月曜日の朝
朝起きたら、顔が数字になっていた。
月曜の朝。鏡の前に立つ。BBクリームを伸ばす。私のメイクはいつも決まっている。BBクリームと眉尻、そして頬にクリームカラー。最短で"顔"ができあがる、手抜きの習慣。でも、いつもと同じメイクなのに、鏡に映る顔の見え方が違う。
もう、この顔が「3.1」にしか見えない。
眉尻を書き足しながら、金曜日のことを思い出す。
定時後の勉強会は「顔認識技術の基礎と応用」がテーマだった。スマホのロック画面、空港での本人確認、年齢推定、感情分析。発表者の吉川くんが説明を続ける中、私は前の方に座っている北村先輩の横顔ばかり見ていた。
ふと、吉川くんと目が合う。慌てて資料に目を落とす。
その後の飲み会。北村先輩の隣には、自然に谷口さんが座っていた。谷口優奈。誰もが認める美人。完璧な肌、大きな瞳、整った鼻筋。
「谷口さんって本当に美人だよね」
誰かがそう言った時、北村先輩は少し照れたような顔で「まあ、そうだね」と答えた。その瞬間の彼の表情が、今でも胸に刺さっている。
私は笑顔で相槌を打っていた。でも、ビールが急に苦く感じた。
お開きになった時、北村先輩と谷口さんが同時に立ち上がった。同じ方向だと言って、二人は一緒に帰っていった。最近、よくあることだ。
谷口さんが美人なのは間違いない。でも、谷口さんと私の差はどのくらいあるんだろう。
私はずっと、自分の顔がどのレベルなのか分からずにいた。鏡を見ても、その日の気分で違って見える。悪くないとは思ってた。というか、悪いとは思いたくはなかった。でも、谷口さんみたいに飛び抜けて優れてるってこともない。
人に聞いたところで意味がない。本音がどうであれ、聞けば褒めてはくれるだろう。私だってそうする。だから、ホントのところは分からない。だから「まあまあ」「そこそこ」だと思うことにしていた。
でも、機械なら違う。勉強会で聞いた顔認識。この技術の応用で美人度を出すアプリがあるって言ってた。検索すると、実際にいくつも見つかった。顔写真をアップロードすれば、AIが評価してくれる。
でも、利用規約を見て手が止まった。知らない会社のサーバーに自分の顔を送るのは抵抗がある。それに、こういうアプリは利用者を傷つけないように、甘めの点数を出すようになってるんじゃないか。お世辞みたいな数字じゃ意味がない。
勉強会で言っていた。プログラムの「部品」は公開されている。それを組み合わせれば、顔認識は思ったほど難しくないと。
週末は、システム構築に没頭した。
プログラムを書くのは何年ぶりだろうか。顔写真を送らず、お世辞でない評価をするにはこうするしかない。公開されている部品を組み合わせる。でも、うまく繋がらない。バージョンが合わなかったり、データの形式が違っていたり。まるでジグソーパズルのピースが微妙に合わないような感じ。エラーメッセージと格闘しながら、一つずつ問題を解決していく。
本人確認の機能は土曜夜にやっと動いた。私である「確率96.5%」と数字が出たのを確認できたところで、その日は終わった。疲れたが、久しぶりの充実感だった。
そして日曜は「データセット」の組み込み。これが評価の鍵になる。
仕組みはこうだった。本人確認なら、本人の画像がデータだ。調べたい写真がデータとどれだけ似ているかを比較する。
この本人確認を応用すると男女の判定ができる。たくさんの男性の顔写真と、たくさんの女性の顔写真がデータになる。それぞれの特徴をAIに覚えさせて、調べたい写真が男性に近いか女性に近いかを比較する。
美人度も同じような仕組みだった。用意するデータは「この人は5点」「この人は3点」「この人は1点」という具合に、点数がついた大量の顔写真。これを覚えさせることで、調べたい写真の「美人度」を評価できるようになる。
ネットで検索すると、研究用に公開されているデータセットを見つけた。海外の大学が作ったもので、数千枚の顔写真が含まれている。それぞれの写真には、複数の人がつけた点数の平均値が記録されている。
複数の人の平均なら、ある程度は客観的なはずだ。そう思いながら、ダウンロードして設定を進めた。
日曜の午後11時。ついにシステムが完成した。
Webカメラを覗き込んで、ボタンをクリック。
3.1
5点満点で、3.1点。
しばらく画面を見つめていた。良くも悪くもない。まさに「普通」という数字だった。正直、もうちょっと良い点じゃないかとも期待していた。少し残念だけど、悪くはないとも思えた。やっぱり「まあまあ」「そこそこ」だったということか。
――いや、これは少し疲れた顔だ。化粧もしていない。
そう思い直して、少し顎を引く。3.2。横を向いてみる。3.0。……角度を変えても大して変わらない。
夜遅くまで、色々な写真を読み込ませてみた。証明写真は3.3。免許証の写真は2.9。2点台……。まあでも3点前後だ。5段階でいえば、真ん中の3。角度やメイクが違っても、私である以上、数字は大きく変わらないんだ。
――今朝の私も、きっと変わらない。
クリームカラーを指で頬に軽くのせ、口紅代わりに直塗り。もう一度鏡を見る。
仕事用の今の顔。3.2くらいだろうか。金曜日の朝と同じはずなのに、今朝の顔には数字がついている。
通勤バッグを手に取る。これから会社に行く。北村先輩にも会う。谷口さんにも会う。でも、もう金曜日とは何かが違う。
谷口さんは何点なんだろう。
そんなことを考えている自分に気づいて、小さくため息をついた。私は、余計なものを作ってしまったのかもしれない。
――そのせいで、顔が数字になってしまった。
玄関のドアを開ける。朝の空気が、頬に冷たい。




