諦める理由
夜勤明けなのかぐったりとした魔術師。テキパキと仕事をする事務方の人間。備え付けのカフェには様々な人がいた。
「はいこれ」
テーブル席の対面で司郎は紙を一枚手渡す。
「……中級昇格試験……?」
「そ、澄子も魔術師なって一年は経つんだし、もうそろそろ出てもいいでしょ」
司郎は頼んだコーヒーを手に取って、口に運んだ。
彼のローブの袖は三本の白線で装飾されていて、澄子のものより二本多い。
これは司郎が魔術師のなかでもエリートである上級魔術師であることを示していた。
「いいんですか、私なんかが出て?」
「いいも何も、実力があると思ってるからその紙を渡したつもりなんだが」
「……」
中級魔術師。紙に書かれたその言葉をぼんやりと眺める。
「おい、澄子聞いてるか?」
我に帰り、司郎の方へ顔を向け直した。
「っえ……すいません、全然聞いてませんでした」
司郎は若干目を細めた。
「受ける受けないは自由だ。受けたければ期日までにその紙に名前書いて出してくれ」
「……わかりました」
澄子はまた机の上の書類に視線を落とす。
「不安か?」
「え?」
「いつもは怠そうな顔なのに、やけに考え込んだ顔してるぞ」
司郎の口ぶりは柔らかかった。
「そう見えます?」
「見えるとも。一年師匠をやってれば、弟子のことは大体わかる」
「……不安っていうか……中級魔術師になったところで、意味ありますかね?」
「中級になれば、澄子の目標にも繋がるだろ?」
「……そう……ですね」
目標、といってもそれはきっと叶わない。自分の手には余る、分不相応な夢。
そんなものをずっと抱えていたって苦しいだけだ。
そんなものをずっと追っていたって意味はない。むしろ恥ずかしい。
「じゃ、そろそろ俺は行くわ」
深くなっていく思考は司郎の声で遮られた。
「今日仕事は?」
「巡回です」
「そうか、頑張れよ」
司郎は微笑んでその場を後にする。
残された澄子は再度視線を落とす。
中級魔術師。なったところでどうなるんだ?目標に近づく?どうせ叶わない夢に近づくもなにもないでしょ?
なんだか……めんどくさい。
「あなた、まだ魔術師やってたんだ」
突然、対面の席に誰かが勢いよく座り、行き先のない思考は速度を失った。
目の前には、口角をイヤというほどつり上げた自信に満ちた表情を持つ同年代の女子がいた。
「まだやってるよ。で、なにか用?春香」
小森春香。澄子と同じ時期に組合に入った同期だった。
「才能のなさに絶望してそうな澄子を慰めてあげようと思って」
こんな感じの子だから、正直苦手だ。
「あいにく、慰められるほど絶望はしてないかな」
指遊びをしながら、何の変哲もない机の表面に目線をさっと向けた。
「あ、中級昇格試験の志願書じゃない。あなたも受けるの?」
顔は見ていない。でも、声色だけで春香の表情を簡単に思い描けた。
「さぁ、まだ決めてないかな」
「やめときなさいよ。向いてないんだから」
やけに明るい口調で彼女は言った。
組み直したり、左右の上下を変えてみたり、意味のない動きをする指を澄子はただ見つめていた。
魔術師に向いていない。それは疑い様のない事実だ。
才能。
その言葉が重要視されるこの世界で、それを致命的なほど持ち合わせなかった。
事実は変えられない。
どうにもならないものを、どうにかしようとするなんてバカがやることだ。
だから何もしたくない。中級魔術師とか、目標とか、もう全部面倒くさい。
適当に起きて、適当に生活して、適当に寝る。
それでいいでしょ。
「……」
「黙りこくって、どうしたのよ。何かいいなさいよ」
春香の言うことが間違ってないってことは、よくわかってる。
澄子は立ち上がる。さっさと巡回の仕事を始めようと思い、出口の方へ向かう。
「ちょっと……」
「春香の言ってること、何も間違ってないよ」
背中越しに言った。
そう。何も間違っていない。
間違ってない。
間違ってない。
外に出ると、街は活動的になっていた。
信号待ちをしていると、交差点の向こう側に女子高生がいた。
中学校を卒業して、魔術師になることを選んで、早一年。
諦める理由なんていっぱいある。
つまずいて、立ち上がらない理由なんてすぐに思いつける。
別の選択肢だって、まだ選べる。
なんでまだ魔術師をやっているんだろう。
青信号になった。周囲の人は携帯から目を離し、前を向いて歩き出していた。
そんな中でたった一人、前に進もうとしない両足をぼんやり眺めていた。