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第9話 畑の噂と耳長の来訪

 朝靄が薪小屋の尖塔をぼんやりと縁取るころ、俺、茶川龍介は、いつものように庭先の石窯でジャガイモを蒸し焼きにしていた。森の奥深くにぽつんと建つログハウス。その背後には、文字どおり、“筆一本で”爆速成長するチート畑が広がる。そこは、まるで魔法にかけられたかのように、瑞々しい緑の波を揺らしている。毎朝、ペンを走らせ、種を植え、収穫し、そして味わう。これぞ俺の生き様だ。

 

「リュウ、今日のはチーズのっけると? それともバター?」

 

 ルナが髪を結い直しながらしゃがみ込み、皿の上のじゃがバターを覗き込む。彼女の猫耳がぴこんと揺れるのが見える。

 

「今日は“追いチーズ追いバターW乗せ”っていう、芋の暴力コンボだ」

 

 俺は誇らしげに腕を振るう。石窯から取り出したばかりのホクホクのジャガイモに、バターの塊と、とろけるチーズを惜しみなく乗せる。バターとチーズが熱でとろりと絡み合い、湯気の中に甘い乳香がふわりと漂った。

 

「完全にヤバい食い物やん……」

 

 ルナは呆れた顔をしつつも、がっつりと一切れかぶりついた。口いっぱいに広がるのは、まず濃厚なバターの香り。それに遅れて、こってりとしたチーズの激しい主張が舌の上を追走してくる。

 

「うまぁ、なんこれ、なんこれ、うますぎたい!」

 

 しかし、味を反芻するのも束の間、いつもと変わらないはずの森の朝は、一瞬にしてその活気を凍りつかせた。

 

「……む? 何者かの気配がする……小さい、だが魔力濃度は高いばい……」

 

 ルナがぴくりと耳を立て、警戒するように視線を森の奥へと向けた。その表情は、先ほどの満面の笑みとは打って変わって真剣そのものだ。

 

 その視線の先、道幅二歩ほどの林間の小径を、ぽてぽてと小さな影が歩いて来た。月明かりに映える純白のローブ。その裾は静かに揺れ、夜露を含んだ銀の髪が宝石のようにキラキラと光を反射していた。その光景は、あまりにも現実離れしていて、俺は思わず息を呑んだ。

 

「ちっこい……それに、耳が、長い?」

 

 ルナの目が一瞬、大きく見開かれた。彼女の視線は、目の前の小さな影の耳に釘付けになっている。

 

 少女は一切のためらいもなく、まるで自分の家であるかのように、まっすぐにログハウスの中へと入ってきた。その堂々とした振る舞いに、俺たちはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

「そなたが……“筆で畑を創る男”か?」

 

 その声は、高く澄み切っていながらも、幼い見た目からは想像もできないほどの揺るがぬ意志を滲ませていた。

 

「……え? はい、俺ですが……」

 

 思わず俺はフォークを持つ手を止め、少女を見返す。状況が理解できず、頭の中が真っ白になる。

 

「ほう……見た目は凡庸だが、匂いは悪くないな。魔力に満ちた空間といい、この畑……間違いあるまい。噂に違わぬ場所だ」

 

 少女の声が響き渡り、俺の隣で魔導書を抱えたまま眠っていたエルドが、反射的に飛び起きた。彼はまだ寝ぼけているのか、目をこすりながら少女の方を向く。

 

「ま、まさか……このフォルム、耳の角度、ローブの刺繍……!!」

 

 エルドの目がひときわ輝き、なぜか鼻息まで荒くなる。その顔は、まるで宝物を見つけた子供のようだ。

 

「伝説級ロリエルフ! 理想の神童!!! この身、喜んで捧げますううううう!」

 

 その大声に、俺とルナは思わずフリーズした。エルドはまるで弾かれたように彼女に駆け寄り、その勢いのまま芝生に豪快に倒れ込んだ。

 

「落ち着けえええええ!!」

 

 俺はエルドの首根っこを捕まえて後ろへ引っ張った。必死に抵抗するエルドを抱え、冷や汗をかく。

 

 少女は微動だにせず、まるで目の前で繰り広げられる奇妙な劇でも眺めるかのように、俺たちを静かに見下ろしていた。その表情は一切変わらない。

 

「我が名はティア・リュミエール。エルフの森より来たる者。年齢、二百三歳」

 

「に、二百三歳!? 見た目、完全に九歳くらいなんですけど……!?」

 

 ルナの口がぽかんと開いたまま塞がらない。俺の脳内も、その事実に完全にフリーズしていた。どう見ても子供にしか見えない少女が、二〇〇歳を超えているという事実に、俺たちは言葉を失う。

 

 ティアは静かに頷き、ちらりと森を見渡してから再び俺たちを見据える。その視線には、深い憂いが宿っているように見えた。

 

「畑の噂は、エルフの森にも届いている。『筆で耕し、書いたとおりに作物を実らせる男』がいると」

 

「……ま、だいたい合ってるな。正確には、筆で畑そのものを耕すことはできないけどな。それにしても、随分と広く、そして少し尾ひれがついて伝わっているものだ」

 

 俺は苦笑しながら、思わず首をすくめた。すると、ティアの表情が、先ほどまでの凛としたものから一瞬だけ陰った。

 

「……我らの森は今、食料に窮している。かつて豊穣を授けていた森の加護が、突如として失われたのだ」

 

 ルナが身を乗り出す。その表情は、真剣そのものだ。

 

「加護……? 世界樹の力が消えたってこと?」

 

 ティアの目に、痛みと焦燥が交錯する。その小さな身体から、森を案じる重い感情が伝わってくるようだった。

 

「我らが守りし世界樹は、今、病に侵されている。力の源を失い始めているのだ」

 

 ティアの言葉の重みが、まるで森の風さえも止めてしまうかのように、その場に重くのしかかった。

 

「力を失えば、エルフの森は干上がり、飢餓に沈む。……滅びる」

 

 沈黙の後、ティアはわずかに一礼した。その仕草は、少女の小さな身体を超えたほどに大きく、そして切実な願いが込められていた。

 

「筆の持ち主よ……そなたの力を、我らの森へ貸してほしい」

 

 俺は一瞬黙考した。俺の力が、本当にエルフの森を救えるのか? その答えはまだ見えない。だが、目の前の少女の必死な瞳は、俺の心を突き動かした。

 

「……わかった。森を案内してくれ。書いて、育てるために」

 

 俺の言葉に、ルナが隣で小さく笑った。エルドは鼻をすすりながら、ティアの膝元にそっと手を伸ばしていた。その目は、まだティアに夢中になっている。

 

「旅支度を……ティア様と同伴なんて、夢みたいです……」

 

「ルナ、このまま放っておいていいか?」

 

「賛成ばい! あ、でも、旅支度はちゃんとしてね、エルドくん!」

 

 こうして、耳長の少女ティアと“筆一本で食う”物書き、そのパートナーの猫耳、そして騒がしい魔法学者を加えた、世界樹の異変を巡る、新たな物語が幕を開けたのだった。

 

 木漏れ日さえ遠く感じられる、重苦しい静寂。

 ログハウスから北の方角へ、ティアの案内を元に進んでいった。俺は執筆の能力で4人の周りを大きく囲む結界を張っているので、獣に出くわすこともなかった。しかし、森の奥へ進むにつれて、空気の匂いや肌で感じる温度が変化していくのを感じる。

 

 やがて、森の景色は明らかにその様相を変え始めた。草の葉はか細く震えるばかりで、生き生きとした緑は失われ、枝はまるで病にかかったかのように黒ずみ、土は深くひび割れている。まるで森が息をひそめ、痛みを隠しているかのようだった。

 

「ここが……エルフの森か……」

 

 リュウはゆっくりと足を進め、変わり果てた森の深い佇まいを、その目に焼き付けるように眺めた。ルナとエルドは背後で身構え、万一の戦いにも備えて緊張の面持ちだ。この異様な静けさの中に、何か潜んでいるのではないかと警戒しているようだ。

 

「精霊の気配が薄い……まるで、誰かが息を殺しているみたいだ」

 

 ルナが小声で呟く。風のささやきが、いつもの優しい囁きではなく、どこか遠い記憶を呼び覚ます不思議な音色に変わっていた。その音は、森の痛みを代弁しているかのようだ。

 

「この辺り、本来なら昼でも光が差すほど明るいはずなのですが……精霊が森を隠しているようです」

 

 ティアが空を仰ぎ、悲しげに呟く。

 案内役のティアは言葉少なに、先頭を歩いている。背筋は伸び、小柄な身体からは想像できないほど凛とした気配を漂わせる。彼女の覚悟が、その小さな背中から伝わってくるようだった。

 

 やがて4人の視界が開け、森の中心、広大な空間の中央に、巨大な樹がそびえていた。

 

「……で、でけぇ……!」

 

 リュウは息を呑む。この木なんの木、気になる木のあの木よりも、圧倒的にでかい。根元から天を衝くかのような大幹は、幾重もの年月を刻んできた証だ。だが、その樹皮は暗く焦げ付き、わずかに残った葉は黄ばんでしおれている。その姿は、まるで今にも朽ち果てようとしている巨人のようだった。

 

「これが……“病んだ世界樹”か」

 

 リュウが静かに近づき、根元に手を触れる。樹皮はまるで生きているかのように熱を帯びて脈打ち、その傷口からは、ほのかな苦みを含んだ、得体のしれない香りが立ち上っていた。

 

 その瞬間、風と違う、低い、それでいてどこか耳にまとわりつくような、うねりを帯びた音が響いた。

 

 ざああ……ざああ……

 

 それは、まるで誰かの囁きにも、あるいは遥か昔の記憶の残響にも似ていて、言葉にはならない“想い”の波が、森じゅうを重く満たしているようだった。

 

「……声が、する。いや、言葉じゃない……これは、想いの波動、か……」

 

 リュウの呟きに、ルナもエルドも、その意味を噛みしめるように息を呑んだ。彼らの顔にも、同じように困惑の色が浮かんでいる。

 

 ティアはそっと手を添え、樹を仰ぐ。その表情は、世界樹への深い愛情と、どうすることもできない無力感が入り混じっていた。

 

「世界樹は古より、“想い”を糧にして命を繋いできました。人と精霊の祈り、自然への感謝、生の喜び、そうした気持ちを集め、幹の一滴一滴に刻み込んできたのです」

 

「でも、それが……消えた、と?」

 

 ルナが問い返す。ティアの瞳に、一瞬だけ影が差した。その瞳の奥には、拭いきれない後悔の色が見えた。

 

「……我らエルフも、長き平和の中で“守られること”に慣れてしまった。誰かを想い、言葉にすることを忘れ、祈りを止めてしまったのです」

 

 重苦しい沈黙が続いた後、リュウは真っ直ぐにティアを見据えた。彼の目には、強い光が宿っていた。

 

「……わかった。俺が書く。ここで感じたことを、言葉にして届けよう」

 

 ルナが優しく頷き、エルドは慎重に魔導具を点検する。彼らもまた、リュウの決意を受け止め、それぞれの形で世界樹を救う手助けをしようとしていた。

 

「だがこれは……世界規模の“祈りの物語”だ。これほど壮大な物語を書き始めれば、俺の魔力を、とんでもなく大量に消費する気がする……」

 

 リュウの言葉に、ルナは心配そうな顔を一瞬見せたものの、すぐに笑顔を浮かべる。

 

「何度でも言うばい。リュウなら、できるけん」

 

 ティアが小さく頷き、その小柄な肩にかすかな光が宿った。それは、希望の光のようだった。

 

「ならば」

 

 リュウは、まるで決意を固めるかのように深呼吸し、エルド特製の超魔導紙を開いた。そのペン先は、まるで世界樹の鼓動に呼応するかのように、かすかに震えている。

 

《世界樹よ、聴け。人々の想いは消えてなどいない。静かに紡がれた“物語”が、再びこの幹に命を灯すであろう》

 

 だが、この時のリュウは、そして誰もが、まだ理解していなかった。彼がきちんと段取りをして進めようとした計画が、想像を遥かに超え、どこまでも予想外の方向へとねじ曲がっていくことを。そして、この森が、世界樹が本当に求めていたのは、彼の筆先の力だけではなく、この物語に関わる書き手を始めとした、一人一人の“覚悟”そのものだったのだと。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

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