第64話 熱燗、その名は心の灯火
ある晴れた冬の昼下がり。
酒蔵の中、大樽のひとつが静かに開封された。
「……いい発酵音たい」
ミランダが耳を澄ませながらうなずいた。
リュウは慎重に、小さな柄杓で“もろみ”をすくい、布で漉していく。
その液体は、透き通った淡い金色。
かすかに立ちのぼる香りは、米の甘みと麹の優しさ、そして……微かなアルコールの尖り。
「いよいよ、異世界初の“日本酒”か……!」
「しかも贅沢にも“ササニシキ”やけんね」
試験的に搾られた酒は、瓶に移され厨房亭の一角へと運ばれる。
その横ではティアが「木の杯の方が雰囲気が出ます」と、ヒノキのぐい呑みを人数分用意していた。
「でも、これそのまま飲むより……温めたほうがいいんよね?」
ミランダが小鍋に移し、ゆっくりと湯せんを始める。
「そう、“熱燗”ってやつだ。酒の味が柔らかくなって、体の芯から温まるんだ」
「うち、飲んで大丈夫かいな……?」
「心配すんなルナ。おちょこ一杯だけな。おでんに合わせてちょびっと飲むのが通なんだよ」
しばらくして、ふわりと香ばしい香りが立ちのぼる。
リュウはそっと、おちょこを口元に近づけた。
「……くぅっ……っはぁぁ……!!」
胃の奥へすぅっと染み込むぬくもり。
寒気が体の外へ逃げていくような感覚。
それはまさに、“体の芯を灯す酒”。
「うわ……なんか、あったかい……けど、すーって気持ちいい……」
ルナも思わず耳をピコッと動かした。
「こっ、これは……悪くなか……うぅ、ほわってなるばい……」
ティアは呆れ顔をしながらも、唇を少し湿らせてひと口。
「これは……香りも優しいですし……食中酒にぴったりですね。やわらかくて、酔い心地も……いいです」
ミランダが、おでん鍋から取り出した大根をリュウに手渡す。
「さ、次はコレを一緒にいってみなさいな」
熱燗で喉を湿らせてからの、出汁しみしみ大根。
そしてもう一口、酒をすする。
「……うん。……もう、完璧すぎる。異世界おでんフルコンボだ」
「これ、厨房亭で出すとしたら……名前はどうするん?」
「そうだな……」
リュウは少し考え込んでから、にやりと笑った。
「“冬限定 おでん熱燗セット”……これで行こう」
その名の通り、セットはその夜から提供開始。
限定10食、即完売。
翌朝。筆の家王都支店。
「熱燗ってなんだ!?」「冬なのに酒が売り切れてる!?」「筆の家の陰謀か!?」
「熱燗ください!」「練り物に合う酒が出たって本当か!」
と、朝から人だかりができていた。
「……うわぁ、うちの冬、また働き詰めやん……」
「だが、ルナさん……体はあったかいだろ?」
「……まぁね」
異世界の冬に、“酒”という新たな文化が灯った夜だった。
◆◆◆
筆の家、王都支店。
朝の開店前にもかかわらず、店の前にはすでに列ができていた。
その理由はただひとつ。
「“おでん熱燗セット”! それ目当てで来たんだよ!」
「身体がぽかぽかするし、疲れも吹き飛ぶって噂だぜ!」
「前に飲んだじーさんが、あまりの旨さに泣いたらしい!」
リュウは湯気の立つ厨房の奥で、おちょこを片手に言った。
「やっべぇ、文化って、こうやってできるんだな……」
ミランダがいつものように眉をひそめた。
「呑気なこと言ってる場合じゃないよ。お酒、もうすぐ尽きるわよ?」
「ええぇっ!? まだ半月しか経ってないのに!?」
「売れすぎなのよ……まさか“米のジュース”って呼ばれて、子供まで欲しがってくるとは思わなかったけど」
「それはダメ! 法律で年齢制限つけよう!」
筆の家、裏の酒蔵。
樽が並ぶその蔵に、エルドが鼻息荒く飛び込んでくる。
「リュウく〜んっ! 量産体制、考えた! マジックスクロールを樽の内側に貼りまくる!」
「内側かよ!? 発酵爆発しない!?」
「だってもっと飲みたいじゃ〜ん!! 甘い系のも作りたいじゃ〜ん!」
「それは“甘酒計画”で別枠で考える!」
同日、王宮・謁見の間。
宰相ラグレスは、湯気の立つ盃を静かに傾け、香りを一口すする。
その隣には王もいた。
「……うむ。実に旨い。酒というのは、寒さを防ぐだけではない。心を結ぶものだな」
「はい。筆の家の文化は、すでに“戦略資源”といえる域に達しております」
「ラグレス、例の件……あの者たちに命じておけ」
「はっ、“清酒 陽炎”を正式に王室御用達とし、以後、軍や貴族への贈答品とします」
そして、その日。筆の家には王宮からの“黄金色の任命書”が届けられた。
『筆の家謹製 清酒 陽炎
本日をもって王室推薦酒と認定し、国事にも用いる』
その夜、ログハウスのテラス。
薪ストーブの前でリュウが熱燗をちびり。
その隣にはルナ、ティア、ミランダ、そしてマオまでもが小さな盃を手にしていた。
「これが……この世界の冬の味なのか」
「ほわっとして、優しさが喉を通ってくばい……」
「酒と文化は、表裏一体ですね……」
「なんか……あったかいのっていいよね……」
リュウはうなずいた。
「みんなで囲んで、あったかいものをちびちびやる。……これぞ、スローライフの極致!」
と、その瞬間。
「リュウくんっ! スイーツ開発したいんだけど、試作品食べてくれない〜!?」
エルドが皿を抱えて駆け込んでくる。
「スローライフ返せぇぇぇぇ!!」
冬空に響いたリュウの叫びは、雪の中でもあたたかく広がっていった。
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