これだ)
脳が、まだジンジンしてる。
昨夜、「がんばれ!」の一言で脳天をブチ抜かれた、あの快感。
全身の血が熱い。灰色の世界が「色」を取り戻した時の、あの万能感。
「……見られてる」
ゾクゾクする。
俺は、確かにここに「存在」してる。
目の前で、ビルの影からバグ人型――レブナントたちが這い出す。
カクカクと不気味な動きで包囲。一体、二体……五体、六体。
もう、怖くない。
むしろ――
(あいつらも、俺を『見てる』)
もっと、欲しい。もっと、見られたい。
あの快感を、もう一度――。
「ああ、いいぞ。もっと来いよ。俺をもっと見ろ!」
俺は笑っていた。
28年間、一度も浮かべたことのない種類の笑み。
武器なんてない。
だが、あの「覚醒」があれば、素手で十分――
最短の個体へ踏み込む。
足裏がアスファルトを噛む。膝をしならせ、肩で風を切る。喉の奥で呼気が弾け、標的のバグノイズが鼓膜を刺す。
その、直前。
「ピーッ! 警告。警告」
「うおっ!?」
甲高いブザーとともに、観測ドローンがスッと目の前に割り込んだ。
危ねえだろ!
「対象の現在のアクションは無謀です。戦闘を推奨しません」
「しゃ、喋ったぁ!?」
マジか、こいつAI搭載かよ。
「自己紹介を実行します。観測AI『E.C.O.(エコ)』。あなたの行動を観測し、最適化し、現実へ転送するのが任務です」
無機質な合成音声――なのに、妙に“間”が人間くさい。
「……それにしても」
「それにしても、なんだよ!」
「先ほどの発声『ヒャパパパパァァァ』、当方DBに該当なし。理解不能な雄叫びですが、視聴者HYPEは一時的に急上昇。……ふむ。壊れかけてて良いですね」
「いきなり辛口! ていうか壊れてねえし!」
カクカク迫るレブナント。距離、ない。マジでヤバい。
「E.C.O.! こいつらなんなんだよ! 説明しろ!」
「あれは“レブナント”。鏡界に廃棄された負の感情の集合体。配信者を本能的に攻撃。速やかな駆除を推奨。……ああ、それと」
「まだあんのか!」
腕が振り下ろされる。バックステップでギリ回避。自覚ある、ダサい。
――踵を切り、肩をすべらせ、指先一枚で軌道を外す。風圧だけで頬が痺れる。
「先ほどの『覚醒』の源泉はHYPE。視聴者の熱狂が、あなたの力になります。そして――」
「そして!?」
「現在の視聴者は3。……はっきり言って、雑魚です」
「は?」
「覚醒は『視聴者0→1』の落差によるビギナーズラック。視聴者3では同等ブーストは期待薄。即死しないよう注意を」
カチンッ。
なんだこいつ! クソAIが俺を馬鹿にしやがって!
「うるせえ! 見てろよ!」
叫んで最短に殴りかかる――が。
「……あれ!?」
体が、重い。
昨夜みたいにスローに見えない。敵、普通に速い。
「うおっ! あっぶね!」
紙一重の回避。心が折れる音がした。
――拳が耳元を裂く。残像が帯になり、鼓動が一拍跳ねる。
「なんだよ! 全然パワー出ねえじゃんか!」
視界の隅、コメントがのんびり流れる。
『がんばれー』
『またヒャパパ言えw』
(言われてできるか、あんなもん!)
俺が必死に逃げる横で、E.C.O.は淡々と実況&採点。最悪の同乗者。
「分析:パンチの軌道、素人。回避行動、絶望的にダサい」
「いちいちうるせえな!」
「視聴者HYPE低下中。あくび視聴者を検知。このままでは“0視聴”、ロストです」
「クソが! 対策! 対策を言えよポンコツ!」
「対策はありません。あなたの戦闘がダサいのが原因です」
「ぐっ……!」
(なんかないのか。HYPEを上げる方法――あの快感をもう一度!)
「HYPE上げたいなら、お前が派手なエフェクトとかBGMとか出せよ!」
「……現在の『いいね(Cheers)』総数は0。低すぎてエフェクト・BGMは全ロック中」
「は?」
「私の機能は“いいね”総量に比例してアンロック。現状、高解像度であなたのダサい戦闘をお届けする以外に手はありません」
「最悪かよ!!」
――待て。今、なんて言った?
『いいね』……それも、力になる?
「おい、E.C.O.。その『いいね』ってのは?」
「HYPEに加え、Cheersも直結します」
レブナントの腕を潜り抜けながら、耳を澄ます。
「先ほどの『がんばれ!』での覚醒……あれ以上の快感が得られる可能性が――」
「……ッ!」
あれ以上?
全身の毛が逆立つ。脳が焼ける承認快楽。
細胞一個ずつが「生きてる」と叫んだ、あの感覚――それを、超える?
一瞬、意識が白く飛ぶ。
「警告。対象、思考停止。危険です」
頬をかすめる痛み。血の匂い。――でも、どうでもいい。
俺はE.C.O.のレンズを正面から射抜く。
「おい」
「……何です?」
「見てるんだろ、そこの3人」
E.C.O.のレンズが、わずかに楽しそうに寄る。
(やっぱ感情あるだろ)
「コメント見えてんだよ! 聞こえてんだろ!」
人生で出したことのない、ドスの効いた声で叫ぶ。
「そこの『いいね』ボタン押しやがれ!」
コメント欄が一拍、凍る。
『は?』
『急に強気w』
『なんだこいつw』
『上から目線で草』
「いいから押せ! もっとすげえモン見せてやる!」
E.C.O.が上機嫌で続行。
「分析:視聴者への直接的承認要求。……下品ですね。最高です」
――ポンッ。赤いハートが弾ける。
《Cheers:0 → 3》
「…………ッッ!!」
来た。
昨夜の「がんばれ!」とは、質が違う。
もっと直接で、もっと濃い。“肯定”が脊髄から脳天へ一本の柱になって駆け上がる。
(ああああああああ!!!)
「がんばれ」は応援。
「いいね」は――俺という存在そのものへの肯定。
足りない。もっと。もっと褒めろ。もっと認めろ。
「ヒャ……ヒャパパパァァァ!!!?」
昨夜よりも壊れた奇声。だが、もう気にしない。
快感が、全部を塗りつぶす。
(これだ……これだこれだこれだ!!)
世界が、また色を取り戻す。
いや、さっきより鮮やかだ。
レブナントの動きが、完全に止まって見える。
「ああ……見てる、見てるぞ……!」
笑いながら最短へ歩む。
振り上げられた腕を掴み――叩きつける。ノイズになって消滅。
「次」
二体が同時に殴りかかる。まとめて崩す。
「次! 次! 次!!」
残り三体。地面を蹴る。重力が軽い。
「ヒャパパァァァ!!!」
――一瞬。本当に、一瞬だった。
気づけば、舞うのは崩れた灰だけ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
(スゲェ……)
脳の甘い痺れは引き始める。
それでも、全身の万能感は残ってる。
「ど、どうだコラ! E.C.O.! これが『いいね』の力だ!」
ドヤ顔で見上げる俺に、合成音が無慈悲に下す。
「全機撃退を確認。リザルト表示。視聴者:5。いいね:3。……総合戦闘評価:C。まあまあ」
「はあああ!? シィィィ!?」
あんだけスゴかったのに!? 一瞬で終わったぞ!?
「戦闘ムーブは相変わらずD。ゴミ評価です」
「ぐっ……!」
「ただし戦闘中に視聴者を直接煽り“いいね”を要求した行為はHYPE獲得に寄与。ゆえにC評価」
「そこだけかよ!」
「初回観測は終了。これより現実へ強制送還、ログアウトします。お疲れ様でした、承認要求さん」
「は!? 承認要求さん!? おい待て! C評価ってなんだよ! ていうかログアッ――」
プツン。意識が、強制的に落ちた。
◆
「……っ!」
目を開ける。ここは鏡界じゃない。
夜の駅前。雑踏。現実。
……夢、じゃない。
全身が、ありえないほど疲れてる。マラソン三本ぶっ続け、みたいな息切れ。
(本当に、戦ってたのか……俺)
ポケットのスマホがチカチカ点滅。
ECHOを開く。通知が一件。
《本日のリザルト:C評価》
《獲得HYPE:150》
《獲得Cheers:3》
《次回も観測をお待ちしています》
「……C評価」
あのクソAI、マジでCつけやがった。
「戦闘はD」
「承認要求さん」
……クソAIめ。
だが同時に、思い出す。
脳が焼ける快感。
“いいね”が突き刺さった瞬間の、あの万能感。
雑踏の真ん中で、俺はニヤリと笑った。
「次は、絶対A評価……」
いや。
「“いいね”100個もらって、あのAIにA評価――“エクセレント”って言わせてやる……!」
28年間で初めて、明確な目標が、手に入っていた。




