魔術師vs魔術師③
澄子の拳は空を切った。
そこにいたはずの少年はいなかった。
「は?」
消えた?どこに?どうやって?なんで?
まさか……本当に固有魔術を使ったの?!
絡まった思考は体を一瞬停止させるのには十分すぎた。
「こっちだぜ」
背後から聞こえたのはさっきまで見下ろしていた、あの声だった。
風の及ばない魔術の中心、澄子が振りむいた瞬間、少年は拳を振り抜いていた。
なんとか腕を盾にしたものの、鈍い衝撃が全身を走った。澄子はかなり遠くまで吹き飛ばされる。
まずい!!風の魔術が切れた。
魔術関数は魔力を流し続けている限りは消えない。しかし、それには集中を要する。澄子が受けた物理的な衝撃はその集中を断ち切るには十分すぎた。
まだ、ここから立て直して……
そう思って目の前を見た瞬間、眼前にはすでに彼の姿があった。
……なんで?早すぎるでしょ?
「木花……」
やば……
「哀切、玉の緒……」
直後、腹部に鈍痛が走った。
……ブラフ?!
自身の詠唱が終わる前に少年はその拳を振り抜いていた。
商店のシャッターに激突して、無機質な音が聴覚を一瞬支配した。
痛い。吐きそう。
ほんの少し筋肉を動かすだけで、全身に痛みが回った。軽く脳震盪を起こしているのか、自分の足がぼやけていた。
「あんた、本当に俺が固有魔術を使わないとおもったのか」
「……当たり……前でしょ。普通の魔術師なら……」
口を動かしただけでも全身から悲鳴が聞こえた。胃液が上に上がってきそうだった。
「そうか。そりゃ想像力不足だな」
こちらを見下している彼の方を見る。
両目が赤く変色している。
「魔眼持ち……だったの?……」
「そう言うこと」
魔眼。それは魔術関数が宿る希少な眼だ。
原則、人間は脳に一つ魔術関数が存在する。しかし、まれに眼にも魔術関数が存在する特異体質の人間がいる。
彼は両目が魔眼だから、ノーモーションで使用できる固有魔術を三つ持っているのと変わらない。
そのうちの一つくらい情報が割れたところで、痛くもないと言うことなんだろう。
「立場が一気に逆転したな」
「……そうね」
「とはいえ、二級魔術を使われた時は流石に焦ったな。まさか使えるなんて思ってなかったし……」
ああ……くそ。
彼は背を向けて、柄の悪い男に体を向けた。腰を抜かして動けないのか、無様な声ばかりが耳に入った。
そうだ。無様だ……
「回り道しすぎたな」
どれだけ早く詠唱ができても、二級魔術が使えても、一級魔術が使えても、『それ』がなきゃ意味がない。
コツコツと言う足音がだんだん遠のいていった。
詠唱が遅くても、三級魔術しか使えなくても、『それ』があれば、『それ』さえあれば意味になるんだ。
負けて、倒れ込む人間が一人、ポツリと残された。
才能。
全身が熱を帯びた。目がじんわりとした。火傷しそうだった。
くそったれ。
立ち上がる気力なんかとっくの昔に捨てたでしょ?どうでもいいんだって、適当にやればいいんだって決めたんでしょ?。心だけは一丁前にまだ人間のふりしやがって。
雨は降っていないのに、水滴が落ちた。一滴、また一滴。もう一滴。
たった一言に、その一言に、まだ打ち負かされなきゃいけないの?
少年の足音が一瞬やむ。振り返って、こちらを見た。
「そういえばさ、最後、なんで固有魔術を使おうとしなかったんだ?使えば防げただろ?」
その声は単純に疑問しか含んでいなかった。他意なんかなかった。きっと知らないんだ。それが逆に辛かった。いっそのこと蔑んでくれたら、馬鹿にしてくれたら、私も嗤えたのに。
返事はしなかった。今声を聞かれたくなかった。
顔を見られないように下を向いた。いや、よく考えたら今までもずっとそうだったか。
そして、これからもきっとそうだ。
急に足音が増えた。革靴のコツコツと言う音が、虫の大群のように聞こえた。
目だけを向けると、黒のローブに、白い装飾の人間が何人もいて、周りを囲んでいた。
装飾を見る限り、少なくとも全員二級魔術師のようだった。
「瀬川冬哉三級魔術師、一般人への魔術の行使で逮捕する」
かしゃり、と手錠のはめられる音がした。
きっと誰かが通報したんだろう。
「ちょっと待てよ、ふっかけてきたのはあのおっさんだぜ?!なんで俺が……」
少年の声は段々と遠くに行き、やがて聞こえなくなった。
『そういえばさ、最後、なんで固有魔術を使おうとしなかったんだ?使えば防げただろ?』
その言葉が頭の中をぐるぐると回った。
「もし『使える』なら……ちゃんと使ってたよ……」
こぼれ落ちた声は、雨でびしょ濡れだった。