第六十五話 筆の家、味噌帝国になる
いつもながら涼しい顔をした内大臣が、筆の家王都支店の奥へやってくる。
麦茶をすすりながら、リュウは内大臣の涼しい声を背中で受け止めた。
「リュウ様、王宮より通達です」
「なになに? まさか……まさか……」
「的中です。“筆の家特製味噌玉”、王宮軍備局の半永久保存食として正式採用の希望が出ております」
リュウの胸に悪寒が走る。
「来たーーー!! いや、来なくてよかったーーー!!!」
内大臣は淡々と続けた。
「初期納品数、千個からスタート。その後の試食次第で万単位の発注が見込まれます」
「万て!!? 俺、筆で書いてるだけの一般市民だよ!? 味噌屋じゃないの!!?」
リュウは厨房の壁に額を打ちつけ、脱力した。
◆◆◆
その数分後、筆の家本拠ログハウスでは
「で、執筆で味噌樽千個を生成したら、庭が樽だらけになりました」
「馬鹿やろうリュウ!! 景観が! 景観があああっ!!」
「書き終えた反動で視界がグルグルしてるんだけど……俺、もう二度と筆持てない気がする……」
「おい、まさかここから逃げる気か?」
「ちょっとマジで引きこもりてぇ……ハンモック返して……」
ルナが味噌玉を箸でつつきながら怒鳴る。
「許さんけんね!? 味噌玉は私が考案したって噂まで出とるとよ! 今さら逃げられんばい!」
その横でマオが湯呑みを構え、王族らしく静かにうなずいた。
「ふむ……この“味噌”なるもの、非常に深い……味の次元が異なる……!」
「違うのよ、マオ君。それは“発酵”っていう人類の叡智なの!」
「うるさい、エルドは味噌の沼に浸かってろ!」
フィナとモモは在庫管理とラッピングに追われ手いっぱい。
「ラミナ、こっちに“夜戦用辛口味噌玉”を補充して!」
「セリス姉、“お子様味噌玉”も足りないです!」
筆の家は今、かつてない“発酵戦争”の最前線にいた。
◆◆◆
そして数日後。
「……気づけば、味噌の覇権を握っていた」
ログハウスのハンモックに沈み込み、リュウは天を仰いでつぶやく。
王都中のギルド、軍、貴族、料理人。
あらゆる階層が「健康・美味・腹持ち良し」の三拍子を揃えた万能食“味噌玉”を手放せなくなっていた。
「いや、もう俺、引きこもっていい? 本当にいい?」
手には湯気立つ味噌汁入りの湯呑み。
そして庭には、新たな味噌玉専用倉庫が堂々竣工していた。もちろん、リュウの執筆で。