水曜日の気づき
水曜日。午前の会議が終わった。
会議室を出ると、北村先輩と谷口さんが並んで歩いているのが見えた。二人は話しながら食堂へ向かっている。私は一人で、その後ろを歩いた。
社員食堂はいつもより混んでいた。二人は窓際の席を見つけて、向かい合って座った。楽しそうに話している。谷口さんが何か言って、北村先輩が笑う。自然な笑顔。数値では測れない、二人の間に流れる空気。
私は反対側の席を見つけて、一人で座った。
カレーを口に運びながら、二人を横目で見る。谷口さんが髪を耳にかける仕草。北村先輩がそれを見つめる視線。
――偏差値67と57のランチ。
でも、年齢を考慮したら、その差は縮まるはず……いや、やめよう。そんなことを考えている自分が嫌になる。
「ここ、空いてますか?」
顔を上げると、吉川くんが立っていた。トレイを持って、困ったような顔をしている。
「どうぞ」
向かいに座った。
「混んでますね、今日は」
「水曜日はいつもこんな感じです」
しばらく黙って食事をしていた。
「金曜日の勉強会、来てくださってありがとうございました」
突然の感謝に、少し驚く。
「いえ、こちらこそ。勉強になりました」
照れたような表情が見えた。偏差値60。改めて見ると、確かに整った顔立ちをしている。
「顔認識って、まだ難しいことも多いんですか?」
私から話題を振ってみた。未経験の素人っぽく。
「そうなんですよ。特に面白いのは、年齢推定ですね」
声に熱がこもる。好きな話題なんだろう。
「使うデータによって結果が変わるんです」
「データによって?」
「欧米の顔データで学習したモデルだと、アジア人の年齢推定の精度が落ちるんです。顔の構造とか、老化の仕方が違うから」
相槌を打ちながら、自分のシステムのことを考える。
「データの中身に似た人が、正確に判定されるってこと?」
「そうなんです」
嬉しそうな声。この話題が楽しいのかな。
「本当の意味で『客観的』って難しいんです。どんなデータにも、作った人の視点が入り込むんです」
その言葉が胸に刺さる。
「岸本さんも、何かAI絡みの業務とかやってます?」
ドキッとした。
「いえ、特には……勉強会で興味を持った程度で」
「そうですか。岸本さんなら、きっとすぐに理解できると思いますよ」
優しい微笑みが向けられた。その笑顔を見て、初めて気づく。この人は、私のことを見てくれている。
午後、デスクに戻ってもあの言葉が頭から離れなかった。
――作った人の視点が入り込む。
家に帰って、すぐにパソコンを開いた。私のシステムで使っているデータセット。欧米の大学が作ったものだった。
――もしかして。
検索すると、アジアの研究機関が作ったデータセットが見つかった。
同じ写真で試してみた。まず自分の証明写真。
最初のデータセット:偏差値52
アジアのデータセット:偏差値56
4ポイント上がった。次に、集合写真から切り出した画像。
谷口さん:67→64
北村先輩:57→60
吉川くん:60→61
谷口さんは下がり、北村先輩は上がった。アジア系の評価者には、北村先輩が好まれるということ?
谷口さんの顔を改めて見る。確かに、ちょっと日本人離れした目鼻立ちかもしれない。大きな瞳、高い鼻筋。それが欧米寄りのデータでは高く評価され、アジアのデータでは逆に……。
日本の感覚に近いのはアジアのデータなんだろう。でも、それが「正しい」とはいえない。
画面には二つの評価結果が並んでいる。欧米寄りとアジア寄り。同じ顔でも、どのデータセットを使うかで評価は変わる。
ふと、今日の昼休みを思い出す。あの真剣な眼差し。「岸本さんなら、きっとすぐに理解できる」と言ってくれた優しい声。彼の基準では、私は何点なんだろう。
――世界が数字になってしまった。




