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第63話 冷えた手に、あたたかな一杯を

 異世界、王都ルミアステラ。

 吐く息は白く、空気はキンと澄みきっている。

 筆の家・厨房亭は、そんな冬の寒さにもかかわらず、連日満席の大盛況だった。


「おでん、おかわりぃぃぃっ!!」

「たまご追加で! あと昆布っ!!」

「おい、誰だ! タコ串ぜんぶ食ったのは!!」


 リュウは厨房の隅で、一人ハンモックにくるまれていた。

 表情はどこか満足げ……しかし、ほんの少しだけ、虚無の風をまとっている。


「……やったよ。ついにこの世界に“おでん”を根付かせたよ……」


 ルナが湯気の立つ鍋を両手に、ふらりと現れた。


「やりきった感がえぐいけど、あんたまだ終わっとらんよ?」


「え?」


「みんな言っとった。『これに合う、あったかい飲み物が欲しか〜』って」


「……それ、まさか……」


 リュウの脳裏にひらめく、日本の冬の風景。


 おでん屋のカウンター。

 湯気が立ちこめる鉄鍋。

 そして、ふうと湯気を吹いてから飲む、白い陶器のおちょこ


「……熱燗かぁ……!」


「え、なんねそれ?」


「冬に飲む酒。日本じゃ、冷えた夜に飲む熱燗とおでんは最強コンビなんだよ!」


「酒ならこの世界にもあるばい、ほら、エールとか」


「いやいやいや! エールはぬるいし、泡ばっかじゃん。熱燗ってのは……こう、体の芯から温まる、魂に染み込むやつなの!」


「うち、酒はちょっと苦手やけど……あったかいのは気になるかも」


 リュウは立ち上がった。


「蒸留酒はハードルが高い。でも……日本酒ならいける!」


「にほんしゅ……? また聞き慣れん名前が」


「米から作るお酒だよ。発酵させるだけで出来る。こっちの世界でも、理屈は通用するはずだ!」


 その日の深夜。


 リュウはログハウスの一角にある製造ノートを開き、執筆の筆を走らせていた。


「米は、贅沢にササニシキ。水は……そうだ、湧き水を創ろう」


《ログハウス裏手の岩間に、透明で清らかな湧き水が湧き出る。ミネラルを多く含み、米と混ざることで柔らかく芳醇な香りを引き出す》


 スッとペンを置くと、地面がわずかに揺れ、すぐに外から小さなせせらぎの音が聞こえてきた。


「よし、水は確保!」


 次は米麹だ。

 ティアの知識を借りれば、菌の扱いも丁寧にできるだろう。


「あとは……マジックスクロールで熟成を加速すれば、最低限の時間で“試験酒”は作れる……!」


 そのとき、静かに扉が開き、ふわふわのナイトキャップをかぶったエルドが顔を出した。


「リュウく〜ん……女の子用ホットワインとかは〜?」


「エルド、今それじゃない」


「しょんぼり〜……でも日本酒ってあれでしょ? 醸すやつ。発酵ロマンスだよね!」


「なにその謎ジャンル」


 エルドはどこからか小瓶を取り出した。


「これ、ボクが研究で使ってた“酵母活性スクロール”。熟成に使えるよ?」


「……さすが、変態は変態でも有能変態だな」


「褒めてる!? それ褒めてる!?」


 リュウは満足そうに筆を置くと、空を見上げた。


「寒い冬。おでんがある。米もある。なら、次に必要なのは……」


 湯気の向こうに、ちびちびと飲むおちょこの幻が見えた気がした。


「……酒、だよな」


 異世界熱燗計画、始動!


 ◆◆◆

 

 翌朝、ログハウスの裏手。

 まだ陽が登りきらない時間、吐く息の白さが冬の厳しさを物語っていた。


「おお〜……すごっ」


 ルナが見上げた先には、淡く湯気を立てながら、岩間から静かに流れ出る“湧き水”。


 リュウの執筆によって創られたそれは、まるで自然から生まれた本物のようだった。

 透明で、澄みきっていて、手を入れるとちょっぴり冷たい。


「これが“酒造りの命”になるってわけかい」


 そう言いながら、後ろから現れたのはミランダ。すでにエプロン姿でやる気満々だ。


「この水なら、ササニシキの旨味をちゃんと引き出せそうね。次は、米の準備だっけ?」


「もちろん!」


 リュウはササニシキの入った米袋を手に、ガッと掲げた。


「“ササニシキ”、精米・蒸し・米麹化、そして仕込みだ!」


「なぁーんか、ややこしそうたい」


「説明しよう! 日本酒とは——」


「長くなりそうだから、簡潔に頼むばい」


【第一工程:精米と蒸し】


 ティアが手伝いに加わる。

 エルフの知識と森の精霊との親和性が高い彼女は、発酵や菌の扱いにも長けていた。


「この木樽に精米機能を持たせた“風の精霊の円盤”を付与してみました」

 小さなスクロールを貼りつけると、樽の中の米がふわりと舞い、余分な糠が落ちていく。


「すごい! 精米率、まさかの手動管理フリーかよ!」


 そのまま蒸し器にかけられたササニシキは、ふかふかに炊き上がり、艶やかな白さを放っていた。


【第二工程:麹菌の付着】


「さて、これがキモだよ」


 リュウが用意したのは、ティアお手製の“白い胞子”の小瓶。


「麹菌です。この世界の“草花に宿る発酵菌”を精製しました。清酒に適した香りを出します」


 蒸し米に丁寧にふりかけ、一定の温度と湿度を保つ部屋に寝かせる。

 エルドがスクロールを調整し、「一定温度湿度キープ&菌活性加速マジックスクロール」を貼りつけた。


「うっひょぉぉ! これぞロマン!! 発酵の予感ぉぉぉっ!!」


「エルド、うるさい。菌が逃げる」


【第三工程:もろみ作り】


 麹になった米に、水と残りの蒸し米、そして酵母を加え、大樽で寝かせる。


「発酵促進スクロール、スタンバイ完了〜!」


 ゴウン……と魔力の脈動音とともに、大樽の中から小さな泡がポコポコと生まれ始める。


「いいぞ……このまま60日。順調にいけば、“初搾り”にこぎつける……!」


「ところでリュウ」


 ルナが言った。


「寝かせるって話しとったけど、どこで寝かせると?」


「……あっ」


 忘れてた。


【第四工程:貯蔵と熟成】


 リュウは慌てて筆を取り、ページをめくる。


《ログハウス裏の製造エリアに併設された地下蔵。冬でも温度が一定に保たれ、音と振動を遮断する魔法付きの“酒蔵”が完成する》


 バフッ!!


 地響きとともに、ログハウス裏にレンガ造りの立派な蔵が完成。


「おぉ……すっげぇ……本格的……!」


「うちの酒が眠るには、ちょいと立派すぎるばい……」


「いや、眠るのは“お前”じゃないからな……」


 全ての準備が整ったとき、リュウはふっと肩の力を抜いた。


「……やったな。これで、あとは熟成を待つだけだ」


「最初の搾りはいつになると?」


「早ければ一ヶ月後……まずは“試し搾り”で確認してみる」


「どんな味になるとか、楽しみたい」


「くふふ……想像するだけで酔いそうだよ」


 冬の空。

 遠くで雪がちらつき始めたログハウスの裏には、新たな酒造りの息吹が、確かに芽吹いていた。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

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