金曜日の真実
木曜日の午後。給湯室で自分のお茶を入れていると、隣の部署の女性たちの会話が聞こえてきた。
「北村さん、結婚するんだって」
手が止まった。
「え、誰と?」
「他社の人らしいよ。大学時代の同級生だって」
「へえ、おめでたいね」
カップを持つ手が震えた。お茶をこぼしそうになって、慌ててシンクに置く。
北村先輩が結婚?
他社の人?
じゃあ、谷口さんとは……。
頭が真っ白になった。今まで私は何を見ていたんだろう。北村先輩と谷口さんが一緒に帰る姿。楽しそうに話す二人。お似合いの、アジア偏差値60と64の組み合わせ。てっきり、そういう関係だと思っていた。
でも違った。ただの妄想だった。
自席に戻ると、北村先輩がちょうど電話を切ったところだった。いつもと変わらない姿。でも、婚約者がいたんだ。
大学時代から知っている人。その人は何点なんだろう――いや、もうやめよう。偏差値なんて関係なく、北村先輩にとって特別な人なんだ。恥ずかしくなった。
夕方、デスクで仕事をしていると、吉川くんが通りかかった。
「岸本さん、昨日はどうも」
「こちらこそ」
吉川くんは少し緊張した様子で続けた。
「実は、岸本さんともっと話したいと思って」
周りを気にしながら、声を潜めた。
「あの、今度、もしよかったら、ご飯でも……」
顔が少し赤い。真っ直ぐな目で私を見ている。
吉川くんの顔には、もう数字が見えない。
この人は、私の何を見てるんだろう。
「ええと、その……」
ためらっていると、吉川くんは慌てて付け加えた。
「無理にとは言いません。でも、金曜日の勉強会の時から、ずっと気になってて」
「少し、考えさせてもらってもいいですか」
「もちろんです」
吉川くんは優しく微笑んで、自分の席に戻っていった。
化粧室に立つ。
鏡を見て、反射的に「56かな」と思いかけて、笑ってしまう。もう一度見ると、戸惑ったような、でもどこか嬉しそうな顔。数字じゃなくて、表情が見えた。




