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第七十二話 真実の味、再び! 味噌玉、香りと共に帰還す!

 夜明け前の淡い群青色が、まだ眠る王都の屋根をそっと撫でていた。やがて地平線から薄紅色の光が差し込むと、筆の家王都支店の前には開店前にもかかわらず長い行列ができていた。陽が昇る前のひんやりとした空気を、期待に胸を膨らませた「味噌玉難民」たちの興奮が温めている。


「おーい! 本物の味噌玉ってこっちだよな!?」

「俺の胃袋が三日間、さびしさで泣いてたんだ! 早く売ってくれ!」

「閉まってる間に代用品買って大後悔したんだよ……!」


 繰り返される切実な声に、通りを埋め尽くした人波はますます熱気を帯びる。鼻先をくすぐるのは、厨房亭から漏れてくる湯気に乗った、ほんのり甘くも香ばしい大豆の香り。まるで彼らの願いが空気の中でふくらみ、目に見えるかのようだった。


 店内では、フィナが引きつり笑いを浮かべながらも必死にカウンター越しに応対する。


「……うわ、こんなに待ってるなんて……!」

 一方のモモはまるで自分の人気アイドルのコンサート開場前のようにはしゃいでいる。


「フィナ! これ、“おかわり地獄”再来のやつだよ!」

「うれしいけど……嬉しすぎて笑えないやつ!」


 厨房の奥では、リュウが大きく一呼吸してから掛け声をかけた。


「よし、行くぞみんな! 本物の味噌玉、いざ再起動!」


 その声に合わせて、筆の家王都支店と厨房亭のスタッフ全員が一斉に動き出す。行列の先頭から順に、熱々の味噌玉を手渡ししていく。手渡ししながらも、モモは小さな声で「温かいうちにどうぞ」と囁き、フィナは湯気を吹き飛ばしながら「スープもつけますね!」と笑顔を向ける。


 そして特設カウンターでは、ルナとミランダが大型の鍋から味噌汁を注いで即席の「味噌汁サービス」を開始。白い湯気が立ち上り、行列の隙間からもれるその香りに、待ちわびた客たちの目が潤んで見えた。


「……ああ……これだ……この香りだ……!」

「鼻で幸福を感じるなんて初めてかもしれん……」

「もう俺、浮気しないって決めたよ……筆の家一筋で生きる……」


 厨房の隅ではエルドがにやにやと客の反応を観察していた。淡いランタンの光に照らされ、彼の瞳はまるで夜空に輝く星のようだ。


「いいねいいね~、この“崇拝の空気”、嫌いじゃないよ……! まるで女神に跪くかのように味噌を啜る民衆……!」


 リュウが思わず吹き出しそうになると、ルナが一喝した。


「ちょっと黙っといてエルド」

「えっ……ごめんなさい?」


 笑いをこらえながら、リュウは自分用の器に湯気立つ味噌汁を注いだ。箸先で味噌玉をくずし、赤みがかったスープとともにひと口すくう。体中にじんわりと染み渡る温かさと、しっかりとした大豆の旨み。長い旅の疲れが、一瞬で吹き飛ぶようだった。


「味噌玉一つでこんなにも騒がれるとはな……」

「でも、それだけリュウの味噌玉がみんなの支えになっとるってことたい」


 ルナが優しく頷く。隣でモモが山のように積まれた配膳皿を前に叫んだ。


「リュウさーん! さっきの人が“こっちも湯だけくれ”って言ってるよ! それと急いで味噌玉増産お願いしまーす!」


 その声にリュウは一瞬目を白黒させたが、すぐに笑顔で応えた。


「えぇえええ!? やっぱ俺、スローライフしたい……!」

「無理でーす!」


 厨房の奥からは全員の笑い声がこだまする。


 ◆◆◆


 その日、筆の家王都支店と厨房亭はかつてないほどの注文に沸き、かつてない量の汗を流し、そして何より、かつてないくらい多くの「ありがとう」を受け取った。


「この味噌汁で、また旅に戻れます」

「この店が戻ってくれて、本当によかった」


 見送りの客たちが口々に紡いだ言葉は、リュウの胸にぽつぽつと雨粒のように落ちていき、心をじんわりと温めた。


「……ああもう、こんなこと言われたらさ。やるしかないじゃん……!」


 リュウは立ち上がり、次の構想を思い描いた。


「“味噌玉・冬仕様”いってみっか! 生姜たっぷり、身体ぽっかぽかのやつ!」


 その言葉に、ルナとモモは弾けるような笑顔で応じる。


「ちょっと! 仕込み間に合ってないってば!? うれしい悲鳴ーっ!」


 こうして筆の家は再び、王都にとってなくてはならない存在へと返り咲いた。しかし、リュウの目にはまだ遠く光る野望が映っている。彼のスローライフは、今日もまた、どこかで道に迷っているのだった。

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