表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/15

第十五話『120万の龍虎と、2000万の塵』

地獄の火曜が始まった。


昨日、白石さんに明日も会社に来いと鎖で引かれ、俺は律儀に灰色のオフィスへ出勤した。

けれど、そこは昨日までのオフィスじゃなかった。


うるささが壁から染み出して、皮膚の裏で爆ぜる。

隣のデスクのキーボード音が霰の群れみたいに叩きつけてくる。

上司の独り言は耳道の内側で針へ変わり、壁の向こうのジジイの乾いた咳は胸骨の裏を爪で引っかいた。


フォロワー1万5千人、超人級の五感は現実のノイズを過剰に拾い上げる。


俺はキーボードにそっと指を置いた。豆腐に触れるみたいに。

少しでも強く打てば、キーが歯付きで飛ぶ。


カーソルが点滅するたび、あのクソAIが告げた数字が喉の奥で硬くなる。月額1500LP。

今の保有LPは277。


差分が喉に刺さった魚骨みたいに引っかかって、息のたびに痛む。


現実の口座には、昨日振り込まれた120万が眠っている。

札束を脳内で数えても、ECHOの支払いはLPだけを飲み込む。

LPはLP。現金は飾りだ。


昨日は目覚ましを粉砕し、鉄脚デスクを曲げた。

今日は何も壊さない。


俺は空気。

俺は黒江直也。


息を細くして、体温を沈める。


定時の時報が鳴る前に書類をまとめて立ち上がる。

ドアノブを押す掌の圧を量り、金属が歪まない力で扉を開ける。


勝ちだ。


アパートへ戻り、PCの電源を叩き込む。

沈めていた力が血の中へ熱として戻ってくる。


検索窓に指が滑る。ECHO 攻略 Wiki。ECHO LP 稼ぎ方。


出てきたのは世界の骨組みだった。

『ECHO世界階層構造・リーグ統合設定』。


今いるのは第一層。


第一層。シャドウバン層。沈黙の海。

対応リーグはルーキーリーグ。

運営評価は低効率。観察帯。


特徴は新規と没個性の溜まり。視聴ゼロ地獄。


胸の内側で舌打ちが跳ね返る。

低効率。そこに閉じ込められて、稼げるはずがない。


稼ぐなら次だ。第二層。バズ層。熱狂の街。

対応リーグはシルバーリーグ。

運営評価は高効率主戦場。


特徴は、バズるか消えるかのスピード社会。


そこへ上がる。

そこで1500を粉にする。


昇格条件は、フォロワー1万、貢献度B以上、〈名無しの群体〉討伐証明。


フォロワーの数は届いている。

ミッション一位で貢献度Bも埋まっている。


残りはボス討伐。

やっぱり牙のある扉しかない。


視線がハンガーへ吸い寄せられる。

背中の虎の刺繍が爆風で焦げたスカジャン。

煤の匂いがまだこびり付いている。


この燃えカスでボスへ行くのか。

キララ☆が鼻で笑う顔が浮かぶ。


見映えが落ちればいいねが落ちる。

LPが落ちる。

落ちたLPでまた装備が割れる。

螺旋が嫌な音で回る。


ストアを開く。スーツリペアが目に刺さる。


機能解放 消費1000 LP。月額維持費100 LP。

ECHO装備の破損を自動修復。


欲しい。だが手が届かない。

今のLPは277。


指先に力が入り、マウスが小さく悲鳴を上げる。

いけない。壊すな。


9000LPを溶かした。その額は900万円相当。

馬鹿をやった余熱がまだ指に残っている。


たかが1000LPの修理も開けない現実に、奥歯が軋む。


待て。LPがないなら現実の金を使え。

口座には120万がある。


ECHOのLPで直せないなら、現実で新調すればいい。

どうせなら映える。強そう。


目と指を奪っていいねを吸い込む。


通販サイトを泳ぐ。

光沢のある黒いサテン地。背中には金糸の「龍」と「虎」が睨み合う。

画面の中で二匹が喉を鳴らす。


指ぬきの革手袋もカートへ入れる。

俺のナックルと噛み合う。


銀行残高の120万をちらりと見て、購入を叩く。

決済音が静かに跳ねた。


夜が一段暗くなる。

スマホが震える。配送通知。


翌日を、早送りで押し出す。


水曜。


超人級の筋肉を豆腐以下に縛ってオフィスを切り抜ける。

コピー用紙の束を落とさず、握り潰さず、指先でつまむ。


白石さんの視線が、背中へ小さな疑問符を置いた。


定時で飛び出し、アパートの前で段ボールを抱える。

カッターを入れると、冷えた新品の匂いがこぼれた。


黒い月を抱えたみたいなスカジャンが現れる。

金糸の龍が鱗を持ち上げ、虎の牙が光を噛む。


肩へ落とす。背中に重み、顎は自然に上がる。

指ぬきの革手袋をはめて、拳を握る。


これで奪える。映える。


登録だ。


スマホでECHOを起動し、購入済み機能へ。鏡界突入時オート装備。


「E.C.O.。焦げた虎を消して、今の『龍虎』を登録しろ」


「了解。ダイバー・ヒャパ。登録スロットを更新します。警告。現在登録されている『虎(焦げ)』データは上書き対象です」


「上等だ。龍虎最強だ」


「了解。カメラを起動。対象装備をスキャンしてください」


鏡にレンズを向ける。シャッターの乾いた音。


「スキャン完了。『龍虎スカジャン』『革手袋』を装備スロットへ登録。あなたの美意識は個性的ですね」


「余計な講評すんな」


「失礼。私は味覚も審美も持ちません。あるのは事実と、たまに刺さる皮肉だけです」


笑いが喉の奥で短く弾ける。


次。地図を開き、自宅の住所をタップ。ログアウトポイント登録。


「500万の機能、起動だ。帰還地点はここだ」


「了解。現実世界 日本国××県 グリーンハイツ201H室をログアウト帰還地点に設定。おめでとうございます。合計900万円の力で、この家賃4万の住居へ安全に帰還できます」


「いちいち刺すな」


数字へ戻る。マイページは冷たい。


保有LP 277。次回サブスクリプション引落 1500 LP。


足りない。足りないと、900万円の機能が自動解約される。


わかってる。だから今から稼ぎに行く。


スマホが震えた。DMの通知。差出人はキララ☆。


嫌な予感を指で開く。

軽薄に見えて、刃物みたいに鋭い文が並ぶ。


LP足りなくて死にそうかと笑い、リンクを投げてくる。

タッグ戦イベント。賞金プールがヤバい。


ボス前にLPを稼ぎたい。燃えるゴミ同士、旬だと。


迷いは一秒で燃え尽きた。

プライドは軽い。破産は重い。


「乗ってやる。ただし条件だ。稼いだら次はボス討伐だ。お前も〈名無しの群体〉はまだだろ」


即レス。


「はぁ? ボスとかダル~。でもアンタがキララ☆の『カワイイ』を引き立てるなら考えてあげてもい~よ? あ、あの焦げたスカジャンで来んな? マジ恥だから」


新しい龍虎を背中で鳴らす。

返事は後回しにして、指定された会場を地図でなぞる。

現実のネオン街のカジノビル。


コートを羽織り、顔を影で隠して夜気へ出る。

排気の匂い、どこかの店の油の香り、電柱の影。

自販機の白が汗を冷やし、裏口の金網が錆の味を吐く。


ゴミ捨て場の前で転移ボタンを押した。

世界が裏返り、光が喉へ流れ込む。


鏡界。


ネオンがバグったみたいに明滅するカジノエリア。

床の数字が鼓動し、天井の看板がノイズを撒き散らす。

スロットの絵柄は笑っていて、笑っていない。


オート装備が作動し、龍虎スカジャンと革手袋が肩に落ちる。

金糸が熱を持つ。


フリフリのネコ耳パーカーのギャルが、腕を組んで立っていた。

星型のピンが光って、目元のハイライトが強気を増幅する。


「遅~い。てかその背中、どゆこと? 龍と虎って。センス平成で止まってない?」


「王道は腐らねえ。派手は正義だ」


「カワイイが正義だし? しかも“キララ☆の”ね。理解できたら拍手して」


「拍手は勝ってからだ」


「やだ、負けフラグみたいに言わないで? キララ☆、そういうの嫌い」


息の温度が上がるのを、無機質の声が氷で割った。


「ダイバー・ヒャパの興奮レベル上昇。ドーパミン過剰。下品になる前に、深呼吸どうぞ」


「黙れE.C.O.。お前の下品の基準はどこだ」


「統計です。あなたの言動ログです。信頼区間は広めですけど」


キララ☆が片手をひらひらさせ、視線で会場の中心を示す。


「ほら行くよ。今回の賞金プール、ガチで『20,000 LP』。二位以下は塵。拾う価値なし」


その数字に、喉の奥が鳴る。


2万LP。日本円換算で2000万円。


サブスク1500の恐怖が、瞬時に2000万の渇望へ形を変えた。

胃の底に火口が開いて、そこへ風が吹き込む。


俺は拳を握った。革が小さく鳴き、空気が指の間で固まる。

DQNナックルの輪郭が光で縫われる。


「見てろよ、クソギャル。2万LP、根こそぎ奪う」


「それ、キララ☆のセリフなんだよねぇ」


会場の壁面に巨大スクリーンが走り、ロゴが瞬く。

スロットの列が一斉に止まって、無音の一拍が世界を張り詰めさせた。


「開会アナウンスを開始します」


E.C.O.の声が、天井のスピーカーからも、手元のデバイスからも同時に降る。


「タッグ戦イベント“NEON HEIST”へようこそ。賞金プールは『20,000 LP』。進行は三幕構成です」


スクリーンに要項が踊る。


第一幕 ラックラッシュ。

第二幕 ブレイクイン。

第三幕 ジャックポットフィニッシュ。


「第一幕『ラックラッシュ』のルールを告知します。制限時間は五分。会場内のミニゲーム端末を自由に攻略し、得点を“魅せ”で倍化してください。倍化倍率は視聴者評価『リアルタイムいいね』で変動します。上限は×5」


観客のざわめきが泡立つ。

視界の周縁にコメントがポップアップする。


『誰だよ龍虎の背中w』

『ネコ耳ちゃんかわちい』

『ギャルと刺繍とか祭りか?』

『今回のプールやば、2万LPは草』

『ヒャパって誰』

『DQNナックルの人?』

『サブスク払えないって噂の?』


文字の泡が袖口へまとわりつく。

汗より粘ついた注目が、皮膚の表層で熱を持つ。


「注意。端末を物理破壊した場合、ペナルティ。見苦しい暴力は減点。美しい破壊は加点。美学が判断基準です」


「美しい破壊ってなんだ」


「多数派が拍手する壊し方です。統計です。あなた向けの道です」


キララ☆がスマホをくるりと回し、自撮り角度でステージを切り取る。


「はいフォロワ~☆ 今日は“NEON HEIST”参戦っ。相方は……燃えるゴミ改め“龍虎くん”で~す」


『燃えるゴミ参上w』

『龍虎くん草』

『ギャル最強』

『画角うま』

『相方の背中うるさい』


俺はスクリーンの右下で点滅するマップを見た。端末の配置が出る。

カードカウント、スロット、ダーツ、ルーレット。


「役割を分ける。俺は“力業に見えるが実は繊細”系を取る。ダーツとルーレットを担当する。お前は手数の多い端末へ散って、倍化を稼げ」


「指示口調、嫌いじゃない。じゃ、キララ☆は『画角最強ムーブ』で視聴者を溶かすね。かわいさで×5入れるから、アンタは外しなしで刺して」


「外さない」


「外したら、今日のコーデの罪でマイナスね」


「服装で罪は重くならない」


「重いんだなぁ、これが」


ファンファーレの前の静寂が、会場全体を薄膜で包む。

客席のアバターが瞬く。コメントの泡が増殖する。


『ネコ耳勝て』

『龍虎は昭和』

『いや平成』

『いや令和逆走』

『二人とも好き』

『開始はよ』


E.C.O.の声が再び落ちてくる。


「カウント開始。3、2、1」


爆発のようなファンファーレが鳴った。

金管が壁を震わせ、床の数字が跳ねる。


照明が円を描き、全チームが散る足音をフロアが飲み込む。


俺は一歩踏み出し、背の龍虎が肩甲骨で吠えるのを感じた。


視界の端でキララ☆が踵を返す。

ネコ耳パーカーのフリルが光の粒を散らして、笑顔が画面の中で増殖する。


彼女は振り向きざまにウインクして、指で銃を作る。


「置いてかれんなよ、龍虎くん。――負けたら燃えるゴミの日に出しちゃうから☆」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ