火曜日の発見
火曜日の朝。雨は上がっていたが、空はまだ薄暗い。昨夜はほとんど眠れなかった。顔に偏差値をつけてしまった罪悪感と、それでも気になって仕方ない数字。その間で揺れ動いて、気がつけば朝になっていた。
少し遅めに家を出る。駅までの道のりで、水たまりを避けながら歩く。会社に着いたのは午前9時前。エレベーターホールで傘をたたんでいると、後ろから足音が聞こえた。
「おはようございます」
振り返ると、谷口さんだった。
「あ、おはようございます」
エレベーターが来る。二人で乗り込む。階数ボタンを押して、扉が閉まる。密室。谷口さんとの距離は1メートルもない。
横目で見る。
やっぱり綺麗だ。くすみのない肌。整った目鼻立ち。
――偏差値67。
頭に数字が浮かぶ。昨日、勝手に写真を切り出して、勝手に評価した。谷口さんは何も知らない。
「昨日の雨、すごかったですね」
谷口さんが話しかけてきた。
「ほんとに。すごい音でしたよね」
普通に返事をする。でも心臓がドキドキしている。まるで悪いことをした子供みたいだ。
谷口さんの横顔を見る。至近距離で見ると、本当に肌がきれい。シミもシワもない。陶器みたいに滑らか。思わず「肌、きれいですね」と言いそうになって、慌てて視線を階数表示に向ける。
その時、気づいた。谷口さんも階数表示のガラスを見ている。でも、そこに映る自分の顔を見ているようだ。目の下を軽く指で押さえる。クマでも気にしているのか。
そこで、ふと思った。
谷口さんって、何歳だっけ?
エレベーターが着く。谷口さんが先に降りて歩いていく。私は自分のデスクに向かうが、さっきの疑問が頭から離れなかった。
パソコンを立ち上げて、共有フォルダを開く。プロジェクトの初回ミーティングの時の資料。確かメンバーの自己紹介のスライドが……あった。
谷口優奈。簡単な経歴がある。
入社9年目。指折り数える。31歳。私より4歳も若い。
やっぱり若い方が高く評価される傾向があるはず。当たり前だ。肌のハリも違うし、シワもない。それに輪郭も変わる。頬の位置が少しずつ下がって、フェイスラインがぼやけてくる。
仕事に集中しようとするが、年齢のことが頭から離れない。5年前の自分はどうだったんだろう。
定時で退社する。今日は残業する気になれなかった。
家に帰って、すぐにパソコンを開く。外付けハードディスクを接続する。5年前のフォルダを開くと、友人の結婚式の写真があった。
30歳の私。
写真を開く。ドレスアップした自分が写っている。プロのカメラマンが撮ってくれた一枚。メイクも照明も完璧。我ながら、よく撮れている。
――さすがにこれは盛り過ぎか。
でも気になる。迷ったが、誘惑に勝てなかった。画像をシステムに読み込ませる。ボタンをクリック。
3.5
偏差値に変換する。58。
今より6ポイントも高い。北村先輩の57を上回っている。
もう一度、30歳の写真を見る。確かに若い。肌にハリがある。目の下のクマもない。
5年前なら……
淡い希望が湧いてくる。5年前の私なら、北村先輩と釣り合うレベルだった。それも、自分がちょっと上。
風呂に湯を張る。湯船に浸かると、冷静になっていく。
……過去の自分を持ち出しても意味がない。北村先輩が見ているのは35歳の私だ。30歳の写真と比較したところで、時間は戻らない。
風呂から上がって、鏡を見る。濡れた髪を上げて、顔をまじまじと観察する。
目尻に細かいシワがある。それに、なんとなく目尻が下がってきた気がする。5年前にはなかったもの。でも、そんなに変わったかな?写真と見比べてみる。
確かに違う。でも、劇的な違いじゃない。少しずつ、少しずつ、時間が刻まれていく。そして、この時間は二度と取り戻せない。
この頃の私は北村先輩を知らなかった。恋をすることもなかった。ただ仕事をして、たまに友達と飲んで、それなりに楽しく過ごしていた。
ドライヤーで髪を乾かしながら、考える。
北村先輩は37歳で57。でも人の顔を見るときって、無意識にその年代での相対評価をしているのかもしれない。30歳の北村先輩なら……65くらい?この数字なら、納得できる。
――年齢を入力したら、補正してくれる機能でも作ろうか。
そんなバカなことを考えている自分が、少し可笑しくて、少し悲しかった。
――谷口さんは31歳で67。私は30歳でも58。
この差は、年齢だけじゃない。
髪を乾かし終えて、ベッドに入る。今夜は眠れるだろうか。
目を閉じる。
明日はまた定例会議がある。北村先輩と谷口さんに会う。37歳の57、31歳の67、35歳の52が、同じテーブルを囲む。
――私たちが数字になってしまった。




