第十三話『900万円のログアウト』
『これにて、ミッションを終了します』
運営の無機質なアナウンスが、廃墟モールに静かに染み込む。
さっきまでの爆音と熱狂が嘘みたいだ。ヘイトコアが消し飛んだ場所からは、光の塵がゆっくり舞い上がり、セピア色の空気に溶けていく。
「……はぁ、……はぁ……」
爆風でボロボロのスカジャンのまま、俺は呆然と立ち尽くすキララ☆の横に着地した。まだ息が荒い。
右腕――虎のナックルがチリチリと熱を帯びている。4万人の視線が生んだ熱狂と《いいね》の津波の余韻が、まだ指先に残っていた。
視界には、E.C.O.の投影する最終リザルトがデカデカと浮かぶ。
《ウィークリー・ルーキーランキング:参加資格ミッション》
1位:HYAPA 2位:キララ☆ 3位:SFアーマー ……
《保有LP:9277》
点滅する「1位」がやけに眩しい。勝った。再生するバケモノに。
狂夜の野郎が「塵」と吐き捨てた、俺とギャルのコンボで。
燃え尽きた拳を見つめ、フッと笑う。
「……燃えるゴミ、悪くねぇな」
『やったあああ!』『マジで倒したwww』『スゲェ!』『まさかの共闘w』
『燃えるゴミコンビ爆誕www』『1位おめ!』『キララ☆ちゃん2位ドンマイ!』
コメント欄は、祭りの後みたいにまだ沸き立っている。4万人の視線が、まだ俺たちに刺さっていた。
「…………え?」
キララ☆がピンクの肉球ナックルを構えたまま、こっちを見て固まる。顔は爆発の煤で少し黒い。ウケる。
「……な、なにアイツ……マジ……」
俺は熱の残る拳に目を落とす。嘲笑と賞賛が混ざった莫大な熱狂の余韻が、確かに指先に残っている。
ブゥン、とE.C.O.が俺たちの間に割り込んだ。
「ミッションクリア。ダイバー・ヒャパ、ダイバー・キララ☆、ランキング参加資格を取得しました。これより5分後に強制ログアウトを開始します」
5分――その言葉で我に返る。ログアウト。現実に帰るんだ。
余韻に浸る俺の横で、固まっていたキララ☆がズカズカ歩み寄ってくる。顔は煤と悔しさでぐちゃぐちゃだ。
「ちょっとアンタ! 1位とかマジでありえないんだけど!」
「あ? 文句あんのかよ、2位」
「うるさい! てか、アンタのせいでキララの『カワイイ』が台無し! このDQN!」
「DQN言うな!」
まだ熱の引かない虎のナックルを見せつけるように握りしめる。
「俺とテメェが組んだから勝てたんだろ。……燃えるゴミ、だったか?」
「はぁ!? 意味わかんないし!」
「強制ログアウトまで、あと3分です」
E.C.O.の無機質なカウントに、思わず肩が跳ねる。やべ、もうそんな時間か。
俺はキララ☆を無視して、ログアウト準備。
まず、右腕の虎のナックルをインベントリへ収納。よし。
次に、焦げたスカジャンのジッパーに手をかける。脱いでおかないと、現実の駐車場に戻った時、このスカジャンのままだ。
「は?」
その動きを見たキララ☆が、さっきの怒りも忘れて心底ドン引きの声を上げる。
「ちょ、何してんのアンタ? キモ……」
「あ? 脱いでんだよ。ログアウトしたら現実の駐車場だろ。これ、こっちの服なんだからよ」
「……うっそ」
宇宙人でも見る目で俺をまじまじと見てくる。
「アンタ、フォロワー1万5千もいんのに、《スーツリペア》も《オート装備》も買ってないワケ?」
「あ? なんだよそれ」
「はぁ……もうヤバすぎ……」
キララ☆が呆れ顔で自分のE.C.O.を操作すると、俺の視界にストア画面が強制表示された。見たことのない高額機能がズラリ。
「これね! 《鏡界突入時オート装備》! 消費LP、4000!」
指差す彼女。
「これ買っときゃ、ログインで自動装備・ログアウトで自動解除! いちいち手で脱ぐとか、ダッサ!」
「4000!? 高すぎだろ!」
俺の全財産(9277 LP)の半分近いじゃねえか。
「あとこれ必須! 《ログアウトポイント登録》! 消費LP、5000!」
「ご、5000!?」
「これ買えば、こんな廃墟じゃなくて、事前登録ポイントに帰れるの。常識でしょ!」
眩暈がする数字に、俺はE.C.O.へ噛みつく。
「おいクソAI! なんでそんな便利機能、先に言わねえんだよ!」
「ストアには常に表示していました」
E.C.O.は心底どうでもよさそう。
「ですが、あなたは3LPのBGMにしか興味を示しませんでした。それがあなたの限界です」
「ぐっ……!」
「てか、アンタ、まさかLP足りないの?」
キララ☆がニヤニヤして覗き込む。
「9000くらい持ってんでしょ? 1位なんだから」
カチン。
「……うるせえな」
ムキになってストアをタップ。
「《鏡界突入時オート装備(4000 LP)》、購入!」
「《ログアウトポイント登録(5000 LP)》、購入!」
『ピコン♪ ピコン♪』
E.C.O.がやけに上機嫌な音を鳴らす。
「購入完了。LPを9000消費。残りLP277。――なお」
「あん?」
「各機能の月額維持費が合計1500LP発生します。毎月1日に自動引き落とし。残高にご注意ください」
「はぁぁぁ!? 月額!? 維持費いんのかよ!」
聞いてねえ!
「1500LP!? 残り277しかねえのに、どうすんだよ!」
「うるさいなー」
俺が本気でパニくってるのに、キララ☆は耳をほじる勢いで無関心。
「LPなんてまた稼げばいいでしょ。てか、アンタなんでそんなLPごときでキレてんの? 9000LPくらいで」
「はぁ!? 9000っつったら、あのダセェBGMが3000曲買える大金だろうが!」
「…………は?」
キララ☆の動きが止まった。さっきのドン引きと違う。
本気でヤバいモノを見る目で、上から下まで俺をスキャンする。
「……アンタ、本気で言ってんの?」
「あ? 当たり前だろ!」
「……E.C.O.」
キララ☆が俺のE.C.O.に冷たく命じる。
「このバカに、ストアの一番下の行、強制的に見せて」
「了解」
視界がストア画面へ引き戻される。最下段が赤く点滅した。
《任意換金レート: 1 LP = 1000 円》
「…………は?」
脳が理解を拒否する。
いち。えるぴー。せんえん?
「え……? 1LPが、1000円……?」
「そ」
死刑宣告みたいに、キララ☆が言う。
「1LP=1000円。アンタがさっき買った《オート装備》4000LPは、400万円。《ログアウト登録》5000LPは、500万円」
「……ご、ごひゃく……」
「アンタがさっきノリで買ったの、合計9000LP。日本円で900万円ね」
「きゅ、きゅうひゃく……まんえん……!?」
「で、アンタの残りLP(277)……それ、27万7千円」
頭が真っ白になる。900万。
俺の年収の、何年分だ? あの灰色の現実で、手取り15万で……?
「あ、あ、あ……」
声が出ない。900万円を、俺は――BGM3000曲分の価値だと思って、ボタン一つで……。
「あーもう! バカに教えたらマジで疲れた!」
俺が白目を剥いている間に、キララ☆がE.C.O.を操作する。
「キララ☆はログアウトポイント使って自宅に帰るから! じゃあね、燃えるゴミ1位くん!」
「あ、ま――」
言うが早いか、キララ☆の体は光の粒になって消えた。ギャーギャー騒いでたギャルが、一瞬でいなくなる。――これが、500万円の機能。
『強制ログアウトまで、あと10秒』
廃墟モールに残されたのは、俺とE.C.O.だけ。
「……どうします? あなたは先ほど《ログアウトポイント》を購入しましたが、任意指定座標の『登録』がまだです」
「……は?」
「よって、今回の強制ログアウトの座標は、従来通り、現実の廃墟モール駐車場になりますが」
「……ふざけんなクソAIがあああああ!!」
俺の絶叫もむなしく、視界が暗転した。
――冷たい夜風が頬を撫でる。
「……はぁ、……はぁ……」
現実だ。ミッション前にコートで顔を隠してやってきた、街外れの廃墟モールの駐車場。
夢じゃない。スマホを取り出し、ECHOアプリを開く。マイページ。
《保有LP:277》
震える指で銀行アプリも開く。
《残高:¥150,280》
そうだ。俺は15万円を手に入れて、浮かれてたんだ。
灰色の現実で手にした、15万円。
異界で手にした、900万を超えるポイント。
それを――価値も知らずに、一瞬で。
「……900万……使った……?」
笑いが漏れた。ヒャ、と乾いた音が喉から出る。
脳が、初めて金を手に入れた時とは比べ物にならない熱で焼けていく。900万。900万。あの世界じゃ、そんな金が一瞬で動くのか。
「……ヒャパ」
笑いが、止まらない。
「……悪くねぇじゃねえか……!」
暗い駐車場で、俺は一人、壊れたみたいに笑い続けていた。




